21.人を殺す覚悟(笑)について思う事
異世界物の作品を読んでいると、異世界に転移・転生等した主人公が、日本人としてのモラルと現地の実情との差から、殺す覚悟を求められる場面に直面する事がある。特に、冒険や戦争等を取り扱った作品に多い。
サイコパスのような人を除き、人殺しを平然と行える人はそうはいないので、人殺しや広い意味での生き物を殺す事に嫌悪感や忌避感を持つ事は当然の話であり、その事を表現に入れる事には何ら問題はない。だが、その入れ方が拙く、話の流れをぶった切り、折角の雰囲気をぶち壊しにしてしまう残念な作品も少なくない。
そういった残念な描写を殺す覚悟(笑)と表現したのだが、その最大の原因となっているのがタイミングの悪さである。
例えば、主人公がいきなり異世界へ転移して、目の前の不明な生物から襲われたとする。何もせずにそのまま死んでしまうようでは主人公にはならないので、何らかの抵抗を行うか、逃げる等の対応を取る性格の人物という事になる。
状況的には、主人公は何が起こったのか正確には理解出来ておらず、命の危険がある状態で切羽詰まっており、色々と考える余裕はない。そういった緊迫感を演出している時に、何故か主人公が殺す覚悟について考え込んでしまう。いやいやちょっと待ってくれよとなる訳だ。状況的にそんな精神的余裕があるのかと。そんな余裕ぶっこいでいたら死ぬんじゃないかと。何よりせっかくの緊迫感が台無しだ。
主人公が切羽詰まった状況で暢気に時間を使って何故か殺さない事や殺した場合の事を考えているのである。常識的に考えて可笑しいだろうと思う訳だ。普通の一般的な日本人であれば、何とか逃れようとするのではないだろうか。その為の方法を必死になって考えるだろう。考える余裕すら無ければ悲鳴を上げるぐらいしか出来ないかもしれない。当然、相手を殺す事も選択肢の一つとしてはあるだろうが、取り敢えず撃退する事の延長線上にある話であって、その事に拘泥して『俺に生物を殺せるのか』『生き物を殺すなんて(云々)』等と思い悩んだり、覚悟を決めるまで悩み続けるような冗長な描写は奇異に映る。
時間は動作のみならず、思考でも流れる。複雑に考えれば考えるほど時間は経過する。日常生活を送っていれば、当り前の話のはずが、文章表現として作品を書く際にすっぽりと抜け落ちてしまう。だから状況を無視した殺す覚悟(笑)のような表現が生まれてしまうのではないだろうか。
次に人とそれ以外の生物とで精神的なハードルの違いを考えてみる。自ら志願して兵隊となり、戦地へ行って人を殺した事で、後々に罪悪感から精神病を患う人もいる事から考えれば、人を殺す事に対するハードルは決して低くはない。サイコパスでもない限り、特に人と認識する存在を平然と殺せるものではない。だからと言って、戦闘中に余計な事を考える余裕が有るのかと言えば、現実的な問題としてそのような余裕はないだろうし、作品の表現的にも話の流れがそこで途切れてしまう事を考えれば、殺す覚悟に関する表現は、戦闘が始まる前か、全てが終わった後に状況が落ち着いてから書くべきだろう。
では、人以外の生物ならどうだろう。現代の日本人であれば、生き物を殺す機会は非常に限られている。生物を扱う研究施設や屠殺場で働いている人、医療関係者、漁師や釣り人等を除けば、精々殺虫剤でゴキブリや蚊、蝿等を殺したりするぐらいであろう。それ故に、血を見る事で、気分が悪くなったり、食欲が失せたりする等はあっても可笑しくはない。だが、こちらの方は、人殺しと比較してハードルは低く、気持ちが良いものではないにしても、それこそ一週間もすれば慣れるのが人間である。そうでなければ一般的な職業として肉屋や魚屋は成り立たない。そこら辺の違いを書き分ける必要はあるだろう。
後は、登場人物の意識の違いも結構大きい。例えば、異世界に飛ばされたと認識しているのか、ゲームの中に入り込んだと認識しているのでは、当然殺すという事に対する感じ方が全く異なるだろう。現実の世界であれば殺生でも、ゲームであれば単なる経験値とアイテムを稼ぐ作業でしかない。それ故に、ステータスが導入されている異世界では、登場人物もゲーム的な感覚になりやすい。
この事は、実際に自分に置き換えて考えてみると分かりやすい。ゴキブリを殺せば経験値が1上がり、100匹殺せばレベルが上って、基本的な能力が上昇するような事がリアルに確認されたとすればどうだろうか。今までキャーキャー言って逃げている人ですら、皆目の色を変えてゴキブリを探しだし、殺しまくるはずだ。殺せば殺す程有能な存在になれるのだから。中には、養殖して増やし、思う存分殺しまくる人まで出てくるだろう。人の欲望には際限がないし、自殺志願者でもない限り、己の生存が有利になる事に対しては誰しもが肯定的だからである。
或いは、その人が持っている価値観や人間性も影響が大きい。確信的で自分正義の傾向が強い人物であれば、自分が悪だと認定した人物(犯罪者や敵対者等)に対しては、正義を振りかざして平然と殺せる人も存在する。自分の利益の為であれば、人を殺しても(死んでも)構わないと考える人もいるだろう。
つらつらと書いてきたが、人を殺す覚悟を表現する場合には、以上のような様々な状況を考えて、最適なタイミングを選んで無理がないように書く事が望ましいと思う。




