プロローグ
Opus 1
落ち葉が一つ、頬を撫でた。軽く指でなぞり、手のひらを目で確かめる。
赤い鮮血がついていないのにほっとしながら、再び頬を触れた俺は、戦場の癖がまだ抜けない。飛び散っていった枯葉まで、今も赤い光に斃れた人の魂のように思えるのだ。
間断なく飛び交うミサイル弾。どこかで時間と関係なく響く銃声。工事現場の掘削機のような自動小銃の音。
まとわりつく死の影と、頭をかすめる死臭が、いつか去る時が来るのだろうか。二ヶ月前の一九九七年十月の初めに、死の淵を見つめるのを止め、俺は五年間いたサラエボを離れた。
サラエボを去り、バスや電車に揺られ、中欧の街をさすらった。あてのない旅の訪問地が、ウィーンやザルツブルクといった音楽に縁の深い街ばかりであったのは、七年前までは、東都芸大のピアノ科に席のある音大生だったからだろう。
神崎渉というピアノを捨てた二十七歳の俺が、独仏国境の街カイザースブルクにやって来たのは、ちょうど一ヶ月前だった。
カイザースブルクで、バスを降りたのは、何か理由があるわけではない。ただ何となく、生まれ育った故郷、北海道の小さな街に似ていたからだ。
今朝のカイザースブルクの風は冷たく、吐く息を白く濁らせた。マロニエの木は、葉を失い、ラインを超えた向こうに見えるヴォージュの山々は、白く冬化粧をしたようだ。このドイツの国境の街は、秋が深く終わりを迎えていた。
カアーン、カアーン……。
厚い浮き雲と青い空の果てから、教会の鐘が響いてくる。この音は、いつもは十二時過ぎに鳴る鐘だ。これから俺が出掛ける店の主は「シュトラスブルクの大聖堂の鐘だ」と教えてくれた。
「どんなに風のいい日であっても、この街でシュトラスブルクの鐘が聴こえるのは、よほど耳がいい者だけだ」という。
俺の耳には、高音の綺麗な音に、重さと威厳を備えた低音の響きが、いつも聴こえた。
カイザースブルクの街は、街を二分する格好で運河が横切っている。運河の両側には、ほぼ並行に道が付き、間近には組木の家が建ち並ぶ。
白い漆喰の小粒な建物の並ぶ姿は、お伽噺にありそうで、どこかに童話の主の巨人が潜んでいるような、ドイツのどこにでもある綺麗な街の一つだ。
街の外れには、葡萄畑が続いている。収穫を終えた今は、葉も散り、どの枝も短くきれいに剪定されていた。やがて来る新しい春に芽を吹くまでの短い休息をとっているのだが、整然とした様は、今日の天気のような冷たさを感じる。
ほんのわずかに小高くなった丘の上には、街の教会がある。俺は少し大回りをして、教会の前を通り、軽い坂を下りた。再び運河づたいの道に戻ると、ペンキの剥げたビアジョッキの形をした板が飾られた店があった。旅人なら、きっと見過ごしてしまうような、名もない店だ。
土地の者は、この店を《ハンスの家》と親愛を込めて呼ぶ。
ドアの把手は、人の数だけ木が丸くなり、黒く輝いていた。きっと、今朝も俺がドアを開ければ、中にいる店主のハンス・ベルンハルトが「グーテンモーゲン」と声を掛けてくれるはずだ。
俺は一呼吸した後、ゆっくりとドアを押した。
「グーテンモーゲン」
店に入ると、ハンスがさっそく声を掛け、微笑んできた。
俺もハンスと同じように「グーテンモーゲン」と言葉を返した。
俺の朝の挨拶の言葉は、どんなに短くても綺麗に発音ができない。ネイティブでない者の発音は、うまく真似たつもりでも、どこかぎごちないのだ。
きっと、日本にいる時に、外国人が話す「コンニチハ」や「オハヨウ」が、カタカナで話すように聞こえたのと、同じだろう。
七年前、旅に出る俺に、友人が貴重な話を教えてくれた。父親の仕事の都合で、幼い頃から、ほとんど外国で暮らしてきた、returnee child(海外在留子女)の友人が「おはよう」「こんにちは」と「ありがとう」だけは、土地の言葉を使うようにと、アドバイスしてくれたのだ。とりわけて言うほどの内容ではないが、俺は、彼の忠告を、旅の間中ずっと守っていた。
五年間いたサラエボを、こうして五体満足な体で離れ、今はドイツのカイザースブルクにいる。彼の言葉が、俺をただの異邦人とせず、ライフルのターゲットスコープを覗いた男から、救ってくれていたのかもしれない。