粉屋んとこの三男坊
古今東西、国は世界中に散らばっちゃいるが、どの国にも独特の言い回しというものがあるわけで、アーシャ王国での一番オリジナリティのある言い回しは『エディルカさん』である。
言い回しのパターンやその語源など、めんどくさいことは置いておく。まあ、ざっくり説明すると『エディルカさん』とはつまり言い訳の常套句である。老若男女で言い方は色々あるが、基本的な使い方は『エディルカさんの機嫌が悪いから(あるいは悪かったから)』だ。それで大体は「あぁ……」となる、非常に使い勝手の良い言葉だ。だが言い訳はどこまで行っても言い訳なので、使いすぎると当然しっぺ返しを喰らう。
しっぺ返しのいい例として、一つ、粉屋の三男の話をしよう。彼は名前をアルヴィンという。
ちなみに彼はエディルカさんではない。
アルヴィンは十八歳の美丈夫である。生まれはアーシャの北側の小さな粉屋。そこの三男坊として彼は命を受けた。兄たちは実直な性格で既に既婚者、兄嫁二人もクルクルとよく働く気立てのいい娘さんだ。にもかかわらず彼のあだ名は粉吹き男だった。叩けばいくらでも粉(という名の埃)が出るからだ。
何せこのアルヴィン、とにかく女が好きだった。美貌と十八歳のくせに妙に脂の乗った口周りを武器にして、荷馬車の車輪の如く、否、粉挽水車の車輪の如く、女を取っ替え引っ替えくるくる回し、飲み屋の女はどうだった、小物屋の次女はこうだったと声高に語る語る語る。引っかかる方も引っかかる方だが、元凶は当然引っかけるほうだ。悪評は千里を駆け抜け、一時は実家の商売まで傾けた。嫁御たちが必死に支えたおかげで一家倒壊は免れたものの、当然家族の恨みは深い。長兄は怒り、次男は嘆き、父は倒れた。ちなみに母はかなり早い段階で彼に見切りをつけていた。我が家が大嵐に揉まれているにも関わらず、アルヴィンの言い分は一貫して一つだった。曰く、「僕はエディルカさんの機嫌が悪かったときに生まれた」
「僕はエディルカさんの機嫌が悪いときに生まれたんだ、あの人の祝福をもらえなかった分、他の奴らより出来が悪くても仕方ないじゃないか」
この一本槍である。
父の遺伝を強く受け継いだ金の髪、麦の穂を連想させるそれを長く遊ばせる様は飲食を扱う家の三男坊としてはふさわしくないにも程がある。
アルヴィンが笑うその向こう、中年男が歯軋りしている。娘に何しやがったと怒鳴り込んできたはずの男はエディルカさんの一言でもう何も言えなくなっていた。いい加減にしなさいと諌めた彼の父も、妙に冷めた目で三男も見つめる嫁御たちも、仕事の手は止めずに耳を澄ませていた長男と次男もやはり同じように黙り込む。なまじちょっといい声なだけに恨みは募っていく一方だ。
けれどこの光景が「エディルカさん」である。どうにもならない災難に見舞われた時、あるいは予想できたはずのものができなかった時、己の自責や周囲への八つ当たりをほんの少しずらす標的、それがエディルカさんだ。彼女はつまり理不尽の代名詞だ。その名前を出されたら抜いた刃を引っ込めるしかなくなる。まさに理不尽、威力は絶大だ。
けれど、彼はエディルカさんではない。
怒鳴り込んできた親父を無理やり黙らせた、その後日、彼は闇討ちにあった。現場は指の先も見えない暗闇ではない。飲み屋の表、はっきりと実行犯がわかるほどのまあまあ明るい中、周囲に人目もある中で、はっきりと行われた。酔いのためにただでさえふらふら歩いていたアルヴィンはあっさりと確保され、細かいことを語るには憚られるくらいには討ち取られた。ざっくりいうならぼこぼこでも生ぬるかった。
当然男は訴える。あれは小物屋の主人だった、それ以外にも武器を持った中年男が何人かいた。アルヴィンの指差した男たちは全て、彼が語り尽くして粉にした女性たちの身内だった。
もちろんそんなことは知ったこっちゃないとばかりにアルヴィンは訴えて訴えて訴える。けれど全てが却下された。なぜなら関係者全員が口を揃えて言ったからだ。
曰く、「エディルカさんの機嫌が悪かったから覚えていない」
この一本槍であった。
アルヴィンのその後について少々補足しておこう。
訴えが却下された彼はそのまま流れるように家も追い出された。なぜだと聞いても彼の知らない間に世代交代したらしい粉屋の店主は普通に首を傾げるばかりだったという。彼の両親は笑顔でそこに立っていて、なるほど、何も揉めることのない交代だった。エディルカさんの機嫌が良かったのかもしれない。
「そういう気分なんだ。エディルカさんの機嫌が悪いんじゃないか?」
それからもちろん、今までは『親しく』していた人間からも切り捨てられた。エディルカさんの機嫌が悪いからだ。ああいや、怪我の後遺症のせいで彼のご自慢のあれが少々あれしたのももしかしたら関係するのかもしれない。女性の機嫌はエディルカさんの機嫌以上に読めないし難しいものだと昔から決まっている。そうして彼は村から、女性たちから、家族の中から消えた。物理的にも、もちろん社会的にも。彼のその後は誰も知らないが、多分、平凡とは悪い意味で一線を画した結末であったことだろう。
かくしてアルヴィンの話はここで終わる。彼の功績はただ一つ、強烈な記憶だ。
彼の話はなかなか長く伝えられた。エディルカさんは国民全員が「あぁ……」となるにはなるが、それが全てではないよ、自分の言動に責任は必要よ、という教訓として。特に子供にはよく効いた。この話の前半だけで「アルヴィンかっけぇー!」になる子供も居なくはなかったが、そんな子も最終的には肩を小さくして俯くくらいにはよく効いた。
彼自身の行方は誰も知らない。それこそ、エディルカさんですら。
余談ではあるが、この二年後にちょっと洒落にならない大寒波が世界を覆ったので、もしかしたらそのせいもあるのではないかと個人的には思うのだ。
ところで、その大寒波を誰かはエディルカさんのせいにしただろうか。
答えは否だ。なぜなら本当にそんなこと言ってる場合ではなかったので。
案外、人間は本当に切羽詰まると安い助けには乗らないものだ。
エディルカさんの機嫌が悪いのは、せいぜいうちんとこの婆さんが鍋を焦がしたときくらいのもんである。そういうもんである。私はこのあと鍋を買いに行かなくてはならない。しかもなんかよくわからんピッカピカのやつを。エディルカさんの機嫌を取るためにはそのくらい必要なのだそうだ。エディルカさん、まさに理不尽の権化。伝家の宝刀。
いやはや、全く、だからこそ何もかもエディルカさんのせいにしてはいけないのである。
なぜならわたしもあなたもエディルカさんではないので。




