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02.いつもと変わらない日

 草むらの向こうで大きな悲鳴が響き、複数の魔物達が暴れ回る穏やかならぬ音。

 むしられた毛が舞い、そこに血が流れても、気にする者は誰もいない。よそから来た魔物はいなくなり、周辺を縄張りにしていた魔物達もその場から消えた。

 やがて、山は再び静けさを取り戻す。何もなかったかのようにどこかで鳥が鳴き、草木の間を風が吹き渡った。

 ぽつんと残されたたまごは、草むらの陰に隠されて見えない。現れた魔物達は、侵入者の魔物だけに集中し、たまごには気付かなかったようだ。

 そのたまごの表面に、亀裂が走った。ゆっくりと時間をかけ、殻の一部が割れて地面に落ちる。

 ひびは増え、割れ落ちるかけらも増え……やがて、たまごは完全に割れて水竜の子どもが生まれた。

 親の姿をそのまま縮小したような、青みがかった銀色の鱗に覆われた身体。濃い青の瞳。大きさは、人間の赤ん坊とそう変わらないくらいか。

 しかし、その誕生を喜ぶ者は周囲にいない。

 どうして……どうして誰もいないの?

 小さな水竜は、小さな声で鳴いた。しかし、何の応えもない。周囲は静かなまま。

 生まれたばかりの水竜には、ここがどこなのか、これからどうしていいかわからない。

 きっと、両親が迎えに来てくれるはず。

 そう考えた水竜の子どもは、その場で大人しく持つことにした。

 ……それしかできなかった。

 動くことはできる。だが、自分が移動してしまうことで、両親に見付けてもらえなくなっては困るから、じっとしているしかできない。

 何度か、枝葉の間から太陽が通り過ぎて行った……ような気がする。

 近くには食べる物もなく、水さえない。生まれた時には青みがかった銀色に輝いていた美しい鱗は、身体の水分が抜けてすっかりくすんだ。

 強い生命力を持つ竜でも、生まれたばかりの子どもが水なしで何日も過ごすことは厳しかった。水竜だから、なおさら水が必要なのに。

 ぐったりとなって、もうまともに動くこともできなくなった頃。

「まぁ……」

 何かが鳴いた気がした。いや、それが鳴き声なのかも、よくわからない。

 とにかく、風に揺れる葉以外の音が聞こえた。

「これは……。生きてるかい? かわいそうに、すっかり干からびちまって。ちょいとお待ちよ」

 顔に、背中に、手や尾に、冷たい何かがかけられる。それが水だということに気付くまで、ずいぶん時間がかかった。

 しかし、そのおかげでまさに生き返った。

「あんた、迷子かい?」

 突然の浮遊感。その後、温かさに包まれた。気持ちよくて、力が抜けてゆく。これまでとは違う、力の抜け方だった。

 まいご? まいごって、何……?

 そんなことを考えながら、ゆっくりと意識は遠ざかっていった。

☆☆☆

 春半ばの朝。空には、雲一つない。

「リーザック、起きたぁ?」

 家の外から明るい少女の声がして、リーザックはゆっくり目を開けた。それと同時に、扉が開いて声の主が入って来る。

「あー、やっぱりまだ寝てたんだ。昨夜も、遅くまで薬の調合してたんでしょ」

「ん……おはよ」

 もそもそとベッドの上で起き上がる、青みがかった銀髪の少年。長い髪が、寝ぼけた顔にかかる。

「おっはよ。今日はいい天気だから、母さんがシーツを洗うって」

 明るい赤毛をポニーテイルにした少女は、そう言いながら遠慮なく少年のシーツをはぎ取った。

「ほら、早く出て。さっさと顔を洗う。朝食はもうすぐできるから、着替えたら来てよ」

「うん、ありがとう、クミル」

 リーザックがベッドを出ると、クミルはあっという間にはぎ取ったシーツを丸めて先に外へ出た。

 リーザックは言われた通りに顔を洗い、着替えを済ませると隣の家へ向かう。

「おはよう、リーザック」

「おはよう、シュミルおばさん」

 家の中へ入ると、スープとパンの焼けるいい匂いがする。

 クミルと同じ赤毛のシュミルは、彼女の母親である。ちょうどオレンジを切り分け終えたところだ。

「おはよう、リーザック」

「おはよう、ダイハおじさん」

 隣の部屋から出て来た黒髪の男性は、クミルの父親だ。洗濯桶にシーツを突っ込んで来たクミルも加わり、朝食が始まった。

 リーザックはここ三ヶ月、ダイハ達の厚意で彼らと食事を共にしている。それまではザジという老女と同居していたのだが、高齢だった彼女は三ヶ月前に他界したのだ。

 まだ十歳のリーザックに、毎日の食事は大変だろう。

 ザジがいなくなってリーザックの生活を心配したダイハが「食事くらいは一緒に」と言ってくれた。

 隣家のクミルとは姉弟のように育って来たし、リーザックにとってダイハとシュミルは本当の両親に近い存在でもある。

 少しためらいはあったものの、すぐその言葉に甘えることにした。

 意地を張ったところで、毎日健康的な食生活を続けられるとは、自分でも思わなかったから。

「リーザック、また夜遅くまで薬草をいじってたの?」

 パンにジャムをぬりながら、シュミルが笑いながら聞く。

 今朝のようにリーザックが起きて来ない時は、クミルが叩き起こしに行く。本当に「いつまで寝てるのよっ」と叩いて起こすのだ。

 さっきもそうだったが、毎回本当に遠慮がない。生まれた頃からの付き合いなので、リーザックも「クミルはこんな感じだから」と思っている。

 もっとも、いつも寝坊する訳ではなく、朝起きられないのは夜遅くまで薬草を調合していた次の日が多い。

 リーザックの育ての親だったザジは、山で採った色々な薬草を煮出したり粉にしたりして薬にする、いわゆる薬剤師だった。

 その仕事をそばで見ていて、気が付けばずっと手伝っていて。彼女が亡くなってからは誰に言われるでもなく、リーザックがその作業を引き継いでいた。

「うん。今日はいい天気だけど、明日の昼ぐらいから崩れるよ。せっかく天日干しした薬草が湿ったりしたら、また干し直しになるでしょ。その分だけはやってしまおうと思って……」

 夜更かしした言い訳をしながら、リーザックはシュミルが渡してくれたパンにかじりついた。シュミルお手製の野いちごジャムは、いつも絶妙な甘酸っぱさだ。

「まぁ、明日は雨になるの? 今日のうちにシーツを洗おうと思ったの、正解だったわね」

 リーザックの天気予報を、誰も疑わない。どんな雲一つない空でも、リーザックが「雨になる」と言えば、本当に雨が降る。過去に実証済みだ。

「ねぇ、やっぱりリーザックも一緒に魔法を習えば? お天気が確実に読めるのって、すごい才能なんでしょ。そういうのを魔法にも生かさないなんて、もったいないじゃない」

 いつも穏やかな表情を浮かべているダイハは、魔法使いだ。その娘であるクミルも、魔法使いになろうと父について勉強している。

 クミルは「リーザックも一緒に習おうよ」と何度も誘っていたが、彼は「ぼくには無理だよ」と笑いながら、いつも断るのだ。そして、今も

「天気がわかっても、魔法とは関係ないよ」

 と、いつものように笑ってかわす。

 クミルが生まれて十日経った頃、ザジの所へ生まれて間もないリーザックが来た。それ以降、ずっと一緒にいて同じことをして。

 それがここへ来て別々のことをするのが、クミルはとても淋しいのだが……リーザックがそれを淋しいと思っていない様子なのもまた淋しかった。

「リーザックは、ザジばあちゃんみたいに薬草を扱う仕事をするつもりなの?」

「それは……まだわからないよ」

「大人になったら、やらないかも知れないってこと? でも、魔法を習うつもりもないんでしょ? リーザックは、他に何かやりたいことでもあるの?」

「えっと……」

 矢継ぎ早に質問され、リーザックは答えに詰まる。

「クミル、おしゃべりばかりしてないで、早く食べなさい」

「そうよ。色々と手伝ってほしいんだから」

 娘の質問攻めをダイハとシュミルが(さえぎ)り、リーザックは心の中でほっとした。

 クミルの質問の答えは、すでにリーザックの心の中にある。しかし、今はまだそれを言えなかった。

「さぁ、今日も忙しくなるわよ」

 デザートのオレンジまで全て平らげ、一斉に後片づけへと突入した。

☆☆☆

 次の日はリーザックの天気予報が当たり、昼から雨が降った。

 その翌日には上がったものの、まだ曇っている。太陽が雲に覆われていると、季節が春であっても心なしか肌寒い。

 その日、クミルが父にもらった魔法書を読んでいると、家に村長と村人数人が訪れた。三日後に行われる「竜祭り」の打ち合わせのためだ。

 ここレイジの村では「竜祭り」というものをする。

 村の東側には、フィリールの湖。西側には、カシアの山がある。それぞれの場所で百年に一度、竜祭りをするのだ。

 湖に竜の子を沈め、湖での漁の無事と豊漁を祈願する。山では竜の子を焼き、同じく猟での無事を祈願するのだ。

 もちろん、沈めたり焼いたりするのは本物の竜の子ではなく、木で作られたニセモノで代用する。

 今年は湖の竜祭りがあり、五十年後に山の竜祭りが行われるのだ。ちなみに、小規模な祭りは毎年行われている。

 大人達があれやこれやと話をしているのを、クミルは横で何とはなしに聞いていた。

「湖と言えば、ここ半年くらいか、湖の方から獣の叫び声みたいなものが聞こえるらしいぞ」

「ああ、うちのかみさんが夜中に目を覚ました時、聞いたって言ってた。寝ぼけてたんだろうって笑っていたんだが」

「聞こえるのはひと月に一、二回くらいらしいが、妙な魔物が棲み着いたんじゃないだろうな」

 そんな話をしながら、村人達がダイハの方を見た。

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