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第4話 思い出の欠片

 アメンの町に入ると、日暮れが近付いているとあって、大通りの屋台は既に店を閉める準備に追われていた。

 負傷した子犬を抱いた、誰がどう見ても良家のお嬢様といった見た目のミシャーナを町の人は訳ありと感じ取ったのか、横目で盗み見て観察はするものの声を掛けては来ない。


 ――仕方がないわね、どう見ても怪しいもの。


 ミシャーナはため息をつき、腕の中で眠る子犬に視線を落とす。その可愛らしい姿に心を慰められ勇気が湧いた。

 怪我の治療を頑張ったこの子犬のためにも、まずは宿を確保しなくてはと意気込み、町に三件ある宿屋の中でも比較的施設が大きく活気のある一軒の前に立った。


 息を整えて、酒場と宿が併設された店中に入る。今まで自身で手配することはあっても、アメンのような小さな町の宿屋に一人で宿泊したことなど無い。そのため無意識にりきんでいた。


 緊張を悟られてはいけないと、ミシャーナはカウンターにいる店主ににっこりと笑顔を向ける。訳ありそうな妙齢の女性が入店したことで、警戒していた店主の口元が()()()()()()緩んだ。


 本人は気付いていないが、これこそがミシャーナの持つ本来の武器である。

 この笑顔が相手の隙を生み、実際には交渉を有利に進める手段となっていた。自身は俊足のおかげだと勘違いしているため、ところかまわず笑顔の武器(チャーム)を使ってしまうので、ある意味罪作りだ。


 ベルグレイヴ男爵の言う“ミシャーナの商才”は、相手の警戒心を解くことのできる笑顔に由来するものだった。商売では『相手の警戒心をどれだけ早く解けるか』に価値があり、まさに生まれ持った才能と言える。


「暫く滞在したいのですが、ひと部屋空きはありますか?」


 可愛らしい見た目からは想像できない上品な涼やかで落ち着いた声に、値踏みするように下品な目で眺めていた酒場の客は、一瞬でミシャーナに魅入った。


「申し訳ない、お嬢さん。もう今夜は満室で……」


 すまなそうに頭を掻く店主に、ミシャーナはもう一度笑顔を作ると「では、ほかの宿屋に当たってみます」と言いその場を離れたが、三軒の宿屋はこの時間にはすべて満室で、宿泊場所を確保することができなかった。


 途方に暮れたミシャーナは、すっかり暗くなった町の入口付近にある広場のベンチに腰掛けて、これからどうするか思案していた。

 すると遠くの方から、最初に訪れた宿屋の店主がミシャーナに走り寄って来た。


「おい、お嬢さん。あんたを探していたんだ。宿泊先は決まったのかい?」


 少し息を切らしながら話しかける宿屋の店主は、大きな躯体をミシャーナの身長に合わせるように少しかがめ、心配そうな顔で覗き込んだ。


「それが、すべて満室と断られてしまいました」


「そうだろう、もうすぐ領をあげての花祭りが開催されるから人が多くてな。お嬢さんがどうしても気になって、カミさんに話したらどうして断ったのかとドヤされちまって。それで探していたんだ」


 店主は恥ずかしそうに顔を掻いた。かがめた大きな体が余計に小さくなったように見える。


けものが一緒だと客室は無理だが、うまや番が寝泊まりする部屋でよければ一部屋空いている。そこでなら犬っころ(そいつ)と一緒に泊まれるが、どうする?」


 願ってもいない申し出に、ミシャーナは満面の笑みを浮かべて大きく何度も頷いた。腕の中で既に目を覚ましていた子犬が、ミシャーナの代わりに「キャン」と返事をする。


「ふふ、この子も喜んでいるみたいです。そのお部屋に宿泊させてください。できれば数日過ごせると嬉しいのですが……」


「よし、じゃあうちに泊まりな。だけど、お嬢さんのような華奢な娘が長くあの部屋に泊まるのは難しいだろう。犬っころのことはまたあとで考えるとして、今晩はそこに泊ってくれ。何かあれば遠慮なく言ってくれ」


 奥さんに相当怒られたのだろう、安堵した様子の店主と肩を並べて店に戻ると、酒場に沢山いた人は既にまばらになっていた。

 カウンターにいる小柄な女性が、ミシャーナに気付いて手を振った。


「いらっしゃい。うちの朴念仁が気を使えなくて悪かったね。小さな部屋で申し訳ないけど、泊まって行っとくれ」


 そう言いながら慣れた手つきで宿泊台帳を広げると、ペンを渡して名前を書くように促す。ミシャーナはペンを受け取ると、名前を書きかけて気が付いた。ここに本名を書いていいのだろうか、と。

 平民となった自分が貴族らしい名前であることもおかしいだとうと思い、「ミ」まで書いた筆をそのまま走らせ「ミサ」と書いた。


 ミサ。


 思い出せないほど幼い頃に、友人が付けてくれたあだ名だった。ただ、その友人がどうしても思い出せない。貴重な魔法のかかった箱をくれた、ミシャーナにとっては大切な友人だったはずなのに。

 今日のように断片的な記憶が何かのきっかけで()()()()()蘇りはするものの、深くはもやがかかったように思い出させてはくれない。

 じんわりと手に汗が滲む。


「あんた、大丈夫かい?」


 ペンを置いてから、急にうつろな表情をしているミシャーナを心配し、宿屋のおかみが声をかける。ミシャーナはハッと気が付いたように我に返り、何を考えていたのかはっきりしないまま「大丈夫です」と反射的に返事をした。


「長旅だったので疲れてしまったみたいです。すぐに休んでもよろしいでしょうか」


「ああ構わない。ミサ……って言うんだね、良い名だ。こっちだよ、付いておいで」


 ミシャーナは子犬を抱いたまま、宿の離れに向かい歩くおかみのうしろに付いて行く。部屋はベッドがあるだけの何もない部屋だったが、小ぎれいに手入れされていた。


「素敵なお部屋ですね、奥様」


 厩から連想していたよりも手入れが行き届いた部屋に、ミシャーナは感嘆した。


「お、奥様!? それってアタシのことかい? いやだよ、照れるね。まあ、何もないけど不自由したらすぐ言っておくれ。夜は交代しながら誰かが必ず起きているからね」


 足を洗うための桶に水を貯めて、おかみは宿に戻って行った。


 ミシャーナは旅の疲れも手伝って、足を洗うとすぐベッドに横になり、枕もとで丸くなって寝る子犬を撫でた。


 ミサ、懐かしい響き。あの時のあの子は――


 子犬の柔らかい毛足が眠気を誘い、何かを思い出しかけたのにそのまま眠りについた。

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