03.湖の魔物
「その話は、私も聞いています。調べてみましたが、特に怪しい気配はありませんでした。祭りの日は念のために結界を張るとして、もう少し調べた方がよさそうですね。声の主が、湖と他の場所を行き来しているのかも知れませんから」
祭りの時に現れるのも困るが、湖で仕事をする村人もいるから、安全を確保しておかなければならない。
普通の獣なら村人にも対処できるが、それが魔物となれば魔法使いの出番だ。
「結界って、魔法の網みたいなもんだよな? そうしてもらえりゃ、祭りに関しては問題なかろうて」
「あ、そうそう。クミルにもある程度の内容を、ぼちぼち知っておいてもらった方がいいんじゃないか? 五十年後に山の竜祭りをする時、他に魔法使いがいなかったら、クミルに頼むことになるからなぁ」
その頃には俺達みんな、生きちゃいないだろうしなぁ……と、大人達が笑う。
「やることって……木でできた竜を、山の中で燃やすだけなんでしょ?」
別に魔法使いでなくても、それくらいなら村長か他の偉い人がやればいいことだ。
「一言で言えば、そうだけどね」
垂れた目をした白髪混じりの村長が、子どものストレートな発言に苦笑する。
「もしかしたら、クミルが竜祭りをする時に、本物の竜が現れるかも知れないぞ。その時に、魔法使いとしての腕を発揮してもらわないとな」
「本物の竜が現れた時?」
村人の言葉に、クミルが首をかしげる。
「竜祭りって言うくらいなんだから、同じ沈めたり焼いたりするにしても、本物の方が御利益がありそうじゃないか。だけど、竜の方だって黙って沈められたりしないだろうから、魔法で眠らせてってことが必要になってくるだろ?」
「だけど、そんなことしたら、竜がかわいそうじゃない」
「大丈夫だって。竜はそう簡単に死んだりしないんだから」
でも、水に沈められれば苦しいだろうし、焼かれたら熱いと思う。
火竜が水に沈められたら湖が沸騰するかも知れないし、水竜は燃やそうとしてもすぐに火を消してしまいそうだ。
水竜を沈めたら洪水になりそうだし、火竜を燃やそうとしたら山が火事にならないだろうか。
それに、竜だって生き物だ。簡単に死んだりしないと思っても、何かのきっかけで死んでしまうかも知れない。
もし本物が見付かったとしても、その時だけは魔法使いじゃないことにしておこう、と考えるクミルだった。
「みなさん、悪い冗談は駄目ですよ」
「はは、すまんすまん」
ダイハがやんわり諭し、村人達は笑いながら謝った。
「少し本題からそれてしまったようだね」
村長が話を元に戻し、大人達で祭りの細かい進行についての話し合いが再開された。
「クミル」
母に呼ばれ、クミルは魔法書を置くとシュミルの所へ行った。
「もうすぐお昼ご飯にするから、リーザックに来るよう言ってきて」
「うん、わかった」
クミルが外へ出て扉を閉めると、
「困りますよ、あの子の前でああいった話をするのは……」
と言う父の声が聞こえた。
そんなによくない話題だったのかしら、と思いながら、クミルはあまり離れていない隣家へと向かった。
「リーザック、もうすぐお昼にするって母さんが……」
言いながら扉を開けたが、中には誰もいなかった。
テーブルの上には、調合の途中であろう、すりつぶした薬草の入った器が幾つかある。しかし、リーザックの姿はどこにもない。
家を出て一周したものの、やはりリーザックは見付からなかった。
「リーザック、どこぉ?」
「クミル、リーザックを捜してるのかい?」
近くを通りかかった村人のワイトが、クミルの声を聞いて尋ねてきた。
「うん。お昼なのに、家にいないみたいだから」
「リーザックなら、湖の方へ行ったよ。えらい勢いで走って行くのを見たけど」
「湖?」
薬の調合中に、どうして湖へ行くのだろう。水が必要なら、ちゃんと井戸があるのに。それとも、何か別の用があったのだろうか。
とにかく、そちらへ行ってみなければ。
「あ、舟着き場の方じゃなく、北の方だったよ」
舟着き場、つまり湖で漁をする人達の舟がつないである所だ。
でも、リーザックが向かったのは、人があまりいない北側。ますますわからない。
「ありがとう、行ってみる」
礼を言って、クミルはそちらへ走った。走りながら、頭の中は疑問だらけになる。
湖にどんな用があるのだろう。しかも、人が来ない所。誰かと一緒だった、という訳ではないようだから、一人で向かったということ。
リーザックはどこかへ出掛ける時、必ずシュミルかダイハに行き先を告げてから行く。
行き先と言っても、リーザックが街へ行くことはないので、向かう場所と言えばカシアの山くらいしかない。
リーザックはいつもザジと一緒に山へ入っていたので、慣れたものだ。どこにどういった薬草があるか、しっかり教え込まれている。
ただ、ザジが亡くなってからは「知っている道より奥へは、絶対行かないように」とダイハから強く言われていた。リーザックも、ちゃんとその言いつけを守っている。
そのリーザックが、ダイハやシュミルに何も言わずに家を空けるなんて、考えられない。
クミルよりしっかりしている、と言われても、リーザックはまだ十歳なのだ。行き先がどこであれ、子どもが村の外へふらふら出るのは危ない。
そう考えてから、クミルも両親に何も言わないで出て来たことを思い出した。でも、リーザックが見付かればすぐに戻ればいい、と考え直す。
こういうざっくりな部分があるのがクミルだが、今更戻るのは時間がもったいない。
村の北はずれまで来た。レイジの村は、フィリールの湖とカシアの山に挟まれ、南北に伸びたような形になっている。
舟着き場は湖の南側にあり、村の北側は湖と山に挟まれた道が伸びているだけだ。
北へ向かえば街はあるものの、遠い。南へ向かった方が街へも近く、北の街よりも大きいのだ。
山や湖、村での収穫物を街へ運ぶ利便性もあって、舟着き場は南にある。逆に、北への道はあまり使われない。
もちろん、北の街にしかない物を求めて向かう時もあるが、だいたいの物は南の街で事足りる。なので、北への道は人が少ない……と言うより、普段はほとんどいない。
しかし、あまり人がいないと言うことは、人影があればすぐにそれがリーザックだとわかる訳だ。適当に歩いて、それでもリーザックが見付からなければ一度帰って、両親にこのことを告げるしかない。
クミルは周りを見回し、リーザックの姿を捜した。湖の方へ向かった、と聞いたものの、本当に湖に来ているかはわからない。
途中で山の方へ方向転換していたら、困るなぁ……。
そんなことを考えながら、リーザックを捜していた時。
ふいに、大きな声が響き渡る。その声に、クミルはびくっと肩を震わせて足を止めた。
「何かしら、今の……」
声……いや、今のは獣の鳴き声だったような気がする。しかし、これまでに聞いたことがないような声だ。
さっき、父や村人達が話していた「湖に棲み付いた魔物」の声だろうか。
今のは、山犬や熊などではない。もっと大きい獣だ。熊より大きな獣なんて知らないが、とにかく大きな獣、もしくは魔物の声。
ただ……クミルの感覚だが、今の声は何だか苦しそうだった。
「まさか、リーザックが襲われたりしてないわよね」
急に心配になり、クミルはその場から逃げるどころか、声が聞こえた方向へと走り出していた。
が、すぐにその足が止まる。前方に、何やら大きな影が動くのが見えたのだ。
クミルがいる道は、湖面からかなり高い位置に造られている。道から湖に向かって緩やかな斜面があり、わずかに砂浜があり、湖面となる。
大雨などで湖の水位が上がった時に道が水没しないよう、村が孤立してしまわないように。堤防のようなものだ。
どうやらその影は砂浜にいるようなのだが、それにもかかわらず、道の上までその姿が見えているのだ。
クミルはそう頻繁にこの辺りへは来ないが、あんな場所に大岩の類はなかったはず。それに、見間違いでなければ……影は動いていた。
やはり、熊よりもさらに大きな何かがいるのだ。いや、熊なんて比べものにならない。家と変わらないくらいの大きさに思えた。
何、あれ……。本当にさっき聞いた「湖に棲み付いた魔物」なのかしら。だけど、山や湖にあんな大きな魔物がいて、今まで誰も知らなかったなんて妙だわ。父さんが気付かないなんて、おかしい。何かの拍子で巨大化した、とか?
事情がわからないまま、クミルは姿勢を低くして影の方へ近付いた。
もちろん正体不明の影に近付くのは怖いが、正体がわからないのはもっと怖い。それに、あの影のそばにリーザックがいたら、助けなければならないのだ。
この場合、自分に助けられるかどうか、は考えていない。
「あれって……」
思わずつばを飲み込む。近付いて見えたその影の主は……竜だ。
父の本でしか見たことがないが、長い全身が鱗に覆われて背中には翼があって、という部分が見事に当てはまっている。
何より、その巨大さが竜以外の動物では考えられない。
きれい……。
クミルは竜を見て、素直にそう思った。
その巨大さが怖くない訳じゃない。だが、曇り空の下でもわずかな光に当たってきらめく青みがかった銀の鱗が、晴れた日の湖面に反射する光と同じように美しいと思える。濃い青の瞳も、まるで宝石のように見えた。
しかし、竜はどこか苦しそうだ。これが普段の顔だ、と言われればそれまでなのだが、クミルにはどうしてもそう思えてしまった。