第3話 田舎町アメンへ
ミシャーナは家を出て、しばらく近くの町に定住しようと考えましたが、巻き込まれ体質はたった数日で色んな事件を呼び寄せていきます。
不思議な力を持つミシャーナと、子犬との出会いと本格的な旅へと向かう第一章のはじまりです。
ミシャーナは、街道を寄り合い馬車に乗って進んでいた。
旅費として使えるのは、自ら貯めていたそう多くないお小遣いと、男爵から巻き上げた慰謝料の中から、両親にどうしても持って行けと言われて餞別に受け取った百万シェン、更に謝罪の場でベルグレイヴ男爵が断っても引かず、仕方なく受け取った男爵が身に着けていた宝石が数個だけ。
「仕事が見つかるまで節約しなくてはね」
自分以外に誰も乗っていない客席で独り言ち、遠くまで続く麦畑を眺める。こうしてあらためて領地を眺めると、五年前の飢饉の頃に比べて作物が豊かに実り、街中も笑顔が溢れている。
他国との交流を深めて貿易を強化し、更には自国の他領地に赴き頭を下げて食料を確保し、自治領では大規模な治水工事で領民を雇い上げ、皆が飢え死にしないように奔走したのはミシャーナ本人だ。
そのため余計に自治領に活気があるのは喜ばしいことだった。
馬車に揺られること数時間、少しお尻が痛くなりはじめた頃、伯爵家から一番近い領地の境界石が見えてきた。寄り合い馬車は領地の境界までしか走っておらず、あとは自分の足で歩かなければならない。
ミシャーナは馬車を降りると、大きく伸びをしながら辺りを見回した。果てまで続く草原の先には、魔獣が出ると言われるうっそうとした森が続いている。
その先にある一番近い町までは、乗り継ぎながら馬車で進むと一日、徒歩なら約二日はかかる道のりを移動することになる。
一人での移動に不安が無いと言えば嘘になるが、ミシャーナには秘密があった。
自身でもそれまで知らなかったのだが、俊足なのだ。
足が速いことに気が付いたのは、セリシエ領が飢饉で傾きかけた時だった。
少しでも周囲の領地や貴族、名のある商人に取り入り支援を募らなくてはならない状況下で、売れるものは全て売り払っていたセリシエには馬がなく、仕方なく自身の足で走ったところ、明らかに人よりも足が速い事に気が付いたのだ。
能力に気付いてからというもの、俊足を生かしてありとあらゆる場に赴き、若かりし頃に王太子妃候補に名を連ねた母から伝授された処世術を使うことで、なんとか領地を守り切った。
ミシャーナの容姿はごく平凡ではあったが、くるくると変わる子どもらしい表情に相反した美しい所作と上品な佇まいは、人々の目をくぎ付けにしていた。
残念ながら本人は知らなかったが、可愛らしく聡明な少女には結婚の申し込みが殺到していた。
伯爵領は当時困窮していたことに加え、ミシャーナは跡取りでもあったことから、ぜひ婿入りしたいと申し出のあったベルグレイヴ男爵の次男と縁を結ぶことになったのだが……
誰もが一目置く存在のミシャーナだからこそ、まさか五年程で寝取られ婚約破棄をすることになるなど、周りは考えもしなかったのだ。
――私も悪かったのよ、振り向いてもらえるよう努力しなかったもの。婚約破棄も自分で決めたことだし、気持ちは多少スッキリしたわ。
寄り合い馬車がセリシエ領の中心部に向かって戻っていくのを見届けると、ミシャーナは少しだけぶらぶらと森へ進む田舎道を進み、周辺を見回して誰もいないことを確認すると、おもむろにスカートを膝上までたくし上げた。
「さてと」
ミシャーナは重みを感じないとでも言うようにトランクを片手で軽々と持ち、目の前の森に向かって一直線に走り出した。
その場に一陣の風が吹いた。小さな砂ぼこりが立ち上がると、ミシャーナの姿は豆粒より小さくなっていた。
※ ※ ※
森を抜ければ隣領の最初の町であるアメンに辿り着く。
自治領のためにあちこち走り回ったこともあり、ミシャーナはアメンには何度か立ち寄ったことがある。よくある宿場町といった様相で旅人も多く、人々も明るかった。
手前のうっそうとした森さえ無ければ、セリシエ領からも観光客を呼べただろうに、勿体ないと常々思っていたほど良い町だ。
セリシエ領から一番近いこともあり、ミシャーナはしばらくアメンを拠点にしながら、どこで何をするかを考えようと思っていた。
もう少しで森を抜け、アメンの町が見渡せる場所に辿り着くというところで、ミシャーナは子犬が大型の獣に襲われているところに出くわした。
子犬の後ろ足には大きな傷があり、小さく震えるだけで抵抗する様子がなかった。
自然の淘汰だと見て見ぬふりでやり過ごそうとした。が、ミシャーナはその子犬がなぜか気になり見過ごすことができず、仕留めようと大型獣が振りかぶったところに俊足で走り寄り、大型獣の爪が子犬に届く前にその場から掠め取ることができた。
そのまま振り返らず全力疾走で森を駆け、アメンの町が見えたあたりで気力が抜けてしまったミシャーナは、その場にへたりと座り込んでしまった。
胸に抱いた子犬は、漆黒の瞳とくるくるとした深いミルクティー色の毛足が印象的で、垂れた耳がとても愛らしい。やはり後ろ足に切り傷があり、膿んでいる。
ミシャーナ自身に医術の資格はないが、節約のために出来ることは何でもやった杵柄で、治療もお手のものだった。持っていたトランクから傷薬と化膿に良く効く薬を取り出すと、子犬の手当てを始める。
「ごめんなさい、少し痛むけどすぐ良くなりますからね」
膿んだ部分に手を添え、汚れることも厭わず膿を絞り出し、てきぱきと適切な処置を加える。子犬はただ小さく一度だけ「キャン」と悲鳴を上げたが、処置が終わるまで大人しく耐えていた。
最後に傷薬を塗り込み、持っていたパンに化膿止めの飲み薬を仕込んで食べさせる。
子犬が最後のひとかけらまでパンを食べたのを見届け、ミシャーナは満足そうに子犬を撫でた。
「もう大丈夫。おうちにお帰りなさいね」
子犬がお礼でも言うように「ワン」と鳴いて立ち上がったので、ミシャーナも立ち上がり、町に向かって歩き出した。
しかし、足を引きずりながら子犬が追いかけてくる。困ったミシャーナは子犬にこう持ち掛けた。
「私は暫くこの先の町に滞在するの。傷が治るまで私と一緒に来る?」
「キャン!」
子犬は嬉しそうに高い声で鳴き、ちぎれそうなほどしっぽを振ると、ミシャーナの足に自身をこすりつけた。
足を引きずる子犬をそっと抱き上げ、ミシャーナはアメンの町へと急いだ。




