第16話 河辺
一章までは一話2500文字ピッタリ縛りでしたが、転章以降は2000文字ピッタリ縛りとなります。
アメンの町を出る頃には、夜は一番深い時間になっていた。静寂に包まれた夜道は、草花が風に揺られる音と虫が小さく鳴く音しか聞こえない。
ミシャーナは左手で沢山の荷物を軽々と持ち上げ、空いた右手でシルフを抱き上げるとそのまま俊足で駆けた。
いくつかの町や村を過ぎたあたりで疲れを感じ、広い河のほとりで休憩を取ることにした。
いつもはこの程度の走りで疲れを感じることはないのだが、流石に持っている荷物が多いことと精神的な疲労が重なったようだ。
どすんと荷物を川辺に置き、シルフをそっと腕から降ろす。
「はぁ、流石に疲れたわ。いつも加護《俊足》を使う時は持っている物が軽く感じるのだけど、やっぱり量が多すぎたかしら」
置いた荷物を恨めしそうに睨むとミシャーナは河原に大の字に寝転んだ。
令嬢らしからぬ行動にシルフは驚いたように目を丸くして見ていたが、しばらくするとどこかへ走って行った。
「シルフ、休憩するだけだから早く戻ってきてね」
ミシャーナは横になったまま、まだ夜明けには遠い空を見上げて星を眺めていた。が、少し眠気を覚えて目を閉じた。そして暗闇の中で、思い出したくもない今日の出来事を振り返った。
――あまりにも色々なことがあり過ぎてどうにかなってしまいそうよ。どうして今になってあんなことを……
『本当はミシャのことを心から大切にしていたんだ。だからこそ触れることもできなかった』
セドリックのあの言葉が本心かどうかは分からない。ミシャーナはあの時の言葉を反芻してまた腹を立てた。
――あとから何かを言うのは誰にでも出来るのよ。身ごもったトゥランゼル男爵令嬢にも失礼すぎるわ。そもそも、違う女性とパーティーに出ているじゃない……それが答えだわ。
一緒にパーティーに出ていた女性は、過去に見たことの無い女性だった。見目の良いセドリックなら、家の事情を知らない令嬢をたぶらかすくらいお手の物だろう。おそらくリーブのパーティーならば知り合いも少なく、セドリックの社交界復帰には丁度良かったのだ。
――あんなに好きだと思っていた人なのに、不思議と嫌悪感以外に何も感じなかった。恋の終りなんてこんなものなのかしら。
セドリックよりも心が揺さぶられるというのに、顔も名前もまた記憶から薄れてしまった彼を思い出そうとするが、やはり思い出せない。
――そう言えば、あの人には逃げることを伝えていなかった。もう二度と会えないのかしら……それは何だか嫌だわ。
思考を巡らせたおかげで眠気は消え、目を開けると空はまだ闇の帳は降りたままだが、星がいくばくか薄くなっている。そろそろ夜明けが近いのだろうか。
ミシャーナは体を起こすと、次の行き先を考えた。
このままこの国に居れば、またセドリックといたちごっこを繰り返すことになるかもしれない。それならば――
「うん! そうよ、ミシャーナ。目の前の河を渡れば隣国だわ。隣の国で働きながら生活するのも楽しそうじゃない?」
自分を奮い立たせると、その先にある隣国を見ようと腰を上げた。大きく伸びをして、シルフを探しながら水辺のすぐそばまで来たつもりだった。
まだ辺りは暗く、良く見えない足元で何かが跳ねた気がした。
驚いてミシャーナが歩を止めると、次は足首に痛みが走る。それは、捻ったとも何かに打ち付けたとも違う、もっと火が付いたような深刻な痛み。
「なに!? アツ……」
驚いて叫んだ瞬間、足が引っ張られて転倒した。何が起きたのか分からないが、どんどん体が水の中に引き込まれていく。
「嫌! 何? 誰か、誰か!!」
大声を上げても明けない夜の闇の中に人影はなく、ところかまわず掴んだ草で手は切り傷だらけになった。
どんなに手に力を入れても引っ張る力の方が強く、混乱したミシャーナには分が悪い。痛みよりも熱さを感じている片方の足の感覚はもう無く、血が失われていく嫌な感触が足を伝う。
やがて、ミシャーナの体はとぷんと音を立てて水の中に沈み込んだ。息が出来ず、仄暗い水の中で目にしたのは、鋭い二つの目。
大きな人食いをする水中生物が、ミシャーナの足を咥えている。爛々と光る目が、にたりと笑ったように見えた。
――いや、こんなところで……お父様、お母様、アリア!!
死にゆく間際に見ると言われる過去の出来事が、ミシャーナの脳内で展開していた。浮かんでは消えていく思い出の中に、小さな頃に避暑地にある祠のある湖での出来事があった。
――懐かしい。アリアが生まれる前は、よく家族で避暑を兼ねて別荘に滞在したわね。今はあの別荘も売ってしまってないのだけれど……懐かしいわ。よく遊んだあの男の子の名前は……
フィン・シルフ・エアリアル
ふいに名前を思い出した。そんな名前の男の子とよく遊んだことを。
ミシャーナの頭上が光り輝き、記憶の中の男の子がミシャーナの名を呼び飛び込んでくる。
――どうして忘れていたのかしら。大事なお友だちの、フィン……
ミシャーナの意識はそこで途切れた。
ついにミシャーナがおぼろげだった記憶の中でフィンのことを思い出しました。
次回はフィン目線でのお話です。




