プロローグ 初めての屈辱
公爵家の長男として生まれてきた『ヒューリ・エンバス』
彼は天才と称されていた。
この世に生を受けてから11年間、その知能も、剣の腕も、『全てが常軌を逸する』と彼は賞賛の声に囲まれながら育ってきた。
さらに社交界では品行方正。
その紳士としての優雅で丁寧な所作、振る舞いには、王家の長女ですら彼の虜になってしまうほどだった。
才色兼備、完全無欠。
まさに欠点などない完成されたようなその存在。いまだ彼に難関とされるものはやって来なかった。
その内側は……
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この日は特別な日だ。
この国オーレンス王国では、12歳の年に古代からある神聖なる祠で『神からの信託』を賜る儀式を受けることになっている。
そしてそれは階級や立場を問わない。
貴族も平民も、スラムに住む子供達だって受けれるものとなっている。
それは彼らの行く末を決める|《称号》を会得するための儀式だ。
古代では
魔を打ち滅ぼす者『勇者』
魔法を極めし者『賢者』
人を癒し導く者『聖女』
など、
歴史に名を残す偉大なる称号を受け取った者達。その手のひらにはそれぞれの『紋章』を宿していたと言う。
会得した称号によってその立場は一変する。
それほどこの世の人間にとっては『称号』は重要なものと言える。
オーレンスではそれを神聖な行事として、大切に大切に執り行われる。
彼らを集められた場所もそれに見合うような施設となっていた。
信託を授かる神の祠、その周りに巨大なテントを張り、豪華絢爛な装飾と、有名な調理人を集め、腕を振るわせた最高級品が立ち並ぶ。
彼ら等彼女等はその並べられたその品々に軽く口をつけ、立食を楽しみながら、『信託の儀式』の時間を待っている。
当然、彼『ヒューリ・エンバス』も参加している
『みて、ヒューリ様よ』『今日もお麗しいわ』『あの方ならきっと素晴らしい信託をお受けになるのでしょうね』
彼を目にした令嬢たちから黄色い声援が飛び交う。
そんな彼女たちに彼は優しく微笑みながら軽く手を振り、会釈をする。
その所作を見て、さらに声が大きくなる。
その声がそのまま世間から彼への評価として受け取れる。
父と母からだけでなく、周りからも期待を寄せられているその光景は、今までの彼の功績を想像するに容易い。
能力も高く、生まれも育ちも良く、所作まで美しい。彼を羨む者はいれど、嫌う者などそうそういなかった。
敵を作らない処世術。
そういうふうに、彼は振る舞ってきた。
だが、そんな彼の内側は––––
(当たり前だ。私は人の上に立つべくして生まれた存在。下品にも媚態を晒し、嬌声をあげ、無駄なことに時間を費やしている貴様等とは、格も、見ているその先も、あまりにも違いすぎる。貴様等は凡夫としてせいぜいその面白味のない人生を謳歌するがいい。私は覇道を突き進みこの国を手に入れてみせる)
––––傲慢な思考で埋め尽くされていた。
「あ、ヒューリ〜」
そんな思考に耽っていると、とある女性から声がかかる
彼も良く知るその人物は……
「も〜探しましたわ〜」
「ルタリナ殿下…ごきげん麗しゅうございます」
この国が誇る由緒正しき美麗な一輪の華。
王家の血筋を辿る正統後継者の1人、『ルタリナ・リッヒ・オールシア』王女その人であった。
ヒューリが、馴れ馴れしく話しかけることも、ましてや簡単に接触を許すのも、家族を抜いて彼女ただ1人といえるだろう。
「殿下、淑女がそのように人に密着するものではありませんよ」
「も〜、そんな冷たいことをおっしゃらないでほしいわ。わたくしと貴方の仲でしょう?」
ヒューリの片腕を抱きしめながら茶目っ気溢れる表情で彼に苦言を呈する。なんとも愛らしい表情だ。
彼女の容姿は『華』と称されるに値する。
そのブロンドの髪は綺麗に輝き光源から受け取った光をキラキラと反射させる。
動くたびに、髪が揺れるたびに彼女のか周りとその幼くも美しい顔を煌々と照らす。
その穏やかで愛嬌のある容姿は、見るものを癒す、まさに慈愛の女神と言ったところだ。
彼は心の中でほくそ笑む。『実に順調だ』と。
(この女は完全に俺に惚れている。王もこの私であれば納得してくれるはずだ。このまま婚約を取り付け王族を取り込む。そしてゆくゆくは、私が、俺こそが王となる。そして他の国へ進軍し……この世界の全てを手中に収めてやる)
その驕りに驕った彼の性質、その精神性は留まることを知らない。その野望は計り知れず、世界侵略などと言う無謀な夢まで見せた。
だがそんな彼の野望はこの日、この時を持って砕け散る事となる。
–––––––––––––––––––––––––––––––––––
「次、ヒューリ・エンバス。前へ」
白い衣装に身を包んだ神官に名を呼ばれる。
彼の順番が回ってきた。
父や母や、周りの人間全てから期待の眼差しが集まる。
高揚と少しの緊張、そしてこれからの自分が歩む覇道に胸を高鳴らせ歩んでゆく。
ついにその祠の中に、その足を入れる。
先ほどの熱い視線は遮られたが、胸の高鳴りは治らない。
彼を案内する神官はゆっくり進み、その数歩後を同じ歩幅でピッタリとついて歩く。
祠への中へ進むその一歩一歩が煩わしく感じさせ、胸の動悸が強く激しく動く。
彼が足を止め、ヒューリへと振り返る。一つの石碑の様なものへ手を差し向ける。
「さぁ、ここへ手を」
神官の指示通り、その石碑へと手をかざす。
彼はそこで目にする。自分の未来の映像を。
思いもしなかった未来の自分を。
–––––––––––––––––––––––––––––––––––
––––も!……リを!お前はここで僕が打ち滅ぼす!」
(……なんだ?)
「人間如きに何ができる。そこの男の様に貴様も我の掌で哀れに踊り狂って死ぬのだ」
(……何を話して––––
霞む視界が少しずつ晴れてゆく。
何かと何かが言い争いをしている
だがそんなことに意識をやっている場合ではなかった。
「……は?」
彼の腹には穴が空いていた。痛みは感じない。それは信託から与えられた映像でしかないからか……それともすでに脳が命を諦めているから、今の彼には知る由もない。
(なんだ、どう言うことだ!俺が死ぬ?死ぬのか?こんなものが俺の未来?)
彼らへと目をやる。
片方は長く鋭く尖った角。蝙蝠のような羽と竜のような鱗に包まれた尾を生やしており、肌の色も黒ずんでいる。人間のそれとはかけ離れた様相。
魔族だ。
そしてそれと向かい合っている複数の人間。
先頭に立っている剣を構えた金色の髪の男。彼の剣を握るその手の甲には『紋章』……文献で見たことある『勇者の紋章』だった。
後ろに2人の女性……1人は見覚えのある面影を残している。ルタリナ王女だ。彼女の手には『聖女の紋章』
彼らと魔族は互いに睨み合い一触即発の空気だ。
彼を差し置いて彼らの物語が続いている。
ヒューリは完全に蚊帳の外。いや、彼らが自分へ送る目は……『憐憫』哀れみの目だった。
「そいつは実によく働いてくれた。この私のコマとしては実に上出来な操り人形……道化としてはこれ以上のない素質であった」
バカにするような口調、侮蔑の目でこちらを一瞥する。
「ふざけるな!彼は……彼はどうしようもない男だった…だけど!邪悪で身勝手なその欲望を満たすために奪われて良い命などこの世には存在しない!」
哀れみ、侮蔑され、挙げ句の果てに庇われる。その態度に、その言葉に彼を覆っていた困惑や漠然とした死の恐怖が払拭される。
「…カッ……ガフゥ…」
何かを吠えようとしたがもう口がまともに動かない。だが終わりに向かうその身体とはうらはらに彼の心中は熱く燃え盛る。
それは……『屈辱』だった。
そのあまりにも耐え難い激情を抱きながら、彼の意識は途絶えた。
–––––––––––––––––––––––––––––––––––
気がつくと、彼の意識は戻っていた。
「な、……な、な」
彼はいまだに理解ができていない。
あの耐え難い未来の光景に、心中では激情が渦巻いている。
故に、神官の慌てふためいた態度に反応している余裕はなかった。
だが神官も彼の態度などに気をやっている余裕はない。
「も、紋章がない……?!信託の称号を賜っていない…っ?!」
長年、あらゆる子供達の儀式に立ち会い、あらゆる信託の結果を見てきたその男にとって初めての出来事だった。
故に、どう対応すればいいのか分からずたじろいてしまう。
「……儀式は終わったので……もう良いでしょうか?」
「え?あ、あぁ……いや、え?いい…のか?いや……そうだな。うむ。行くと良い」
何も分からない。故に彼の頭はいつも通りの対応を選んでしまう。
本来こんなことあってはならない。12歳を超えた人間が……神からの称号を得られないなど…それは人として認識して良いかも分からない。
彼に与えられたのは未来の耐え難い光景のみ。
だがこの世に称号を会得していない人間は稀にではあるが……存在している。
その者達は蔑称を込め、『紋無』と呼ばれていた。
ヒューリ・エンバスもそのうちの1人となってしまったのだ。
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彼はその後、呆然としたままテントへと戻る。
期待の眼差しを向けたまま質問を投げかけるあらゆる人々を無視して、両親の元へと報告へ赴く。
本来の彼であれば、あり得なるはずのない失礼とも取れる対応。それほど彼の心中は穏やかではなかった。いや、もうどうでも良かった。そんなことを気にしている場合ではないのだ。
耐え難い結果を聞いたヒューリの両親は驚きを隠せない。
不幸な運命に翻弄された子を慰める両親。
そんな中騒然した声が届く。
「ゆ、勇者の紋章!勇者の紋章だッ!」
その声を聞いた者達がさらに大きな声をあげ、それらが合わさり雑音へと昇華させてゆく。
勇者の紋章を授かったその少年は、身寄りのない子供だ。
近くの修道院で孤児として引き取られた子供だった。
彼の周りに人盛りができる。
その少年を褒め称える賛美の声で賑わう。
ヒューリの心情をかき乱すかのようにその騒ぎは大きくなっていった。
その彼の見た目は、あの信託で見た魔族と相対した男の面影があった。
その後王女であるルタリナ姫の手の甲には『聖女の紋章』が宿っていた。
あの信託が真実であると裏づけるかのように次々とピースが揃ってゆく。
雑音の中に混じってのとある声がポツポツ届き始める。
『勇者と聖女お似合いの2人だ』『素晴らしい血だ王家へ取り込むべきだ』『彼ら2人を婚約させよう』
その現実は彼には耐え難いものだった。
両親はこの事は公表せず、誰にも気付かれぬうちに自らの屋敷へと彼を連れ帰った。
子を愛する彼らには、これ以上ここに居させると言う選択肢は選べなかった。
両親は屋敷で彼を慰めた。
だがその態度が余計、彼の中の猛火に油を注ぐ。
そんなことにも気付かず、彼の両親は『今はそっとしておいてやろう』などと逆効果な気遣いを見せる。
彼が家族にさえ良い顔を見せ続けた弊害だった。
自室に篭りながら彼は溶岩のような、熱くドロリとした感情に身を焼き始める。
(この私が……この俺が…可哀想……ッ?!そう言いたいのか––––
––––クソどもが……」
気付いたら、口に出していた。
誰にも聞こえないような小さな小さな声。
今まで一度も出した事のないその傲慢な心情を、初めて……表に出した。
初めて態度に表す激昂だった。
一度呟いたら、止まらなくなる。
今の彼には
「ぁ"ぁ"ぁ"あ"あ"あ"あ"ッ!」
自分が死ぬ未来や
「ふざけるなふざけるなふざけるなぁッッ!この俺があんな人間もどきに良いように扱われて死ぬだと?!ふざけるのも大概にしろよぉ……」
王女との婚約を奪われたことなど
「この俺を……この俺を見下すなァァア!俗物どもがぁあッッ」
どうで良かった。
「はぁ、はぁ、……信託だがなんだか知らんが、占い如きでこの俺の運命を曲げれると思うな……今に見ていろ……お前らなど所詮俺の踏み台だと言うことを教えやる。必ず、必ずその哀れみの目を屈辱に塗れさせてやる」
彼の中にあるのは耐え難い屈辱のみだった。
抑え込めるはずもないこの感情を解消するには、それ相応の結果を見せつけ、自分への見る目を変えさせるしかない。
その日から彼は変わり始める。
この信託は彼の運命を捻じ曲げたのだ。
いや、そもそもこれが彼の運命だったのか……それとも神の戯れか、憐れみによる慈愛か、そんな事誰も知る由もない。
ただ彼の中にはその屈辱を晴らすことしか頭にない。
その日から彼の評価は劇的に変わる。
『紋無』と言う侮蔑の評価などでは収まりきらない……
『品行方正』『才色兼備』などと彼を呼ぶ者はいなくなる。
彼はその荒々しくも禍々しい内情を抑え込めなくなってゆく。
それは果たしてこの国に、世界にとって良いこととなるか悪いこととなるか……それも、誰も知る由もないことだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
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