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銀のカルーセル  作者: 白毬りりま
クレール・ネージュは春を告げる

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9/30

008.林檎のお茶会


 その日は存外早かった。


「貴方、暇なの?」


 クレールが問いかけるのは、卓の向かい側でポットに湯を注いでいる若き大魔術師だ。

 広大な水晶城に住んでいる彼は、何故か息抜きの場を街外れの蛇小屋に決めたらしい。七日に一度の公休日だというのに、わざわざ街外れにまで足を運ぶ青年にかける声は、自然と呆れが滲んでしまう。


「全然暇じゃない。毎日自分の研究やって、他の魔術師の研究を指導して、政務官が持って来る書類を確認して、署名したり突き返したりして、偶に気晴らしで騎士や兵士たちに混ざって手合わせしている」

「うちに来るのやめたらいいのに」

「嫌だ」


 住宅街の端から蛇小屋まで、クレールの脚でも半時間近くかかる。街の中央にある水晶城の北門からなら、更にもう一時間以上だ。


「そんなにかかるのは、単純に君の歩幅が小さいからだろ。俺が走ると全然一時間もかからないぞ」

「城から走って来ているの?」

「いや、流石に走るのは街を出てから」


 それでもまだ距離がある。加えて少し勾配があるのもあって、クレールは微塵も走ろうと思わない。

 だがエドガーは、いつも涼しい顔で玄関を叩いている。かつて騎士見習いとして訓練を積んでいたとはいえ、体力の差は雲泥だ。


「馬ならもっと速いのではないの? 城には軍馬もいるわよね?」

「馬を出すと、口煩い政務官殿にばれる」


 そんなに厳しい政務官がいただろうか。クレールには心当たりがないが、エドガーの眉間には皺が刻まれている。


「魔術師は本業だとして、領主は代行だからな。シルヴェ・ティティアの政務官たちもいるし。俺は上がってくる案件を確認して、問題なさそうなものに承認するだけだ」

「ちゃんと確認しているのね?」

「当たり前だろ。使われるのはこの街の住民から納められた税だ」


 エドガーは手元の時計を確認すると、卓上のポットに手を伸ばした。

 二つのカップに注がれる紅い中身を、立ち昇る僅かに林檎の香りが混ざった馨しい湯気を、クレールは恨めしそうに見つめる。




 茶を振る舞うためにクレールが真っ先に向かったのは、行きつけの茶葉屋だ。

 南通りから一本入ったところにあるその店は、シルヴェ・ティティアで一番品揃えがいいと評判だ。加えて水晶城に勤める筆頭政務官も利用することがあるとも言われていて、間違いがないと踏んだのだ。


 だがそこからが問題だった――クレールはエドガーの好みの茶を知らない。


 雨の日の茶は薔薇の香りのする、明らかに女性受けのよいものだった。そもそも包みからして、そういう目的のものだった。

 お蔭で彼がどのような茶が好みか全く見当が付かず、何百とある茶葉の棚の前で半時間も唸る羽目になった。


 結局、選んだのは店内に並んでいた癖がないものの中で一番上等なもので。

 何故か開封されずに、戸棚の中に仕舞われている。


「どうして貴方が茶葉を持って来るのよ……」

「君に茶を振る舞うのが楽しいんだ」

「ここ、私の家なのだけれど……?」

「そうだな。ちなみに今日の土産は蜂蜜飴だ」


 差し出された小さな透明瓶いっぱいに詰まった金色に、クレールは眉を顰めかけた。だが、折角貰ったものにケチをつけるような失礼な真似はできない。


「ありがとう。後で頂くわね」


 いつも通りの平坦で返したつもりだが、僅かな間はエドガーが気付くには十分だったようだ。


「もしかして、蜂蜜は苦手か……?」

「そうでは、ないけれど……飴玉って、お茶会向きではないでしょう?」

「君が舐めながら喋っていても気にしないが?」

「私が気にします」


 飴玉の小瓶に、白蛇は興味津々だ。金色が映り込んで煌めく紅い双眸に、クレールは慌てて瓶を取り上げる。


「グレースちゃんは駄目よ。喉に詰まらせちゃうかもしれないし」


 尻尾で卓を叩く白蛇は、実に不満げだ。普段から甘いものを与えているのもあって、恨めしそうに紅い目を眇める。


「そうか……グレースが食べられるものを持って来るべきだったな……」

「いえ、そこまで気を遣ってもらう必要はないのだけれど……」


 クレールは徐に立ち上がると、戸棚の奥、茶葉の横に蜂蜜飴の瓶をしまう。代わりに置いてあった干し林檎を取り出した。


 皿に乗せて卓に戻れば、白蛇が今か今かと口を開けて待ち構えている。

 白い子蛇の甘える姿は、相も変わらず愛らしい。彼女の頭よりも大きな欠片を差し出すと、干し林檎は一瞬で口の中に消えていく。


 エドガーはポットに保温の魔術をかけると、窓の外に視線をやった。


「この間の強盗犯、雪掻きの刑になったぞ。この冬中、風邪をひかない限り毎日どこかしらの区画を丸ごと雪搔きするらしい」

「まあ、この時期なら妥当でしょうね」


 窓枠で区切られた世界は、薄らと綿帽子を被っているかのよう。夏は一面に植えられたラベンダーの紫越しに街が見えるらしいが、この季節はぼやけた灰色が広がっているだけだ。


「掟というくらいだから、破ったら即死刑になるのかと思っていた」

「シルヴェ・ティティアで死刑だなんて、相当なことよ? それこそ、人を殺すかそれに準じることをしないと……他の領だと、貴族に歯向かっただけで死刑もあり得るんですって?」

「ああ……」


 旧シリウス辺境伯領は他と異なり、長く貴族がいなかった土地だ。

 エドガーたちが来るまでは、旧シリウス辺境伯家の傍系出身の政務官が全ての執務を行っていたが、どの家も貴族位を持たなかったため、比較的平民に近しい存在だ。

 加えて彼らは掟を重視しているため、横暴なことは行わない。死刑などもっての外だ。


「それに罪人でも元気なら貴重な働き手だもの。冬場ならなおさら。直に辺りは真っ白になるから、存分に雪掻きして貰わないと」

「シルヴェにはシルヴェなりのやり方があるんだな……」


 しみじみと呟きながら、エドガーは林檎茶を啜る。茶葉屋の店員に勧められて買ったものだが、甘過ぎなくて舌触りが良い。甘酸っぱい干し林檎との相性も抜群だ。


 クレールは両手でカップを持ち上げ、縁に唇を付けた。だが彼女の舌にはまだ熱過ぎて、すぐに卓の上にカップを戻す。


「それよりも……四区のライル、だったかしら? 彼の子どもたちはどうなったの?」

「そちらは冬の間だけ養護院で保護することになった。俺の補佐官に聞いたが、今年の食品の値上がりは相当なんだって?」


 干し林檎を摘まむエドガーに、クレールは頷いた。


「八百屋の店主が言っていたわ。夏の間、南部の雨が少なかったから、収穫が少ないのですって」


 クレールの体感で言えば、一、二割と言ったところだろうか。葉物か根菜かの特定の品種だけでなく、全体的に値段が底上げされていた。

 思わず店頭で唖然としていたクレールに、滅多に話しかけて来ない店主が渋い顔で教えてくれたほどだ。


「元々シリウス領は雨が少ないんじゃなかったのか? 傘を売っている店なんて、南通りにある観光客向けの土産屋しか知らないぞ?」

「少ないにも限度があるでしょうよ……ラクル河が干上がったという話は聞かないのだけれど、雨が少なかった所為で地面が熱くなりすぎて、枯れてしまったり上手く実がならなかったりしたそうよ。小麦でさえ、暑過ぎて少し影響が出てしまっているみたい」


 小麦は旧シリウス辺境伯領の主要な収入源だ。冬を除けば安定した気候の土地で取れる小麦は、品質がいい上に供給も十分とあって、国内どころか国外とも取引がある。


「貴族がいなくてもなんだかんだシルヴェは領にしては力があるから、国外とはそう取引しなくていいと思うのだけれど……」

「百年単位の付き合いをいきなり失くすのは、他からも不和を招きかけない。かと言って、この間のを前例にあちらこちらで強盗をされては堪らんからな……どうしたものか」


 エドガーは腕を組んで天井を仰いだ。真似をしてか、白蛇も身を仰け反らせる。

 干し林檎を齧りつつ、クレールも何気なく思ったことをそのまま音にしてみた。


「ねえ。魔術でどうにかできないの?」

「魔術で野菜を安くしろと……?」


 物価を操作しているのは城であって、魔術ではない。完全に専門外だ。

 いくらマギステルでも無理かと肩を竦めるクレールに、エドガーは領主代行としての案を挙げる。


「この冬だけのことなら、精々税を下げるくらいだな。それかもう城で一括に買い上げてから安く商店に払い下げるか」

「それだけでも、随分助かる家庭は多いでしょうね」


 特にライルのように子どもがいる家庭ならなおさらのことだろう。




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