06.村へは戻れない
「そうだ……リーザック、もう村へ帰っちゃダメ」
急にそんなことを言われ、リーザックはきょとんとなる。
「どうして? いつ村を出るにしても、ちゃんとおじさん達や村長さんに挨拶をしなきゃ……」
黙って出て行けば、何かあったのでは、と心配をかけてしまう。最後にそんな迷惑をかけたくない。
「ダメよっ。今帰って、もしリーザックが竜だってことがばれたら、湖に沈められちゃうっ」
「え……レイジの村って、そんなに竜をきらってたっけ?」
今までそんな話を聞いたことがないリーザックは、不思議そうに首をかしげた。
そもそも、竜祭りの時以外で、村人の口から竜という言葉が出た覚えがない。竜を嫌う、怖がるという以前の問題だ。
「ちがう……ちがうのっ」
クミルは、ついさっき聞いた竜祭りのことを、リーザックに話した。
いつもなら作り物の竜を沈めるが、本物がいれば御利益がありそうだ、という話がされていたことを。
「そのままだと竜もおとなしくしてないだろうから、魔法使いが竜を眠らせてって……つまり父さんがリーザックを眠らせて、湖に沈めるってことなのよ」
話していて、背筋がぞっとする。
幼なじみと言うより、ほとんど姉弟のように育ってきたリーザックを、よりによって父が害することになるのだ。
大好きな父が、大好きなリーザックを。
「逃げよう、リーザック」
「え……」
クミルに引っ張られ、つられるようにしてリーザックも立ち上がった。
「だって、どっちにしろ村を離れるつもりなんでしょ。だったら、今すぐよ」
話の展開についていけないまま、クミルに引っ張られるリーザックだった。
☆☆☆
まずは砂浜から街へ続く道まで戻り、それから北へ歩き出す。
「あの……ねぇ、クミル」
「何?」
「ぼくが村へ戻らないっていうのはわかるんだけど、どうしてクミルまで一緒に来るの? クミルは関係ないんだし」
「関係ないって、何よ、それっ」
何かわからないが、怒らせた。
「さっき言ったでしょ。リーザックは命を狙われてるし、それを狙ってるのはうちの父さんなのよ」
「うん、それは聞いたけど……」
やっぱり、クミルがリーザックと同行する理由にはなっていないような。
「どっちにも、そんな悲しいことになってほしくないもん。もし、父さん達が追いかけて来ていざとなったら、あたしがオトリになるから」
「……どうやって?」
リーザックはしごくまともな質問をしたのだが、クミルは聞いてない。と言うか、考えていなかったので、聞いてないフリをしていた。
「クミル、無茶だよ。何も持たないで村を出るなんて」
着替え。食料。お金。
どちらも、手には何もない。ポケットにコイン一枚すらも入っていなかった。
「取りに戻って見付かったら、大変じゃない。もう村から出られなくなるわ。きっと祭りの日までどこかに閉じ込められるか、さっさと眠らされるのよ。リーザックを逃がすかもって思われて、たぶんあたしも部屋に閉じ込められるわ」
自分達の仲のよさは、村の誰もが知っている。きっと、何か余計なことをしないかと思われ、見張られるだろう。
「大丈夫、いざとなれば山で木の実を採るとか、川で魚を捕まえるとかして食べ物はどうにかなるわ。あたし、小さな火なら出せるようになったもん。焚き火の心配はしなくていいわよ」
食べ物や焚き火より、リーザックとしてはクミル自身のことが一番心配なのだが。
しかし、早足で歩くクミルはリーザックの心配など気にせず、とにかく村から離れることだけを考えていた。
「あ、そうだ。リーザックを捜してた時、こっちの方へ走って行くのを見たって、ワイトが言ってたの。だから、あたしもこっちへ来て、リーザックを見付けたんだけど。あのおじさんが村のみんなに話したら……きっとすぐに追い付かれるわ」
どうがんばっても、クミル達のような子どもの足と大人の足では違いすぎる。それに、追いかけようとするなら、馬を使うかも知れない。
だとしたら、なおさら追い付かれる危険性は高くなる。
「リーザック、少し山の中へ入ろ。追っ手の目をアザムクの」
「クミル、アザムクなんて言葉、どこで覚えたのさ」
「そんなの、今は問題じゃないわ」
言いながら、クミルは山の方へと進む。
これで本当に追っ手の目をごまかせるのか、リーザックは疑問だった。それ以前に、追っ手が来るかどうかも怪しい。
夜になって戻らなければ、子ども二人が迷子になった、ということで捜索は始まるのだろうが……。
とにかく、このままじゃいけない。リーザックはともかく、クミルが一緒に来る理由はやはりどこにもないのだ。
彼女の勢いでつい一緒に歩き出してしまったが、同行するべきではない、とはっきり言わなくては。
「ねぇ、クミル。やっぱり」
リーザックが言いかけたと同時に、クミルの足が止まる。
理由はすぐにわかった。進行方向に魔物がいたのだ。
黒く、長い毛に覆われた身体は、人間の子どもくらいの大きさ。背はクミルより少し小さいくらいだ。でも、腕は太い。
猿のような顔をしているが、やけに人間っぽい表情をしている。その顔がニィッと嗤った。
リーザックがかばうようにして、クミルの前へ出る。
「おンやぁ? お前さん達、レイジの村の子だな。こんな所で何やってんだい」
「あたし達のこと、知ってるの?」
「ああ。お前さん、魔法使いの娘だろ」
こちらは知らなくても、魔物はこちらのことをよくご存じらしい。
少しばかり知能がある魔物は、何かと厄介だ。下手なことを言うと、その言葉を利用されたりする。
「おいらはバロってんだ。よろしくな。この坊やは……竜だよなぁ」
「え……」
リーザックは目を見開き、クミルは自分をかばってくれていたリーザックの後ろから出た。
「ちょっとっ。どうしてリーザックが竜だなんて」
「いつだったか、月のない夜、湖に向かって吠えてたろ。何だと思って見に行ったら、この辺りにいるはずのない竜がいるんだからなぁ。しまいには、その坊やに姿が変わったんだから、驚いたぜ」
まさかこんな魔物にそんな情報が入っていたなんて、予想していなかった。しかし、さっきのように大声をあげていれば、注目されても仕方がない。
これでは、声の主=竜=リーザック、という情報が村人へ入るのも時間の問題だ。常に最悪の事態を想定しなければ。
「それにしても……手をつないで道から外れた山を歩くなんて、まるで駆け落ちだねぇ」
「そ……そんな感じよ。だから、邪魔しないで」
「おやおや、若いのになかなかやるねぇ」
駆け落ちがどういうものかよくわかっていないクミルだったが、何でもいいからそれを理由にしてでも先へ進みたい。
「あたし達、急ぐから」
バロが行く手をふさいでいるので、クミルは進行方向を少しずらして先を急ごうとした。
「ちょいと待ちなよ。駆け落ちってことは、どこか遠い所へ行きたいってことなんだろ」
「ええ……そうだけど」
駆け落ちはともかく、遠い所へ行きたいのは事実。少しでも早く、村から遠ざかっておきたい。
「だったら、いい道があるぜ。こっちへ来なよ」
バロは背中を丸めた格好で少し先を歩き、こちらを振り返る。
「ぼやぼやしてたら、追っ手に捕まるぜ。それはいやなんだろ?」
今のクミルに、バロのこの言葉は殺し文句だ。
「リーザック、行ってみよ」
「危ないよ、クミル。魔物が本当のことを言ってるかどうかもわからないのに」
「だけど、どっちにしても山の中へ入って追っ手を」
「アザムクんだろ。だけど、自分達が迷子になったら、どうしようもないよ」
「何とかなるわ。カシアの山は人間の足では登れないって程に高くないもん。ずっと真っ直ぐ歩いて行けば、いつか頂上を越えてあとは下るだけよ」
ものすごく楽天的な考えに、リーザックは何も言えない。現実の山が、小さな砂山のように越えられる程、楽なものではないのに。
だが、結局リーザックはクミルを止められず、彼らはバロの案内する方へと向かった。
☆☆☆
方向はもうわからなかったが、とにかくずいぶん移動したような気がする。少なくとも湖沿いの道からこんな山の中まで入って来ているとは、追っ手もすぐには気付かないだろう。
「ねぇ、ちょっとぉ。まだなの? いい道ってどこなのよ」
「もうすぐさ。変な場所へ向かって追っ手と鉢合わせ、なんてのはいやだろう?」
バロはにたにたしながら、先を歩く。
やっぱり魔物について行くのは危険だったかと思ったものの、今更引き返せない。自分が言い出しただけに、クミルもやめようとは言えなかった。
カシアの山の魔物のことは父から教えられていたが、正直なところ、しっかり頭に入ってない。
でも、バロのような魔物は人間をエサにしていなかった……ように思う。ちょっとずる賢く、いたずら好きと聞いた気はする。
とにかく、喰われるような危険性はなかったはずだが、人間を喰う魔物の前に貢ぎ物として騙して連れて行く、という可能性は……ないとは言えない。
「言っておくけど、おかしなことをするつもりなら、こっちだって考えるからね」
「おやおや、怖いねぇ。どんなことをすれば、おかしなことになるんだい?」
ねちねちした言い方が癇に障る。
「クミル、余計なことは言わない方がいいよ。怖がってると思われて、バカにされる」
リーザックがクミルに耳打ちした。
「う、うん……」
威嚇するつもりが、逆にこちらの足下を見られかねない。今の会話が、まさにそうだ。