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ラ・カンパネラ  作者: Opus
23/96

再会 Opus 1

 その時、ハンスの店のドアが開いた。俺もハンスも、話すのを止めドアを見た。

 外の風と冷気が、テーブルに置いてあった楽譜を飛ばし、一瞬に部屋を染めた。ドアの向こうは、曇っているとはいえ、昼の外だ。外の明るさを背景に、人が立っていた。

 逆光に目が馴れると、ドアの間近に立つ人の特長が、一つずつわかり、俺の頭の中のパズルが嵌った。

 驚きのあまり立ち上がった俺は、ただ、じっと硬直してしまった。

(ショウ)!」

 光の中から、懐かしい響きの声がして、確かに俺の名を呼んでいる。

「陽子?」

 俺は、その声に、恐る恐る応えた。

「ウン」と頷いた。

 なぜか陽子がハンスの店の入口に立ち、俺を見ている。目や口が妙にねじれながら、陽子が俺を見つめていた。

 ハンスが、ドイツ語で陽子に向かって何か叫んだ。

 陽子はハンスの言葉に頷くと「渉!」と再び叫び、一直線に俺に向かってきた。

 陽子の頭が、きつく俺の顎にあたった。キーンと脳髄に響く痛みを感じながら「ハンス、彼女に何を言った?」と英語で訊いた。

「あなたが、ショウが話した東洋の女神だろう。旅立つ彼に『気をつけて帰って来て!』と声を掛けた……」

 そう言って、俺にウィンクをすると、俺たち二人だけにしようと気を利かせたのか、ハンスは店の奥へと消えた。

 俺は、きつく陽子を抱きしめた。陽子は俺の胸に顔を当て、嗚咽が止まらず体をひくひくと震わせた。

「寒かっただろう」

 小刻みに震え動く陽子は、首を横に振った。「それより……」と言ったきり、言葉が続かない。

 しばらく俺と陽子は、そのままの格好で抱き合った。陽子の真っ黒な髪は、冷たさと共に、湿り気を浴びている。

 陽子が、俺の胸の辺りで呟き始めた。

「昨日、成田から飛行機でパリに来たの。夜行電車に乗り、七時過ぎにケールに着いた。食事を摂ろうと街を歩いているうちにバスが出てしまい、どうにかさっき、カイザースブルクを降りたの。それで、バス停のそばで逢った人に、教えてもらったホテルに向けて歩いていたら……」

 陽子が、どんなルートで日本から来たのかはわかったが、どうして陽子が、今、自分の胸の中にいるのかは、見当もつかない。

「パリから夜行で来たって? どうして? それに、カイザースブルクに来たの?」

 俺は、陽子に思い浮かぶ疑問をぶつけてみた。

「シャルル・ド・ゴールに着いた時は、夜の七時半だった。パリで泊まるホテルの予約もしていなかったし、荷物を持って、ホテルを探すよりいいかなと思ったの。何より、早くドイツに行って、渉を見つけたかったから」

 陽子は、ニコッと笑って、ここまでの旅を楽しそうに話している。俺の疑問を上手くそらし、意識的に、カイザースブルクに来たわけを、話さないようにしているようにも思えた。

「疲れただろう」

 俺は、そんな陽子に間の抜けた言葉を発していた。

「そんなの、今は考えられないわ」

 綺麗な小さな形のいい歯を見せながら、体を揺すらせて、陽子は笑った。陽子の透き通るような白い肌は、どこもかしこも昔のままだ。ほんの少し頬の端にある黒子や雀斑も、変わらない。

「ホテルに向けて歩いていたの。で、運河のそばを歩いていると、ピアノが聴こえてきた。『ラ・カンパネラ』だったわ。私、ショウが弾くピアノだと、直ぐにわかった。絶対に、ショウに違いないと思って、スーツケースを置いて走り出した。ちょうど、運河の反対側に来たのだけど、橋がなかった。近くからピアノの音が聴こえてくるけど、どこなのか、正確な位置がわからなかった。音が消えたら、ショウがわからなくなりそうで……」

 陽子は、ここまで一気に話して、「ウッ!」と声を詰まらせた。

「それで、バス停のそばの橋まで、急いで引き返したの。クルッと半周するように回って、ようやく再び、この店の前に来たら、また『ラ・カンパネラ』が聴こえた。でも、その音は、さっきとは違っていた。ショウの音だけど、ショウではない。ピアノが『ノクターン』に変わっても、同じだった。スケールの大きなかなり年配の人のピアノのようにも聴こえて、きっと人違いだと思いながら、このお店のドアを開けたの……」

 陽子は頭が、俺の胸に二度ぶっつけるように強く叩いた。

「そうしたらね。ドアを開けたら。ショウがいた。ショウが立ち上がって、私を見た」

 胸の中の陽子が俺を見ている。俺は「ありがとう」と心を込め、陽子の顔をじっと見た。

 俺は陽子の顎を持ち、精一杯の勇気を絞り出して、キスをした。陽子への、初めての口づけだった。

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