第15話 逃亡
ミシャーナが目を開けると、父親の腕の中だった。懐かしい香水の香りが鼻をかすめる。
「お父様? どうしてこんなところに?」
目を丸くして問うミシャーナに、少しぶっきらぼうに伯爵が答える。
「ミシャーナ……無事で何よりだ。アリシアから聞いて急ぎ駆けつけたのだ。まだ近領に居てくれたおかげで、私が助けに来ることができた」
どうやら心配したアリシアが父親に報告したらしい。元軍人の父親は、鍛え上げられた体を動かしていないと気が済まない人だ。そのため、伯爵位を継いだ今も毎日剣の鍛錬を欠かさず行い体を鍛えている。
躓いた瞬間に父親に抱き止められ、ミシャーナは倒れずに済んだのだ。
「ところで、セドリック」
伯爵がセドリックを睨むと、その眼光に恐れをなして何も言えなくなったセドリックは、小さく「ひゃい」と返事をした。
あまりにも情けない返事に、ミシャーナは思わず顔を背けて父親の腕の中で笑いをこらえた。その姿に安心したのか、伯爵は自身の腕の中から名残惜しそうにミシャ―ナを降ろし、優しく立たせる。
そうしてセドリックに向き直ると低く良く通る声で恫喝する。
「ミシャーナを二度と悲しませて欲しくないのだ、我々家族は。この子は身も心もお前に引き裂かれて一人になる時間が必要なのだ。それなのに、何だこの有様は。家を勘当されて少しは反省していると思っていたのだが、どうやら全て思い違いだったようだな」
セドリックは小刻みに震えながら、ただ説教が過ぎ去るのを待った。矛先がセドリックに向いている間に逃げようとしたリーブも、見つかってそのまま伯爵に腕を捕まれてしまう。
「お前は誰だ。ミシャーナを侮辱しているように聞こえたが、気のせいだったか? 我が娘に、何用だ!」
ビリビリと辺りの空気が振動するほどに怒気を孕んだ強い恫喝に、リーブは失神寸前になりながらも身の潔白を晴らそうと否定する。
「な、何も……ただ恋人同士なのかを尋ねただ……」
「それが! 侮辱だと言っているのだ!」
最後まで話していないのに怒鳴られる。それでも隙をついて逃げようとするリーブの腕を力任せにギチギチと握り、その握力の強さに驚いたリーブは、やめてくれと泣いて懇願した。
「やめて欲しいなら、今後一切ミシャーナには関わらないと約束しろ。このような小さな町、すぐに我が領にできなくもないが……」
「分かりました、約束します! まさか、この女……いえ、ご令嬢がセリシエ伯爵のお嬢様だとは知らず、ご無礼を」
子爵令息のリーブがミシャーナを知らないのには訳があった。
彼が開くパーティーに人脈が無いことを見抜いて、ミシャーナが参加をしていなかったこと。
そして、セリシエ伯爵が恐ろしいという噂と同時に、セリシエ領が貧乏だと知っていたのでリーブ自身が避けていたからだ。
「では、誓いを立てろ。正しく子爵の元で金銭の流れを学び、我がセリシエ領に影響するような宴を今後一切行わないと」
「わ、わかりました。今後一切このようなことはしません。勉強もします」
恐ろしさのあまり洩らしでもしたのか、ミシャーナとすれ違う時、少々臭いが漏れていた。伯爵から解放されたリーブは明らかな内股でその場を去った。
少しでも羞恥心があるなら、高すぎるプライドがへし折られているはずだ。
しかし問題は、リーブのような性根が腐っただけの田舎貴族ではなく、セドリックだ。
セドリックはミシャーナに対して執着心があり、多少の威しくらいでは今後も引かない可能性がある。
謝罪をしたとしてもその場しのぎになるであろうことは、勘当された後の行動を見れば容易に想像できた。
ミシャーナは怖くなり、父親の袖をきゅっと力を込めて掴んだ。それに気付いた伯爵が声をかける。
「ミシャーナ、このような茶番に付き合うことは無い。早くこの場を立ち去りなさい。あとは私が何とかしよう」
「でも、お父様……」
心配するミシャーナに、伯爵はもう一度この場を去るように伝える。
「いいから行きなさい。私の人付き合いがうまく行かないせいでお前には沢山苦労をかけたし、今回の問題も解決できなかった。少しは父を頼りなさい。いや、何度頼ってもいい。いつか自分の気持ちに整理がついたら戻って来なさい。家族でいつまでも待っている……愛する娘、ミシャーナ」
いつも寡黙な父親が信じられないくらい話してくれたことにも驚いたが、言葉にすることが苦手なはずなのに、自分を愛していると言った。
ミシャーナは驚いて父親を見上げると、耳が赤くなっているのが見て取れる。
「お父様、気持ちは十分伝わりました。あとの事は、お願いします」
「ああ、さあ行きなさい」
父親が言うか言わないか、ミシャーナはテラスから開場に続く窓辺まで走り、沢山の女性に囲まれて顔を緩めているジョシュに耳打ちをすると、そのまま一緒に会場を後にした。
馬車までの道すがら、ジョシュに事情を説明する。
御者に金を握らせ、ジョシュを安全に送り届けるように伝えると、自らは徒歩で屋敷の門を外に出た。ドレスで走るのはお手の物で、誰も見ていなければ全速力で帰ればいい。
念のため、屋敷が見えなくなるまでは早歩きで進む。すると、屋敷から町に繋がる道の真ん中に何かが居る。
「シルフ!?」
驚いて駆け寄ると、シルフはミシャーナに飛びついて再会を喜んだ。
「置いてきてしまってごめんなさい。こんな遠くまで追いかけてきてくれたのね」
綺麗なドレスを着ていることも構わずそのままシルフを抱き上げる。
リーブの屋敷ではまだパーティーが続き、その賑わいとは対照的に街灯は次々に消されていった。
もう眠りにつきはじめている町の中を見つからないように走り抜け、ミシャーナは質素な我が家へと駆け込んだ。
家に辿り着くや否や手早くドレスを脱いで鞄に詰め込むと、せっかく買い足した食器や食材を鞄に詰め込んでいく。
それなりに大荷物となってしまったが、口にするものは食べれば無くなるし、食器などは途中で売ればいい。
「ごめんね、シルフ。もうこの家には住めないの」
シルフを連れ、いなくなれば心配するだろう宿のおかみさんには事情を話し、手短に別れを済ませる。
ミシャーナはそのままアメンの町を後にした。
滞在四日目のことだった。
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