08.迎えに来ない理由
「少し前に、思い出したことがあるんだけど」
沈黙するといやなことばかりを考えそうで、リーザックは無理に話し続けた。
「どんなこと?」
「ぼくはすごく狭い所にいて、身体を丸めてるんだ。なぜかよくわからないけど、すごく怖いって思って……そのうち身体がぐるぐる回った。どこかに放り出されて転がってるみたいだったような感じなんだけど、それが本当にあったことなのか、そんな夢を見て覚えてるだけなのか、それもあいまいなんだ」
「狭い所って、たまごの中?」
「そうかも知れない。生まれる前にあったこと……なのかな。放り出されたのは、あの穴から出た時で、そのまま地面を転がったのかも」
あくまでも、バロが言ったことが本当であれば、の話だが。
リーザックはあの穴を抜けて、別の土地からカシアの山へ来た。
そこまでは、ほぼ確かなように思われる。
しかし、それだけではリーザックがどこから来たのか、という手掛かりにはならない。その前後に何が起きたのかも、結局は闇の中。
「もし……お母さんやお父さんが何かの事情で戻らずの穴にたまごのぼくを放り込んだとして、どうしてその後、迎えに来てくれないのかな……」
未だに問題が解決できず、迎えに来られないのか。そもそも、迎えに来る気がないのか……。
ザジは「行く気があるなら、両親を捜しに行け」と言った。だから、捜そうと思う。
両親の顔を見たいし、自分がこの山で生まれることになった理由も聞きたい。
しかし、そう決めたリーザックを、同時に大きな不安が襲う。
両親が自分を「捨てた」のだとしたら。捜さなければよかった、と思う結果になったりしたら……。
「あっちも捜してるわよ。だけど、出る場所がまちまちなんでしょ。だから、どこを捜して行けばいいのか、両親だってわからないのよ。地図だと狭いけど、世界ってすんごく広くて大きいもん」
「そう……なのかな」
「そうよ。もし……本当にもしもの場合だけど。両親がリーザックを捨てたってことだったりしたら、それはそれでちゃんと事情を聞くべきだわ。だって、リーザックは何も悪いことしてないのよ。生まれる前なんだから、することもできないじゃない。どうしてってことを聞くケンリがあると思うわ」
クミルの言うことも、もっともだ。リーザックは何もしていない。生まれる前なのだから、やろうとしてもできない。
「最悪の答えが返ってきたら……その時はその時よ。心配しないで、リーザック。あたしがいるわ。本当に姉弟じゃなくても家族みたいな、ううん、家族だもん。だから、あたしがそばにいるからね」
「だけど……今ぼく達が逃げてるのは、その家族からだよ。それはいいの?」
言いながら、リーザックは意地悪な質問だと思った。
せっかく、クミルは自分のそばにいる、と言ってくれたのに。その言葉がとても嬉しいくせに。なぜ困らせるような質問をしてしまったのだろう。
「いいのよ」
リーザックは自分の言葉に後悔したが、クミルはちゅうちょせずに言い切った。
「え……」
「だって、お父さんはリーザックを殺すかも知れない訳でしょ。食べる以外で命を奪うなんて、絶対にダメ。だから、この場合はリーザックの方が大切なの。リーザックの命以上に、大切なものなんてないでしょ。だから、逃げるべきなの」
時々、クミルはまっすぐなのか無茶苦茶なのか、わからなくなる時がある。
しかし、彼女の言葉が、沈みかけていたリーザックの心に温かく広がった。
初めて竜の姿を見た後でも、クミルはひたすらリーザックの心配をして……。
そんな彼女の行動や言葉で、十分満たされる。もし自分にとってつらい現実が待っていたとしても、クミルがいてくれるならそれでいい。
この先どういうことが起きたしても、クミルだけは守りたい、と心底思うリーザックだった。
「暗くなってきたわ。どこか休める場所を探さないとね」
「うん、そうだね」
枝葉に遮られ、光はわずかしか差し込まない。今日はずっと曇っていたから、なおさらだ。
夜になれば、まともに動くことはできなくなる。暗闇で動き回るつもりは、さすがにクミルにもなかった。
しかし、こう言った時点ですでに周囲はかなり暗く、視界は悪くなっている。
歩き出そうとしたクミルは、一歩踏み出したものの中途半端に木の根を踏んでしまい、足をすべらせてしまった。昨日の雨でぬれていたのも、一因だろう。
「いったぁ~」
転んだ拍子に、右の足首がぐきっと鳴った気がする。
「クミル、大丈夫っ?」
「だ、大丈夫よ……。ちょっと転んだだけだから」
言いながらクミルは立ち上がったが、やはり足首に痛みが走った。
「ここで座り込んでる訳にいかないでしょ。もう少し休みやすい場所を探しましょ」
無理に笑いながら歩き出す。
その歩き方が不自然なので、隠そうとしてもばればれだ。リーザックは、黙って肩をかす。
「少しくらい……ダイハおじさんに魔法を習っておけばよかったかな。魔力があっても、ぼくには使い方がわからないから、クミルの足を治してあげられない」
姿を変えられるのだから、魔法は絶対にできるはず。しかし、どうやればいいのか、さっぱりわからない。
「やだなぁ、リーザック。そんなの気にしなくていいよぉ。それに、魔法を習ってたら、もっと早くに竜だってことがばれてたかも知れないじゃない」
リーザックにすれば、いっそ早くにばれてた方がよかったのではないか、と思えてくる。
魔法使いのダイハなら、何か違う形で対応してくれていたかも知れない。クミルが心配するように湖に沈められる結末になったとしても、こんな山の中で彼女を危険にさらすことはなかったはずだ。
「ごめんね、クミル」
「もう、どうしてリーザックが謝るのよ。あたしがドジったのに」
クミルは屈託なく笑った。
☆☆☆
そこから少し進んだが、やはりクミルは歩くのがつらそうだ。
リーザックはこの山へは何度も薬草を採りに来ているが、今いる辺りのことは全くの不案内だ。このまま歩いても、楽に休めそうな場所が見付かるとは限らない。暗い中を歩いても、道が拓けるとは思えなかった。
休むのに適した場所とは言えないが、ある木の根本にクミルを座らせた。
「今夜はここで休もう。本当は、水が近くにあるといいんだけど」
リーザックは、クミルの右足首にそっと触れてみた。かなり熱くなってきている。相当痛むだろうに、クミルは弱音を吐かない。
「ねぇ、クミルは火を点けられるって言ってたよね。それなら、焚き火はできるだろ?」
「できると思うけど……火はやめた方がよくない?」
「どうして? ランプも何もないから、もうすぐこの辺りは真っ暗になるよ」
竜の姿に戻って以来、リーザックは暗闇でもだいたい見えている。
しかし、たとえ一人前の魔法使いであっても、人間のクミルには暗闇を見通すことはできない。
今だって、陽が落ちてかなり暗くなっている。すぐそばにいるはずのリーザックの姿が、しっかり見えなくなってきた。少し離れたら、本当に見えなくなってしまう。
「煙が出るでしょ。その煙を見て、追っ手が来るかも知れないじゃない。見付かっちゃうわ」
「だけど、その前に獣が寄って来るかも。獣よけの火は必要だよ」
「……うん」
そう諭され、クミルはリーザックが集めた落ち葉や枝に火を点けた。ぬれているせいか何度か失敗はしたが、とんでもなく大きな火になることもなく、普通に焚き火ができてひとまず安心だ。
「ぼく、近くに水がないか探してみるよ。クミルの足、冷やさないとね」
「だけど、リーザック……暗い中を歩くのは危ないわよ」
「ぼくはちゃんと見えてるから、平気だよ。待ってて」
そう言って、リーザックはその場を離れた。
やっぱり無茶だ。このままクミルを連れて、村を離れる訳にはいかない。
リーザックはよくても、クミルはちゃんと足の治療をしなければ悪くなる一方だ。
とにかく、今は水を見付けないと……。
リーザックは精神を集中させ、水の気配がないかを探る。
だが、見付ける前に、クミルの悲鳴がリーザックの耳に飛び込んだ。
「クミルッ!」
リーザックは、すぐに彼女のいる場所へ引き返す。まだそんなに離れていなかったので、クミルのそばへ戻るのにそう時間はかからない。
「クミル!」
「リ、リーザック……どうしよう……」
クミルのいる木を中心に、山犬が取り囲んでいた。
せっかくの焚き火も、あまり効果はなかったらしい。火が小さかったからか。十匹近くいる山犬は、動けないクミルを狙っていた。
リーザックは一番近くにいた山犬の横腹を蹴り、獲物を取り囲む輪の一部を壊してクミルのそばへ駆け寄った。
「あたし、こんなたくさんの山犬、相手にできない……」
言われなくても、それは予想できた。
さっきの焚き火でも、枝葉が湿っていたとは言え、なかなか火が点かなかったのだ。魔法を習って間がないクミルには、対応できる相手の数もレベルも軽く越えてしまっている。
火のついた枝を持って追い払おうにも、枝はあまりにも貧弱だ。これが松明にできる程の太い枝なら、火を近付けて抵抗の一つもできるのに。
やっぱり、ぼくが山に入るのを止めていれば。
今言っても、仕方ないこと。だが、後悔の波が押し寄せて来るのは避けられない。
「リーザック……」
泣きそうな声で、クミルは自分の前で壁になってくれているリーザックの服を掴む。
一匹の山犬が、地面を蹴った。それにつられるように、次々と他の山犬も飛び上がる。
「来るなっ」