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銀のカルーセル  作者: 白毬りりま
クレール・ネージュは春を告げる

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035.ランタンのあかり

 扉を叩く音がする。


「…………?」


 瞼を開けると、既に部屋の調度が薄闇に溶け込む頃になっていた。窓の外には薄紅色の雲が浮かび、もう一時間もしない内に夜告げの鐘が鳴り始める。


「だれよ、こんな日に……」


 街の人間がクレールの家の戸を叩くことはない。

 雪像会場はラベンダー畑の半ばまでしかなかったはずだが、観光客が間違えて来てしまったのだろうか。

 相手をしなければ直に街へ帰っていくだろうと、クレールは毛布の中に潜り込もうとして。


「え……?」


 今、鍵の外れる音がした。




 蝶番の軋む音が聞こえる。次いで、床板を踏む固い足音が。


 鍵はちゃんと閉めていた筈だ。

 雨の日の一件があってから、なおさら。


 ランタンを持っているのか、視界が僅かに朱い。聞こえる衣擦れは、外套を脱ぐ音だろうか。

 朱さは暫く辺りを彷徨うように揺れていたが、段々と見えている天井にまで及び、足音と共に近づいて来る。


 誰だ。まさか、今度こそ強盗か。


 咽喉は凍り付いているというのに、馬鹿みたいに心臓が早鐘を打つ。

 毛布を握る手のひらが、風邪以外の理由でじっとりとする。


 中途半端に開いていた天蓋に指がかけられる。

 部屋の薄闇を照らす灯りの中――赤銅色が輝く。


「ああ、起きていたのか」


 薄明りの中でも品を損なわない、秀麗な顔立ち。

 何処か安堵したように緩む精悍な目元に、クレールは灰青の双眸を瞬かせた。


「エドガー、さん……?」

「うん? うん」


 頷く青年の顔は、悪びれた風が微塵もない。それどころか、他人の家だというのに当たり前のような顔をして立っている。


「またあなたなの……?」


 強張っていた肩から力が抜けていく。呼吸を思い出した身体に、どっと疲労感が押し寄せる。

 緩慢な動作で身を起こそうとすれば、伸びて来た腕に支えられる。長く外にいたのだろう、背中に触れた指先は、随分と冷え切っていた。


「ねえ、どうやって入って来たの? 鍵はかかっていたわよね?」

「鍵ならグレースが開けてくれたぞ」


 視線を落とすと、エドガーの足元で白蛇が身を仰け反らせている。口からはみ出した舌先も景気よく揺れ、実に得意げだ。


「いつの間にそんなことができるようになったの……?」


 まさか、雨の日に鍵を開けたのも、この白蛇が?

 追求しようにも、こちらもクレールが心臓に悪い気持ちだったとこれっぽっちも思っていない白蛇には響かないだろう。そもそもの話、今のクレールにはそんな体力も気力もない。


「火を熾していいか? いくら君でも、日が落ちれば流石に冷えるだろう」

「どうぞ……」


 手慣れた様子で窯の火を熾す青年の背中を、クレールはぼんやりと眺める。


「今日はどうしたの?」

「君が雪祭りに来なかったから、何かあったのかと思って」

「ああ……風邪を引いたから寝ていたのよ」


 言いながらクレールは、己が寝間着姿であることを思い出した。被っていた毛布を手繰り寄せ、申し訳程度に身体を隠す。


「君も風邪を引くんだな?」

「どういう意味?」


 厭味かと眉を顰めれば、彼は曖昧な微苦笑を浮かべるばかりで答えなかった。


 ふと、クレールは卓の上に置かれた荷物に気が付いた。

 いくつもの包みの山は、雪祭りの出店の商品だろうか。その端に置かれた白い猫らしきぬいぐるみに、クレールの視線は釘付けになる。


「どうしたの、それ」

「的当ての景品。グレースの遊び相手にどうかと思って」


 エドガーがいい終わらぬ内に、白蛇がぬいぐるみの身体を這い上る。天頂まで登り、ぬいぐるみの額におとがいを乗せる様は実に楽しそうだ。

 そんな白蛇の頭を、青年の指が撫でる。


「貴方、随分とグレースちゃんと仲がいいのね?」

「君には遠く及ばないさ」


 何を当たり前のことをと、クレールは目を眇める。同じ屋根の下で暮らし、四六時中共にいる自分と、まだ二、三回しか顔を合わせたことのない人間を比べてどうするのだ。


 話している間に、随分と部屋が温まって来た。魔術でも使ったのか、いつもよりも火が大きくなるのが速い。


「発熱はいつから?」

「今朝からよ。今はもう大分良くなったわ」

「そうか。では雪祭りの最終日くらいは回れそうか?」

「……無理だと思う」


 最も雪が降る街の祭りには、毎日万に近い観光客がやって来る。元々人混みが苦手だというのに、病み上がりの身では真面に通りを歩けるとは思えない。


 なんだかんだ、毎年楽しみにしていたのだ。口にした瞬間、行けないのだという気持ちが靄に似て一気に広がり、自覚する。


 消沈する目元を覆う前髪を、大きな手が掬い上げる。


「え……っ?」


 いつの間に距離を詰められたのか。すぐ目の前の秀麗な顔が、互いの額を重ね合わせる。

 思いがけない距離に、クレールは息を呑んで固まった。


「まだ熱っぽいな……食事と薬は摂ったのか?」

「こ、紅涙林檎を食べたわ。薬はありません」

「林檎だけでは足りないだろう」


 エドガーは窯の十分な火を確認すると、卓の上の荷物を漁り出した。何が始まるのだろうかとクレールが見守る中、蓋付きの手提げ小鍋を取り出す。


「スープくらいなら食べられるか? 肉団子がごろごろしているやつ」

「え? ええ……多分?」

「あとそこの薬草、使っていいか?」


 エドガーが指差すのは、森側の入り口に置かれた籠のひとつだ。中には昨日静謐の森の奥で摘んだ品物が詰まっている。


「構わないけれど……貴方、調合ができるの?」

「専門ではないが、合成魔術の一環としてやり方は修めている」


 言われてみれば、クレールの家にある薬草は全て、領主代行からの依頼品だ。使い方は知っていて当然だろう。


 エドガーは小鍋を火にかけると、卓の上に放置されていたポットとカップを手早く洗った。

 客、しかも大貴族の子息に放置していた食器を片付けさせることに抵抗があったが、クレールが止める間もなく拭き上げまでされる。


 クレールは侭ならなさを呑み込んだ身体に上着を羽織ると、大人しく卓に着いて待つことにした。




 一通り準備が整った魔術師の手の中で、青い葉が一瞬にして乾燥する。

 クレールが温め直された肉団子を齧る対面で、エドガーは他にもいくつかの花や葉を乾燥させると、次々とポットの中に放り込んだ。最後にたっぷりの水を注ぎ、蓋をする。


「其は潰れ、解け、崩れ、溶け。溶け合い、絡み合い、混沌の中に再び色を成す」


 低い声に呼応して、ポットを取り囲むように翠に輝く光球が現れる。よく見れば広がる花弁に似た紋様と幾筋もの線、見慣れない文字で構成された光は、輝きを増しながら縮小し、やがてポットに吸い込まれるように消えていく。


「……これで終わり?」

「一応な」


 カップに注がれる澄んだ青緑の液体を、クレールはまじまじと見つめる。彼はこれが風邪薬だというが、クレールが知っている風邪薬は丸薬や粉がほとんどとあって、今のところ物珍しさが勝っている。


「飲めないなら飲ませてやろうか?」


 なかなかカップに手を伸ばさなかったからだろうか。揶揄いのない、本気で心配してであろう提案に、クレールはむっと唇を尖らせた。


「子供ではないもの。自分で飲めます」


 そうだ、子供扱いだ。先程額を合わせたのも、彼が自分の身を案じるのも、すべて。

 そう思うと腑に落ちるのと同時に、妙に腹立たしく思えて来た。風邪を引いている所為で、感情の箍が外れかかっているのかもしれない。


 小さく息を吐くと、クレールはカップを手に取った。

 顔を近付ければ、見た目通りの青いにおいが鼻を突く。隣で様子を伺っていた白蛇なんて、異様なにおいにぬいぐるみの脇から戦々恐々としている。

 クレールは意を決すると、大魔術師お手製の風邪薬を煽った。


「――うぇ……まずいぃ……」

「すまない。味の調整は苦手なんだ」


 口直しに屋台で売られていたという林檎飴を齧れば、酸味のある甘さがいつもより身に沁みる。


 ポットを開けると、あと二杯分は残っていた。陶器のポットに色が移ってしまうことはないだろうが、早く空にしてしまいたいと、クレールは遠い目をする。


「それにしても、今日の君の家にはやけに薬草があるな。こんなにどうしたんだ?」

「領主代行名義で毎週のように採取依頼が出されていた分よ?」

「…………依頼を出した記憶がある」


 まさか、今の今まで忘れていたのか。疑いの眼差しで凝視すれば、領主代行の青年は露骨に視線を泳がせる。

 クレールは溜め息を吐くと、棚に片付けてあった依頼書を依頼主の前に差し出した。


「流石に全てを揃えることはできなかったわ。春に咲く紅吐息ですらやっと地熱で狂い咲いていたくらいなのに、精霊由来であっても夏の盛りに実を付けるコドルシオなんて、いくら静謐の森でも見つけようがないわ」

「……そうか」


 依頼書を捲っていた指が止まる。傾げられた首に合わせて、赤銅色の髪がさらりと揺れた。


「もしかして、印が付いている薬草はもう揃っているのか?」

「え? ええ……生えている場所は把握しているから、この時期で見つけれる物は昨日一昨日でほとんど」


 お蔭で風邪を引く羽目になったのだが、そこまで口にするのは野暮だろう。

 だが敏い魔術師には推測できてしまったようだ。秀麗な顔に、表情は出ない。代わりに彼が握る依頼書に、音を立てて皺が寄る。


「すまない、クレール」

「何故謝るの? これは私の仕事で、加減を見誤ってしまったのは私の責任よ」

「だが……」


 エドガーはまだ何か言いたそうにしていたが、灰青色に睨め付けられているのに気付いて口を閉ざした。

 言葉を探すように視線を彷徨わせ……けれども取り繕う言葉は見つからなかったのか、ほんの青年のように眉尻を下げる。


「採取してきてくれて、ありがとう」

「どういたしまして」


 ただの少女の澄まし顔で応えたクレールに、エドガーはやっと笑みを零した。




 窓の外がすっかりと暗い。きっと外では、気温が下がり続けている。


「もう帰った方がいいわ。もう、鐘が鳴ってしまう」

「わかった」


 外套を羽織ろうとしたエドガーは、思い出したかのように薬草が入った籠を持ちあげた。


「これは俺が持って行こう」

「いいの?」

「北の薬屋だろ? なら通り道だ」


 それならばと、クレールは依頼書もエドガーに渡す。

 オリーヴィエは余程クレールを信用しているのか、いつも依頼書の控えを取っておくことをしていないから、これがなければ検品にならないのだ。


「貴方が頼んだものなのに、そのまま城に持って帰っては駄目なの?」

「一応売買契約というものがあってだな」

「お仕事の都合があるのね?」

「そういうこと。ああ、報酬はちゃんと君に渡すように言っておくから安心してくれ」


 見送ろうとクレールが玄関扉に手をかけた瞬間、北の方角から澄んだ鐘の音が響いた。


「……夜告げの鐘が鳴り始めたわ」


 街の方角を見れば、吹きしきる雪の狭間で、何処の家も煌々と窓から光を零している。この時分だと、もう雪像会場にも人がいない筈だ。


「今日はありがとう。気を付けて帰ってね」

「ああ。君もちゃんと休むんだぞ」


 右手に朱い火が灯るランタンを、左手に薬草が入った籠を持った魔術師は、ふと何かを企むように口の端を上げた。


「クレール」

「なぁに?」

「おやすみ」


 青年の唇が白い額に触れる。それが口付けだとクレールが気が付いたのは、一歩下がった彼の、してやったりと言わんばかりの顔を見てからだ。

 真白い頬が、ほんのひと瞬きの間に真っ赤に染まる。


「おやすみなさいっ!」


 半ば叫ぶように応え、クレールは大きな背を玄関外に叩き出す。

 即座に閉じた扉の向こうから聞こえる闊達な笑い声に、落ち着きかけていた熱がぶり返してしまいそうだ。


「本当に腹の立つ……」


 苦々しげに吐き捨てクレールは、それでも街の灯りに紛れてしまうまでランタンの朱さを目で追っていた。


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