037.静かに燻る
「窯を借りるぞ」
「どうぞ?」
今日は一体何が始まるのか。そもそも筆頭公爵家子息であるこの男は、まともに窯を扱えるのか。
先日においまで青緑な薬を飲まされたばかりのクレールが好奇心半分不安半分で見守る中、腕捲りをした大魔術師は布包みを解く。
「……なにこれ?」
布包みから出て来たのは、厚さと深さのある陶器皿だった。中には一口大に切り分けられたパンが敷き詰められている。
ただそのパンはクレールが見慣れたものと違って輪郭は崩れ、全体がしっとりとした淡い黄色に染まっている。
「パン粥、ではないわよね?」
「パンプディングだ。ゼファー曰く、風邪の時と言えばと言われるくらい一般家庭の定番料理らしいんだが……知らないか?」
「初めて見るわ……」
卵のプディングならクレールも食べたことがある。昔、友人が蒸し料理を極めるのだと言ってよく作っていて、材料を混ぜるのを何度も手伝わされた。
卵液と牛乳が綺麗に混ぜられているのが伺える皿を見て、ふと疑問が口を突いて出る。
「エドガーさんが作ったの?」
「いや、作ったのは城の料理長。味は保証するから安心して欲しい」
クレールは頬を引き攣らせた。まさかの第三者の身分に、自然と声が震える。
「貴方、料理長になんて言ってそれを作らせたの……?」
「口説く予定の娘が風邪を引いたから、何か食べ易い物を作ってくれと」
「それも堂々と……?」
「もちろん」
意気揚々と頷かれ、クレールは眩暈を覚えた。
無駄に行動力のある彼のことだ、自ら食堂か厨房に赴いて料理長に依頼したに違いない。そこにはどれだけの城勤務者がいたことだろう。
彼が一体いつ料理長に会ったのかは知らないが、今頃水晶城中の人間に『大魔術師がどこぞの女のために食事を作らせた』という話が伝わっているに違いない。
そしてきっと次に街に出た時には、街中の人間から奇異の目で見られるのだ。
「どうした。まだ体調が悪いのなら、寝て待っているか?」
「いえ……大丈夫です……」
魔術を使っているのか、竈の火は不思議な踊り方をしている。程なくして淡い黄色からは、仄かに甘い香りが立ち昇り始めた。
「貴方、私とどうなりたいの?」
「ひとまず、友人からだな」
「そう……最終目標が友人ね……」
風邪は治った筈だが、妙に頭が痛い。
未だに何故彼がただの街娘であるクレールに絡んで来るのか、よく知らない。
雪の中一時間以上かけて訪ねて来られるほど、何処かで琴線に引っ掛かるようなことがあったとは思えず。かといって彼は過去に会ったことがないという。
「…………」
燻るわからないが、静かに腹の底に溜まっていく。
甘い匂いを嗅ぎつけてか、寝惚け眼の白蛇が食卓にやって来る。
「おはよう、グレース。お前は寝坊助なんだな」
「貴方が言うの?」
クレールの肩に登った白蛇は、甘い香りを漂わせる黄色に紅い瞳を輝かせている。
当然自分も食べられるものだと信じて疑わない白蛇の視線を受けながら、エドガーは勿体ぶった仕草でパンプディングをひっくり返していく。
「料理長がいうに、砂糖を塗して軽く火で炙ったら更に美味しいらしい」
エドガーは徐に籠から小さな陶器壺を取り出す。中を覗くと、白く輝く砂糖が詰まっていた。
ミラ・ブランシェにおいて、砂糖は広く流布している調味料ではある。だが南方の一部の領でしか原料になるサトウキビを栽培できず、精製工場もその近くに限られていた。
そのため、国の北端に位置する旧シリウス辺境伯領にとって、砂糖はどちらかというと高価な分類だ。雪のように真っ白な砂糖ならなおさらで、魔法で作られた硝子砂糖の魔女の砂糖の方が流布していると街の人間に揶揄されるくらいに。
「砂糖硝子の魔女の、ではないわよね。印がないもの……わざわざ買って来たの?」
「ゼファーが持たせてくれた」
「えっ、ゼファーも関知しているのっ?」
口に出してからクレールは、先程から政務官である青年の名前が挙がっていたことを思い出す。
そもそもこの料理を彼に教えたのは、彼の政務官だ。関知どころか仕掛け人のひとりである。
エドガーの指先に灯った魔術の炎が、塗された砂糖を舐める。白い砂糖が段々と濃い飴色に変わっていくのを、クレールと白蛇は食い入るように見つめた。
「貴方、火の管理が上手なのね」
「前はそこまででもなかったんだがな。最近上手くなった」
クレールは魔術師に詳しくない。シルヴェ・ティティアの最後の魔術師は、百年以上前に亡くなった最後のシリウス辺境伯で、エドガーたちが来るまで魔術師なんて存在すら忘れていた。
だが美味しそうにパンプディングを仕上げるのだから、彼は聞いている以上に腕の良い魔術師なのだろうと思いつつあった。
「ほれ」
匙に掬われた、濃い飴色と淡い黄色。竈灯りでも鮮烈な色合いと隣の青年の顔を、クレールは困惑を持って見比べる。
「あの……」
「ちゃんと火傷しない温度だから安心してくれ」
クレールの心配事はそれではないのだが、翠の双眸があまりにも期待に満ちているものだから、大人しく口を開けた。
「……いただきます」
匙が唇に触れる。途端、舌の上で甘さが解けて広がった。
ぱっと灰青の双眸を丸くしながら、クレールは隣の青年を見上げる。
「おいしい」
「だろ?」
混ざりあった卵と牛乳が甘くて、舌で押しただけで蕩けるほど柔らかくて。
焦がして飴状になった砂糖がちょっぴり仄苦くて、ぱりっとしていて。
「卵が入っているから、パン粥よりも味がしっかりしているのね……」
待ちきれなくなった白蛇の尻尾が、クレールの背中を叩いてせがむ。
大きく開けられた口にもエドガーが一切れ放り込んでやると、白蛇には少し熱かったのか何度か口を開閉させていたが、すぐに満足そうに紅い瞳を細めて咀嚼する。
いつまでも竈の前で味見するのは行儀が悪いからと、ふたりと白蛇は食卓に着いた。
何が楽しいのか、舌鼓を打っては頬を緩めるクレールを眺めていたエドガーは、皿の半分以上が消えたのを確認すると口を開いた。
「そういえば、薬屋の主人が言っていた。こんなに早く依頼品が集まるとは思わなかったと」
十枚に渡る依頼書の一覧に付けられていた印は、八割近くに及んでいた。
この時期であれば一週間かけても五割が精々だと見込んでいた老婦人は、唖然としながらも孫娘と一緒に検品していた。
「確かにこの森は君の領分だろう。だが君が身体を壊しては元も子もない。できれば二度と無理をしないでくれ」
「……わかったわ」
正直、先に無理を言って来たのは依頼者である彼の方だと思わなくもない。次も似たような依頼が出されるようなら、相手が大貴族なのも無視して苦情を出そうと考えていた。
この様子なら、次の依頼書はもう少し減るだろうと、パンプディングを頬張りながらクレールは思案する。
すっかり空になった皿を、白蛇が惜しそうに見つめている。
その横顔を指先で突きながら、クレールは向かいで林檎茶を嗜んでいる魔術師に視線を向けた。
「友人である貴方にお礼をしたいと思うのだけれど、何かして欲しいことはあるかしら?」
「お礼?」
「といっても、筆頭公爵家子息の貴方と違って私は見ての通りただの街娘だから。そうできることがある訳ではないのだけれど」
貰いっ放しは彼女の性に合わない。最初の見舞いの時点で、十分過ぎるほどの土産を貰っているのだ。何かしら返したいと思うのは、彼女の道理だった。
エドガーは一瞬虚を突かれたような間を見せたが、すぐに何かを考える素振りを取った。
「お礼、か……では、君と一緒に食事したい。ちょうど西街で新しい料理を出した店があるらしい」
「西街……」
シルヴェ・ティティアでは高級な分類の店が多い地区は、クレールが余程のことがない限り立ち寄らない場所だ。
場違いで気後れするのもあるが、しがない薬採りの娘に払えるのだろうかという不安が過る。
そんな彼女の内心を察してか、向かいの大貴族は苦笑した。
「もちろん、俺がご馳走する。だから予算は気にしないでくれ」
「それ、お礼になるのかしら……」
「君が美味しそうに食べるのを見るのが好きなんだ」
「そ、そうなの?」
よくわからない趣味もあったものだ。だが魔術師も大貴族もクレールにとって縁遠い人種なのだから、そういう趣味もあるのかもしれない。
「ああ、服装なら気にしなくていい。君が思っているほど気取った店ではないから。でも少し綺麗めな格好で来てくれると、俺としては嬉しいな」
「わかりました」
神妙な顔で頷き、クレールは衣装棚の中身を思い浮かべる。舞踏会や晩餐会と言われたら困るが、彼がいうような店であれば問題なさそうなドレスは一応持っていた。
「当日は迎えに来るが、俺の馬に相乗りでいいか?」
「お礼なのに、貴方をうちまで迎えに来させるのはちょっと……」
「では何処かで待ち合わせしよう。次の休みの明けの十一時頃、西通りの手前とかどうだ?」
「それなら」
「では、約束だ」
そう笑った魔術師があまりにも年相応に嬉しそうに見え、クレールも釣られて頬を綻ばせていた。
エドガーはそれからそう長居することなく帰って行った。
すぐに大量の白花に紛れて消えた背中を見送ったクレールは、カップを片付けようと台所に戻ろうとして、聞こえてきた物音に動きを止めた。
足元を見下ろすと、白蛇が黒い棒状の何かを咥えて遊んでいる。
「なにこれ?」
ただの棒にしては、見慣れない形だ。匙ほどの長さの、握るには匙にしては太い。
白蛇から取り上げ、クレールはよく磨かれた表面の黒を暫し凝視し……ふと、大きな手が持っていたのを思い出す。
「ああ、エドガーさんのペンか……」
精巧な作りと飾りからして、かなり貴重なものであるはずだ。きっとこれ一本で、クレールの数十日分の食事が賄えるに違いない。
彼女に対して、十分な保険かけとなり得る。
「当日すっぽかすなんて薄情なことしないのに」
クレールは溜め息を吐くと、当日の服装を確認するために衣装棚を開けた。




