第1話 裏切りは突然に
妖精や精霊といった世界観の物語です。
徐々に明かされていくヒーローとの絆や、ストーカー被害に怯えながらも立ち向かう主人公を応援してくださると嬉しいです。
まずは6話まで読んでみてください。
きっと主人公を応援したくなると思います。
よろしくお願いします。
「婚約破棄、させていただきます!」
ミシャーナ・ロゼリア・ド・セリシエ伯爵令嬢は、今にもこぼれそうになる涙をこらえ、目の前の男――セドリックを睨んだ。
「そんな、なあお願いだ。考え直してくれないか、ミシャ。俺だってこんな事になるなんて思わなかったんだよ……頼むよ」
ミシャーナという正式な婚約者がいるにも関わらず、他の女との間に子ができたと言われては、どうにも腹の虫が収まらない。頼まれたって許すものか。握りしめた拳にぐっと力を込めた。
「誰に、何を頼むのですか!」
伯爵令嬢とは思えぬほど怒気を帯びた声に、流石のセドリックもたじろいだ。普段は令嬢らしく、ふわりとした優しい笑顔を浮かべていた婚約者が放つ迫力に言葉を詰まらせる。
「だけど……俺は彼女もお腹の子も愛して……もちろん、君のことも愛しているんだ」
「それで、私にその女と子どもも一緒に引き受けろ……そう仰ったのですか?」
あり得ない話だが、傾いた領地を立て直すためにセドリックの家がセリシエ伯爵領に援助した多額の投資を担保に、愛人をセドリックの第二婦人として伯爵家に招き入れろ、この男はそう提案したのだ。
「頼むよ、ミシャ。俺が悪かったのは間違いない。だが、お腹の子に罪はない……だろう? 俺はこのままだと父上に家から追い出されてしまう」
「脅した次は泣き落としですか。私がその提案を了承すると、本気で思っていらっしゃるのですか?」
セドリックから紡がれる滑稽で情けない発言に、冷静さを取り戻したミシャーナは自宅の応接室にあるペンを掴むと、懐から取り出した上等な羊皮紙に美しい字でサラサラとこう書いた。
『――私、ミシャーナ・ロゼリア・ド・セリシエは、婚約者セドリック・ベルグレイヴの不貞により、この婚約を破棄いたします』
そして更に、こう追記した。
『婚約者の不貞により伯爵令嬢という地位と私の名誉を多分に傷つけられました。受けた心身の痛みは言うまでもありません。よって、ベルグレイヴより三億シェンを慰謝料として要求いたします』
サインを書き終えると、羊皮紙はキラキラと光を放ちながら封筒の中に納まり、ミシャーナが封蝋に家門印を押すとその場から封筒ごと消え去った。
この羊皮紙には妖精による魔法がかけられており、契約者の意思で必要な相手のもとへ瞬時に届く――かなりの高級品だった。
いつか必要になるかもしれないと、ミシャーナの父が十年以上も前に用意してくれたものだ。その後、苦しい領地経営が続いたが、それでも手放さずにいてよかったと、ミシャーナは思った。
「まさかミシャ、今の手紙……」
「ええ、ベルグレイヴ男爵宛にお送りしました」
淡々と何の感情も感じられないミシャーナの声に、自分の置かれた立場をようやく理解したのか、セドリックは青ざめながら急いで自宅に戻って行った。
大慌てで伯爵家を出ていく馬車を、応接室の窓から見送ったミシャーナは深いため息をひとつだけついて、まだ震える自身の手を握りしめる。
――最初は政略結婚だったけど、婚約してからの五年間はセドリック様を好きになるよう努力し、そして好かれるようにと努力したの。その結果が……これなのね。
それでも、私はあなたが好き……でした。
噛みしめた唇の色が失せ、目の奥の熱が一気に押し寄せ、涙があふれる。ミシャーナはその場に崩れ落ち、鼻の奥を詰まらせながら何度も自分に言い聞かせるように「好きでした」と呟いた。
※ ※ ※
ベルグレイヴ男爵は野心家だったが、何よりも義理を重んじる人物でもあった。そのため、ミシャーナから届いた手紙を読み終えると、セドリックを呼びつけた。
手紙が届いた数十分後、執務室に駆け込んで来たセドリックから事情聴取をおこない、ミシャーナからの手紙が真実であると理解した。
「どうして、そのようなことをしたのだ。セドリック、お前のためを思い良縁を結んだというのに……お前と言うヤツは」
「でも、父上。向こうは伯爵とは言え没落貴族……うちの家門から金が出なければ立て直しも出来なかったような家ですよ」
息子はその整った顔にヘラヘラと笑みを浮かべ、何という事か伯爵家に泥を塗るような言葉を吐いている。呆れたものだ。
「お前は遊んでいて知らないだろうが、」
抑えられない怒気が言葉尻に強く出る。そして、ベルグレイヴ男爵はうすら笑いを浮かべるセドリックを睨みつけた。
「セリシエは、我々が貸した金をとっくに返し終わっている。伯爵領に貸し付けた金は一億シェンだ。飢饉に遭ったセリシエ領を賄うとしてもたった数か月の金だが、彼らは身を削って働き、その程度の金で領地を一年ほどで立て直した。なかなか出来るものではない」
ベルグレイヴ男爵は、紅茶をひとくち飲むとため息をひとつつき、話を続けた。
「その立て直しに一番貢献したのが、ミシャーナ嬢だ。彼女の商才は計り知れないものがあると見ていた。私はあの娘を認めていた。それなのに……不貞を働いたばかりか、子まで作るとは……お前は、なんてことをしてくれたのか」
男爵は頭を押さえながら横にゆっくり首を振る。
「父上、そうは言いましても……私は相手の女性を真剣に愛してしまったのです」
「相手の女性というのは、オリヴィエ・トゥランゼル男爵令嬢だろう? 最近よく連れていると思っていたのだ。誠実に生きよというには年齢的にも堅苦しいかと、少々の女遊びは結婚するまで諫めまいと思っていたのが仇となるとは……」
男爵は立ち上がると、セドリックに背を向けてこう告げた。
「セドリック、お前は何処へでも行け。二度と我が家に帰って来るな。ミシャーナ嬢には私から慰謝料を払う代わりに、お前には何も渡さない。いいな?」
「ち、父上!?」
さすがに、セドリックも本当に絶縁されるとは考えていなかった。家を追い出されても援助くらいはしてもらえると、のんきに考えていたのだ。
「父上、ですが……これから子も生まれます。父上に見限られたら、俺は……」
「私の子だというのに、残念だよ。自分で働いて金を稼ぐことを覚えなさい」
冷たく言い放たれた言葉にショックを受けたセドリックだったが、男爵が振り向くことは無く、肩を落としたまま執務室をとぼとぼと出て行った。




