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銀のカルーセル  作者: 白毬りりま
クレール・ネージュは春を告げる

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003.かわいい白蛇


 窓の外では雨は相変わらず降り続いている。雨脚は弱まるどころか強くなっているようだ。遠くに見える街は輪郭を失い、灯りがちらちらと伺えるかどうか。

 シルヴェ・ティティアではあまり傘を差す習慣がないため、例にもれずクレールの家にも傘はない。背凭れのローブはほぼ乾いたようだが、これでは街に帰れないのではないか。


「貴方、いつまでうちにいるつもりなの?」

「夜までには止む筈なんだがな……ちなみに泊めてくれたりとかは」

「絶対に嫌よ」


 間髪入れずに拒絶すれば、何が可笑しいのか、青年は堪えるように咽喉の奥で笑う。


「あ、そうだ。これもあったんだった」


 突然の客は、雨宿りの礼にと焼き菓子も出してくれた。

 これまた可愛らしいリボンで包まれていて、花の形を模った中に何か橙色をしたものが練り込まれている。促されて手前の一枚を取って口に含めば、甘酸っぱい味が舌の上で広がった。


「これ、何が入っているの?」

「杏を干したものらしい。杏は好きか?」

「悪くはないわ」


 ふと、向かいでカップを傾けていたエドガーはある一点で視線を止めた。

 森側の窓際。籐を編んで作られた籠の縁で輝く、白銀の鱗。隠れるように、籠から半分だけ顔を覗かせて見つめて来る小さな白蛇を、エドガーは顔を強張らせて凝視する。


 焼き菓子をちまちま齧っていたクレールは、彼が見ているものに気付いて腰を浮かせた。意気揚々と籠の前に立って手で指し示す。


「よく気付いたわね。我が愛しのグレースちゃんよ」

「……君の愛し」

「だって、ほら。可愛いでしょう?」

「…………可愛い、のか?」


 胡乱げに繰り返すエドガーの前で、白蛇が鎌首をもたげる。真っ直ぐに見つめてくる紅い一対に、エドガーは頬を引き攣らせた。


「まあ……うん。確かに、綺麗な鱗だな。艶々してる……とても」

「でしょうっ?」


 ずいっと身を乗り出し、クレールは目を輝かせてエドガーに詰め寄った。


「他には?」


 思わず仰け反りそうになった身体を腹筋で支えつつ、エドガーは期待に満ちる灰青から若干視線を逸らした。


「そうだな……ほっそりとした身体が美しいな?」

「そうでしょう、そうでしょう――他には?」

「ほか」

「ええ。もっと称えてくれてよいのよ?」

「…………」


 ほらまだ何かあるだろうと目で訴えてくるクレールに、しかしエドガーは引き攣った笑みを返すので精一杯だった。


 確かにエドガーはこれほど見事な蛇を他に見たことがない。

 雪山の奥深くにあるという氷咲(ひさき)水晶もかくやな白く澄んだ鱗。血よりも深く、紅玉よりも澄んだ紅の双眸。太過ぎず、かといって長過ぎもしない絶妙な均衡を保っている体躯。蛇好きならクレールのように誇らしげに胸を張るのもわからなくもないだろう。


 だが残念なことにエドガーは、褒め称えられるほど蛇が好きという訳ではなかった。


「グレースちゃんの麗しさが理解できないなんて……魔術師って、目が悪いのね」

「そんなに憐れむことか?」

「ええ。とっても」


 氷を貼り付けたような鱗も、紅玉の如き瞳も。時々はみ出しているお茶目な舌の先から、鱗に覆われている流麗な尻尾の終わりまで、すべてすべてクレールのお気に入りだ。

 彼女以上の美女がいるというのなら、是非とも拝んでみたい。それくらい、クレールはこの白蛇を溺愛していた。


「グレースちゃんもお菓子食べる?」


 伸ばされた少女の手に、白蛇は慣れた様子で巻き付く。そのままいつものように首元に巻き付かせたクレールは、はたと気付いたようにエドガーを振り返った。


 先程の返答の歯切れの悪さからして、恐らく彼は蛇が得意ではないのだ。いくら望まない客であろうとも、美味しい茶と菓子を貰っておきながら精神圧迫するのは流石に気が咎める。


「ねえ、エドガー、さん?」

「どうした、クレール嬢」

「グレースちゃんも……同席、していいかしら?」

「どうぞ」


 然程間を置かず返された了承に、クレールは虚を突かれた。驚きのあまり引き攣りかけた咽喉に、強引に息を送り込む。


「ほ、本当にいいのっ?」

「断った方がよかったのか?」


 目を細めて不思議がるエドガーに、クレールは勢いよく首を横に振る。少女の動きに釣られた金茶の髪が、残像に似て大きく翻った。


「だ、だって……」

「クレール嬢?」

「だって……他の人間は、蛇、嫌がる、から……」


 力のない語尾が、音になり損ないながら空に溶け入る。


 多くの街の人間たちは、失礼極まりないことばかり口にする。

 クレールの大事な大事な白蛇なのに、ただただ気持ち悪いの一言で切って捨てる。それだけでなく、白蛇を大事にするクレールのことまでも気味が悪いと悪意を隠すこともなく嗤う。あるいは黙って距離を取る。そして遠巻きに、やはり嗤うのだ。

 ああ、蛇小屋のクレールは、やはり頭の可笑しな娘だ、と。


「その蛇は君の大事で、かつ君の家族なんだろう? なら客である俺がどうこう言うことはない」


 何気ない、けれども力のある声が、俯きそうになるクレールの顔を掬い上げる。


 大きく見張られる灰青の瞳。そうすれば硝子玉のようで、うっかり落としてしまいそうだと場違いなことを内心で考えるエドガーは、震える少女の唇に意識を戻す。


「貴方……意外といい人ね……?」

「今更気付いたのか?」


 成人男性だというのに茶目っ気を乗せて片目を眇めるエドガーに、今度は別の理由で首を横に振る。

 座り直したテーブルで、指先に触れるカップのぬくもりが、なんだか堪らなくこそばゆい。


「グレースちゃんはお利口さんだから、勝手に机の上には乗らないのよ」

「へえ。それは賢いな」

「お水だって、カップに入れたものしか飲まないのだから」

「本当、蛇とは思えないくらい行儀がいいんだな……?」


 きっと貴族であるエドガーに取ってはどうでもよいことだろうに、彼女の言葉に耳を傾けては、時々相槌を打ちながら裏のない言葉で返してくれる。

 もう長いこと知らなかった時間が思いのほか楽しくて、気が付けばクレールはほんの幼子のように言葉を重ねていた。




 他愛もないお茶会の終わりを告げたのは、窓から差し込んで来た朱い光だった。


「お、雨が止んだな」


 西の空で雲をかち割る日差しと共に、久し振りの晴れ間が覗いている。この調子だと、明日はよく晴れることだろう。


「ありがとう。お蔭で風邪を引かずに済みそうだ」

「どういたしまして。今度からは寄り道なんてせずに真っ直ぐ塔へ帰るといいわ」


 雨が上がったばかりの空気は、土の匂いを孕んでいてもすっかり冷たかった。

 冬を目前にした今日、もう一時間もしない内に蛇小屋の辺りは闇に包まれる。複雑に小道が入り組んでいる森と違って街への路は一本しかないが、それでも用心するに越したことはない。

 しっかりと乾いたローブに手を通し、不意にエドガーは神妙な顔をした。


「ああ。今夜は冷えるからな、君もすぐに家の中に戻るんだ」

「わかっているわ」

「では、また。おやすみ、クレール」

「おやすみなさい」


 黒いローブが夕闇に紛れていくのを見送り、クレールはしっかりと玄関の鍵を閉める。たったそれだけで、室内が急に静かになった気がした。


 奥の寝台の上では、薄紅のリボンに絡まった白い麗身が横たわっている。いつもと違って今日は賑やかだったから、疲れて眠ってしまったのだろう。

 自分も今日は早く寝てしまおうと、二つのカップを洗いながら、クレールは未だ漂う花の香りに頬を緩める。


 そしてすっかりと片付いた室内を見渡し、外していた指環を再び左薬指に戻しながら、ふとクレールは灰青の双眸を瞬かせた。


「……またって何?」




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