04.竜の正体
もしかして、具合が悪いのかしら。
普通の生き物よりもずっと生命力は強いだろうが、病気にならない、とは限らない。人間にはわからない不調だって、竜にはあるだろう。
気になるが、声をかけるなんてできない。こうして近付こうとしているクミルも、そこまでするのはさすがに無理だ。
そんなクミルの心配をよそに、竜の姿が見ている間にどんどん小さくなり始めた。
え……どうして。まさか消えちゃうのかしら。あたしに見られてるってわかって、どこかへ行くつもりかな。だけど、竜が人間を恐れて逃げる、とは思えないし。
クミルが道から身を乗り出して見ていると、竜はさらに小さくなってゆくが、消えることはなかった。
ある程度まで縮むと、今度は形が少しずつ変わってゆく。
竜から……人へ。
え……あれって……。
やがて竜の姿が消え、その場に残ったのは肩で息をしているリーザックだった。
座り込んで両手を砂の地面につき、しばらく激しい呼吸を繰り返すリーザック。やがて、視線に気付いたのか、振り返った。
そこには、呆然としたままでこちらを見ているクミルがいる。
「クミル……」
何だか泣きそうな顔でリーザックがつぶやくのを見て、ようやくクミルは正気に戻った。
「リーザック!」
クミルは急いで斜面をすべり降り、少年のそばへ駆け寄る。
一瞬、リーザックが逃げるのではないかと思ったが、彼はクミルが来るのをその場で立ち上がって待っていた。
「リーザック、苦しいの? あたし、何をすればいい?」
まだ完全に呼吸が落ち着いていないリーザックの顔を、クミルは両手ではさんだ。その言葉と行動に、今度はリーザックが呆然となる。
「あの、クミル……怖くないの?」
「え? 何が?」
きょとんとなるクミル。苦しいのかと聞いているのに、何を言っているのだろう、という顔だ。
「何がって、えっと、見てたんだろう? ぼくがその……」
言いよどむ。そんなリーザックを見て、クミルはさっきの竜の姿を思い出した。
「見て……? あ、そっか。ごめん、今はそのことより、リーザックが苦しそうなのが気になって」
いつもより、リーザックの顔が赤い。ひんやりとさえ感じる気温の中、リーザックの顔には汗が流れて。顔に触れた手に、熱が伝わってくる。
「……大丈夫。かなり落ち着いてきたから」
「本当に? 無理してない?」
確かに、呼吸は落ち着きつつあるようだ。でも、呼吸が戻ったからと言って、全てがよくなる訳ではないはず。
「うん」
「それなら……いいけど」
普通の病気の症状とは違う。その言葉を信じるしかないので、ようやくクミルはリーザックから手を離した。
「……クミルのことだから、てっきり質問攻めにされると思った」
もしくは、一目散に逃げるか。
自分が人間なら、きっとそうする。山で魔物を見たことがある人でも、こんなに大きな生物を見たことはないだろう。その大きさに恐怖を抱いても、当然だ。
しかし、クミルは違った。
叫ぶこともなく、逃げることもせず。最初にしたのは、リーザックの身体の心配だった。
そのことが、リーザックの心を温かくしてくれる。
「んー、さっきは確かに驚いたんだけど……すごくきれいだった。銀の鱗がきらきらして。リーザックの髪の色と同じね。目の色も。あ……さっき、すごい声が聞こえたけど、あれはリーザックだったの?」
「……うん」
言われたリーザックは、気まずそうな表情を浮かべる。
「あの声も、やっぱり苦しそうだったわ。リーザック、本当は具合が悪いんじゃないの? 今までもずっと、苦しいのをがまんしてたんじゃないでしょうね」
怒ったような顔で、クミルがずいっとリーザックに迫る。
「ち、違うよ。えっと……ちゃんと話すから、座らない?」
☆☆☆
リーザックに促され、クミルはその場に腰を下ろした。リーザックもその隣に。
雲が風に流され、太陽が顔を出したので少し暖かくなってきた。
「ぼくの両親が、ザジばあちゃんにぼくを預けた。ぼくが村にいる事情を、クミルはそう聞いてるだろ?」
「うん。……違うの? そういう言い方するってことは、違うのよね」
リーザックは小さくうなずいた。
「ぼくはカシアの山で、ザジばあちゃんに拾われた。ぼくはね……水竜なんだ」
はっきり「竜だ」と言われた。さっき、自分の目でも確かに見ているはずだが、クミルはそう聞いてもまだ半信半疑だ。
父の本で読んだことがある。竜には火、水、風、地に属する竜がいる、と。
そして、リーザックはその中で水に属する竜ということ。
「水竜って、大きな川や湖にいるんじゃないの?」
本当に水竜が人間に拾われるのなら、湖の方がしっくりくるのだが。
「うん、普通はね。水竜が、しかも子どもだけで山にいるはずはないんだ。どうしてぼくがカシアの山にいたのか、わからない。ザジばあちゃんも、ぼくの両親のことは知らないんだ」
「リーザックも覚えてないの?」
「うん。ザジばあちゃんが見付けてくれた時、ぼくは生まれて何日か経ってたみたいなんだ。そばにたまごの殻もあったって。近くに水がなくて、しばらく雨も降らなかったから、ぼくの身体はすっかり乾いてたって聞いた。そのままなら、あと二、三日くらいで死んでただろうって言われたよ」
生まれて数日間、食料どころか水さえもない状態。竜でなければ、とっくに死んでいた。
ザジが竜の子を見付けたのは、いつものように山へ入って薬草を探していた時。
その日は少し足を伸ばし、いつもはあまり行かない場所へ向かったのだ。彼女がほんのわずかな気まぐれを起こさなければ、小さな水竜はその場で命を落としていただろう。
竜は滅多に人前に姿を現すものではない。ザジが竜を見たのは、もちろん初めてだった。
しかも、子どもで……さらには死にかけている。
カシアの山に竜がいるなんて、これまで聞いたことがなかったが、それはそれ。今、大事なのはそこではない。
ザジはリーザックを放っておけず、持っていた水筒の水をかけてから、すぐに村へ戻った。
家であれこれと世話をするうち、小さな竜の姿が変化してゆく。
「……人間に?」
「うん。人間の赤ん坊の姿になったんだって。状況に応じて身を守ろうとする本能で、魔法を使ったんだろうって、ザジばあちゃんは言ってた」
鱗と同じ、青みがかった銀の髪。丸く大きな青い瞳。色白の肌。
そこにいるのは、人の形をした子どもだ。誰かが世話をしなければ、生きていけない小さな命。
愛らしい赤ん坊の姿になられては、なおさら放り出すことはできない。
ザジはそのまま竜の子に「リーザック」と名前を付け、育てることにした。
リーザックとクミルには、クミルの方が十日早く生まれている、という話になっている。正確には、クミルが生後十日の時に、ザジがリーザックを見付けて連れ帰った、というだけ。
本当の日数はわからないが、十日違いではなく、ほんの二、三日違い、もしくは同じ日に生まれたのかも知れない。
物心がついてくると、リーザックも「自分にはなぜ両親がいないのか」を疑問に思い始める。親の不在を気にするのは、竜も人間も同じ。
そばにいるのは、血のつながらない老女一人だ。なぜ、自分は彼女と一緒に暮らしているのだろう。
真っ直ぐにそれをザジにぶつけてみたが、両親がここへ預けて行ったのだ、とごまかされた。
最初はそれで納得していたが、今度は「いつになれば迎えに来るのか」といったことも突っ込み始める。
だが、それを言うとザジが悲しそうな、困ったような顔をするので「言ってはいけないこと」と子どもながらに判断し、言わないようになった。
本当のことの「一部」を教えられたのは、七つの時。
「お前はね、竜なんだ。水竜の子だよ」
リーザックはそれを聞いた時、最初は冗談かと思った。
「でも……ぼく、人間だよ」
日焼けしても、すぐに戻る白い肌。そこに鱗はないし、身長も村にいる同年代の子どもと大して変わらない。形はどう見ても、人間そのもの。
「今のその姿は、お前が作り出したものだよ。自分の魔法で、人間に変身してるのさ」
「ぼくの……魔法?」
魔法使いという存在はすぐ近くにいたが、自分がさらに強い存在だということが信じられなかった。
だいたい、今の姿が自分の魔法によるものなら、自分で解けるはずだ。しかし、リーザックはやり方がわからない。
ザジに「お前のことについて、少し話しておく」と言われたから何を言われるのかと思ったが、リーザックには理解できないことばかりだった。
「こんな片田舎の村に竜がいると知られては、よその人間がどっと押し寄せて大変なことになるだろうからね。お前が竜だってことは、他の人には言わないようにするんだよ。どこから話が広がるか、わからないからね」
ザジに何度もそう言われたが、リーザックは元から言う気にもなれない。
自分自身が、竜だと思っていないのだから。
ザジが嘘をついているとは思っていなかったが、頭から信じるには話があまりに突飛すぎる。
自分にかけた魔法も解けないのに、そんな竜が存在するのだろうか。
ザジの話を聞いてもリーザックは「えっ、そうなんだ」というより「ふぅん、そうなんだ」という気持ちにしかならなかった。
それからまた時は流れ……ザジの話が本当だとリーザックが身をもって知ったのは、彼女が亡くなる半年くらい前のこと。
ある日の夜中、身体がひどく熱くなって苦しくて、目が覚めた。
身体中の血が異様に熱くなって、普段の何倍も早く駆け巡っているような感覚に襲われたのだ。