006.街の掟
本来の持ち主である女に籠を返すと、大層感謝された。女が警邏隊に付き添われていくのを見送りつつ、エドガーは腕を組んで首を傾げる。
「食材くらいであんなに感謝されるとは思わなかった」
籠の口からは、人参や蕪、玉葱、芋類も少しばかりが覗いていた。
てっきりもっと高価なものが入っているものだと思っていたエドガーは、心底不思議そうに女の後姿を眺める。
「最近、野菜が高いからではないの?」
「そうなのか?」
「だって、元々冬は生産数が高くないでしょう?」
そもそもシルヴェ・ティティアは冬が長い街だ。短い夏の収穫量だけでは街すべての食料が賄い切れる訳ではない。
旧シリウス辺境伯領はラクル河に面する南東部に広大な農耕地を持ってはいるが、寒さに弱い食品は他領から買い取っていた。
「需要があっても供給に手間も費用もかかってしまうから、冬場は釣られて領内の野菜も値上がりしてしまうのよね。値段はある程度城で管理している筈だけれど」
「へぇ」
平坦な相槌に、クレールは思わず眉を跳ね上げた。
「貴方は仮にもこの領の領主代行でしょう? 自分で買い出しをしないにしても、そういう資料は確認していないの?」
「言われてみれば、赴任したばかりの頃に確認した記憶があるし……昔地理を習ったときにもそんなことを聞いたような……」
目の前の日常だというのに、まるで教本を辿るかのような口振り。
だが彼の本業が魔術師であることを考えると、致し方ないことなのかもしれない。
「まあ、今年は隣の領の収穫が少なくて特に高騰しているようだけれど……だからと言って、盗みが許される訳ではないわ」
吐き出した息は、昼間だというのに微かに白い。顔を上げれば、薄曇りで覆われた空が灰青の双眸に映る。
「これからもっと冬が深まれば、この街は文字通り銀雪の街になる。そうすれば外との往来が容易ではないから、どうしても共助が重要視されるの。秩序を乱すなんて以ての外、食料や薪の窃盗は重罪よ」
「なるほどな……」
しみじみと頷きながら、男の手がクレールの買い物籠を取り上げる。反射的に伸ばした右手は、当たり前のように握り込まれた。
クレールは振り解こうとしたが、そう強い力で掴まれている訳でもないのに逃れられない。
「よし、帰るか」
「さっきの騎士様に牢屋へぶち込まれてしまえばいいのに!」
「残念ながらその管理責任者は俺だ」
平民の買い物籠を抱えて上機嫌にしている大魔術師兼領主代行と、それに半ば引き摺られていく変わり者の組み合わせを、街の住民は一定の距離を取って奇異の目で見送る。
「家に帰るだけなのに、手を繋ぐ必要なんてないじゃない」
「だって、捕まえておかないと君は逃げるだろう?」
「さっきのを見て逃げられるだなんて思わないわよ。荷物もあるし」
「手を繋ぐのが嫌なら抱っこしてやろうか」
「もっと嫌よ」
半ば噛み付くように言えば、何が可笑しいのか、闊達な笑い声で返される。
これでは明日どころか今晩までに街中の人間に知れ渡っているのではないか。だが逃れられない状況に、クレールは舌打ちをしたくなった。
「シルヴェ・ティティアには雪国ならではの法があるんだな」
クレールの内心など露も知らない青年は、ほんの世間話のように声をかけて来る。
残念ながら自分に話しかけられて無視し切られるほど図太くなかったクレールは、ふてぶてしさをもって返した。
「法である以前に、そういう掟なのよ」
「掟……」
少しくらいは耳にしたことがあったのだろう。赤銅色の眉が顰められる。
「確か、政務官が言っていたな。掟に気を付けろと」
「この街に生まれた者は皆、いくつもの掟を守って生きている。それが、この街で人間の生を存続させるための必然に結びついているから」
「君は掟の全てを覚えているのか?」
「この街に生まれた子どもは皆、必ず学校で習うのよ」
隣人を無視してはならない。それはやがて己に返ってくるから。
怠けてはならない。それは己を堕落させるから。
盗みを働いてはならない。それはやがて街を腐敗させるから。
人を殺してはならない。それは萎縮と嘆きを招いてしまうから。
森を拓いてはならない。それは怒りを買ってしまうから。
「まあ、代表的なのはこの五つかしら?」
手袋で覆われた指を広げながら、クレールは翠の双眸を見上げる。
「貴方は余所から来た人間だからまだ馴染みがないことも多いのでしょうけれど、何かあれば街の人間が教えてくれる筈よ。特に代々政務官を務めているルーグィス家は、掟を重んじているし。だからその時に大人しく従っていればいいわ」
「わかった」
神妙な顔で頷く領主代行に、クレールはふっと遠くを見やる。
「昔、シリウス辺境伯家の直系が途絶えたからと王都から派遣されてきた貴族は、それが守れなくて罷免されてしまったのよね。駄目だと言われているのに、何度も無理に税を上げようとしたり、森を開拓しようとしたり。お蔭で……」
放っておけば何処までもつらつらと続きそうな言葉。
まるで実際に目の前で見て来たかの如く流暢に歴史を語る少女に、エドガーは目を丸くした。
「君は……」
「なぁに?」
何か質問かと、澄んだ青色が青年を見上げる。不意にぶつかった視線に、エドガーは僅かに狼狽えた。
「あ、ああ……君は随分と賢い喋りをすると思って
「……喧嘩を売っているの?」
「いや? ――俺ももっとちゃんとこの街のことを知っておくべきだと思っただけだ」
はぐらかされたような気がして、クレールは高いところにある男の顔を睨め付けた。だが見上げた横顔は思った以上に真剣な眼差しで、肩透かしを食らう。
「期待しています、領主代行様」
「……尽力しよう」
若い声には、クレールの知らない重みが滲んでいた。




