第9話 家
町での事件を脳内で反芻しながら、ミシャーナはかまどに慣れた手つきで火を入れる。
飢饉のときに領地の町や村で炊き出しの経験があり、伯爵令嬢ではあるが【生活に必要な仕事】にはある程度対応できるようになった。
出来上がったスープを買って来たばかりの皿に盛り付け、パンとおまけで貰った野菜をちぎったサラダという、質素だが一人にしては贅沢な食事が出来上がった。
「一人で食べる食事は少々味気ないですけれど」
独り言ち、椅子に座ろうとしたところで足元から「キャン」とシルフの鳴き声がする。手を差し出すと自分が一緒にいるとでも言うように、ミシャーナの指先をペロリと舐めた。
「そうね、私には心強い騎士様がいつも一緒だわ。今日は助けてくれてありがとう、シルフ」
頭を撫でると、シルフは満足そうにしっぽをブンブンと振り、自身の食事が置かれた場所まで戻って行くとミシャーナの方をちらりと見る。
「いただきます」
そう言うと、シルフも一声鳴いて食事にありついた。シルフの食事は冷ましたスープとパンだったが、食べる速度はミシャーナの何倍も速く、瞬く間に食べ終わると外に走って行ってしまう。
「本当に風みたい」
あれくらいの子犬は、運動量が段違いなのだろうとミシャーナは考えていた。
一緒に散歩に出かけるのも良いが、今は明日までにどうやって真犯人を見つけるかの方が急務だ。
――あの時間帯は人が多くて沢山の人がいたようだし、犯人捜しは難航しそうね。
スープを飲み込み、いやらしい笑みを浮かべたリーブの顔を思い出すと、背筋が凍った。貴族の中にはごく稀に変わった性癖の人間が混じっている。
リーブが絶対にまともな仕事をさせるつもりは無いと感じ取っていたミシャーナは、犯人捜しを確実にやり遂げる必要があった。
――何の見当もつかないのに、どうやって犯人を捜せば……
告げられた日にちは一日もない。まずは明日の朝、少年と合流して盗みを見た人がいないか聞き込みをするしか方法はなかった。
――まさか、流石に自作自演では無いわよね。嘘をついているようには見えなかったし、私の目に狂いが無ければ少なくとも財布を無くしたことは本当だと思うのよ。問題は誰が盗ったか、もしくはどこかで落としたか……
まだこの町に来たばかりのミシャーナでは、犯人像を思い描くことが難しい。あのリーブという貴族は、町人の反応を見ても良い印象が全くない人物だった。それなりに恨みを買っているであろうことは簡単に想像ができた。
おかげで余計に地の利がないミシャーナには難関に思えた。
「明日の午前中が勝負よ、ミシャーナ!」
自分を奮い立たせると、考えながら摂った食事の後片付けをし、綺麗に整えたベッドに横になる。今日一日、色んなことがあったので疲れが出てしまい、瞼が落ちてきた時だった。
カタン、と屋根裏のあたりから小さな物音が聞こえた。
――見られている……?
貴族時代にも感じたことのある、敵意を孕んだ視線がミシャーナを捉えている。しかし、今は舞踏会やパーティー会場にいるわけではなく、今日契約したばかりの家の中だ。
緊張して体からは嫌な汗が滲み出る。
――どうして? 屋根裏に誰か居るの?
緊張で息が浅くなる。
とにかくベッドに寝ている状態では無防備すぎると、ミシャーナが身体を起こそうとしたその時だった。家の中に誰かが居る気配がする。どうやら先程感じた視線の主が家の中に侵入したようだ。
屋根裏から降りたのだろう、隠す気もない様子が足音からも感じ取れる。
――背後に、居る!
そう思った瞬間、ミシャーナは逃げた。俊足で一目散に扉まで走り、外に飛び出そうとドアに手をかけた。おそらくこの世の人は誰もミシャーナに追いつけない。
扉が開かない。
ミシャーナは愕然とした。何かがひっかかっているのか、押しても引いてもびくともしなかった。そうしているうちに、奥の部屋から足音が近付いて来る。焦ったミシャーナは扉を大きく叩いた。
「そんなことをしても、アンタみたいなひ弱な女がどうにかできるわけがない。ところでどんな手品を使った?」
顔を覗かせたのは、無精ひげだらけのやつれた様子の男だった。背はそれなりに高く、ひげだらけの顔からは分からないが、声から受け取る印象は少なくとも働き盛りの年の頃と感じる。くたびれた服と張りの無い低い声からは覇気が感じられないが、伸びた前髪の奥から光る目だけが敵意を纏いギラギラと光っている。
いきなり目の前から居なくなったミシャーナを警戒している様子だ。
この場所が広い草原なら、ミシャーナが逃げれば追いつける者などほとんどいない。しかし狭い家の中では逃げるのにも限界がある。ミシャーナは恐怖で震え、助けを求めて再び扉を叩いた。
「誰か、誰か! 助けて!」
「だから無駄だと言っているだろう。それから、この家はオレの家だ。おまえは誰だ? 誰の許可を取ってここに居るんだ?」
追い詰められ、相手と対峙する。緊張と恐怖で涙がボロボロと頬を伝って落ちた。
ただ、ここで心を折られてしまっては逃げきることはできない。冷静になるよう自身に言い聞かせ息を整えると、男に反論をする。
「な、なにをいきなり……この家は私が今日契約をしたのです。ですから、今の居住権は私にあります」
「何が居住権だ!」
ミシャーナの反論に、男は大声をあげた。
「オレの大事な家を、いつの間にか土地ごと奪い取っておいて、契約した? この土地も家もオレの物だ! お前みたいなガキに渡した覚えはない!」
ミシャーナに向かって男が飛びかかる。俊足で避けるが、家具がある家の中ではミシャーナの分が悪い。しかも、男は家主と言っている。向こうの方が家の勝手が分かっているようで、ミシャーナは徐々に退路を失っていった。
逃げる時にテーブルの椅子に躓き強く打ちつけて痛め、足首に力が入らない。
迫って来る男から逃げられないと目をつぶった時、大きなゴンという音とともに男がミシャーナに倒れ込んで来た。
「ひっ」
ミシャーナは体を捩り、覆いかぶさって来た男を間一髪のところで避ける。
大きな音を立て倒れた男は、そのままピクリともしない。恐怖のあまり涙で潤んだ瞳に映ったのは、あの夜の男――フィン、その人だった。




