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ラ・カンパネラ  作者: Opus
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もう一つのアンコール Opus 2

 サラエボにいる時にも、何度かピアノに触れた。

 壊れた家で、銃の跡だらけの、埃まみれの部屋にあるピアノは、調律もいい加減どころか、十分な音が出なかったりした。そんなピアノであっても、目の前にあると、つい手を伸ばしてしまった。

 サラエボがセルビア兵に包囲され、終わりなくミサイルが飛んで来た夜に、何時間もキーボードを前にし、即席の演奏会をした覚えがある。

 発電機で灯と暖房を取った地下のナイトクラブで、俺は激しくキーボードを叩いた。曲は、クラシックを即興でアレンジしたものだ。

 光を落とした灯油の匂いが混じった部屋で、出所のわからないブランデーやウオッカを飲みながら、その夜は誰もがおかしくなりそうなほど騒いだ。

 どれだけ飲んでも、飲み疲れることはなく、不思議とあの夜だけは、酔えなかった。酔っているように思えても、朝が近づくに従って、頭が冴えていくばかりだった。

 地響きのような、ミサイル弾の音に「今のは近い!」などと叫んだ。幼い頃、雷の音を聞いてはしゃいだように、みんな黙るわけではなく、ワアワアと声を上げた。

 次は自分たちの番かと、音が近くなるたびに思い、口には出さないが怯えていた。そのため、騒がないではいられなかったのだ。

 いつ命中するかわからない危険が、背中あわせにあるだけではない。この夜は、朝になったらセルビア兵が市内に入って来て、皆殺しにされる噂が真しやかに流れていた。夜が更けると共に、不安が込み上げた。

 あの時は、今も鮮明に覚えている。排気の悪い地下の部屋は、人の息とアルコール、発電器の油の臭いでくらくらとした。

 部屋の端では、男と女が抱き合っている。十分ではないライトだが、暗さに慣れた目には、男女の愛撫がはっきりわかった。

 あの、退廃のようで、退廃でない世界。生と死を分け隔つ時間が来るのを待ち、発電機の油と煙が部屋の中を満たし続ける空間が、現実にあった。

 いつ途切れるかわからない明日への不安を忘れようとしながら、俺はキーボードを夢中で鼓いた。

 同じ気持で一夜を送った者たちは、曲が終わるたびに拍手や喝采をくれた。黙っているのではなく、何かしないではいられない夜、平和な今では考えられない狂った夜だった。

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