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銀のカルーセル  作者: 白毬りりま
クレール・ネージュは春を告げる

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031.ちいさな講義


 水晶城の敷地内に建つ西の図書館には、ありとあらゆる書物が集まっている。

 一番古い物だと千年前に行われた大戦時に書かれたとされる曰く付きから、最新は夏に王都で発行された流行小説まで。


 いつからか国内随一とも謳われるようになった蔵書の森の入り口近く。丁寧に閉じられた新聞の束を前に、クレールは目的の日付を探していた。


「夏の終わりなら、八月頃だろうから……あった」


 閲覧者が多いのだろう。その日付分だけ、やけに紙がしなっていた。

 平日の昼間で利用客が少ないのをいいことに、クレールはそのまま棚の前で新聞を広げる。

 そうして真っ先に目に飛び込んできたのは、最近何かと関わるようになった青年の姿絵だ。


「本当に一面にあのひとが載っていたのね……?」


 細かく刺繍が刺された豪奢なローブを纏い、肩に届かない長さの髪を乱れひとつなく撫で付けている。

 斜に構えた澄まし顔も凛々しく、騎士と並んでも見劣りしないであろう長身は綺麗な姿勢と相まって逞しく見える。確かに、部屋に飾る娘がいても可笑しくないのかもしれない。


「……あ、翠の塔が生えた時のことも書いてある。そりゃ驚くわよね……」


 天気予報に今年の林檎の生育状況。王都から入って来た国政に関する記事に、ラベンダーの収穫、今週の猫のお墨付き商品、最近の観光客の動向まで。

 もう三ヶ月も前の新聞だが、記載されていた記事の大半に覚えがあった。やはり読んで何処に片付けたのか忘れてしまったのだろうか。


「でも何処に片付けたのかしら……」


 考え込む華奢な肩を何かが叩く。軽い力で二度。

 飽きて籠から出て来てしまったのだろうかと、新聞を読みながらクレールは小声で問いかける。


「なぁに、グレースちゃん」

「……すまない、グレースじゃないんだ」


 気品のある低い声。耳からそれほど離れていない囁きに、他に誰もいないと思っていたクレールは、びくりっと肩を跳ねさせた。

 驚きのあまり手から擦り抜けた新聞を、床に落ちる前に男の手が受け止める。


「はい」

「あ、ありがとう……」


 弾む胸元を押さえながら振り返ると、手元の姿絵と同じ顔の青年がすぐ真後ろに立っていた。




 久し振りに見る魔術師は、政務官の制服を着ていた。

 ローブを纏っていないため、すらりとした長身が露わになっている。秀麗な顔立ちと相まって、何も知らなければ普通の政務官だと勘違いしそうだ。


「ちょっと君に尋ねたいことがあるんだが、いいか?」

「私は司書ではないのだけれど……」


 図書館の入り口に座っている係を示唆すれば、エドガーは神妙な顔で首を横に振る。


「君の方が詳しいと思うんだ」

「そう……?」


 そんなことはないと思うが、妙に翠の双眸は確信めいている。

 クレールは新聞を丁寧に畳み直して棚に戻すと、改めて政務官姿の青年に向き直った。


「何が聞きたいの?」

「この街で起こった、過去の災害について」


 想定だにしていなかった質問に、クレールは眉を顰めた。

 魔術師である彼と災害という単語が、どうしても結び付かない。


「災害? たとえば?」

「天災でも水害でも……疫病とか」

「何故、急にそのような話が? 街で何か問題が起こっているの?」


 澄んだ声に混ざる詰問めいた響きに、エドガーは口籠った。

 と言ってもそれは一瞬のことで、睨め上げて来る灰青色にすぐに口を開く。


「俺の本業は魔術師とはいえ、領の政務に関わるようになったからな。そういうことにも関心を持つべきだと思った」

「政務官に聞けばよいのでは? ゼファーなら教えてくれるでしょう?」

「奴に聞く前に、街の皆にとって常識な範囲は知っておきたい」

「ふぅん?」


 腑に落ちないが、彼なりの矜持があるのかもしれない。だがそれは、クレールにはわからないものだ。


 ふとクレールは先日顔を合わせたラクル河でのやり取りを思い出した。


「てっきり、この間の水質検査に関係するのかと思ったわ」

「まあ、完全に無関係ではないな。住んでいる環境について知りたいという点で」


 どうやらエドガーは、クレールが思っている以上に勉強熱心な青年のようだ。

 感心するクレールの無言を、エドガーは迷っていると受け取ったらしい。


「講義料なら払う」

「いらないわよ。私は教師でもないし」


 それよりも、エドガーのいうシリウス領の災害についてだ。

 銀雪の街と謳われるシルヴェ・ティティアを中心とし、旧シリウス辺境伯領でぱっと思いつくのは雪害だ。だがエドガーは、そんな目に見えてわかり切ったことを訊いているのではないだろう。


「災害、ねぇ……災害……うぅん……?」


 腕を組み、クレールは視線を中空に投げる。ざっと記憶しているシリウス辺境伯領の歴史を浚い、数度瞬く間を経て該当しそうな件に行きつく。


「ある、わね」

「あるのか!?」


 思いがけず天井に跳ねた男の声に、クレールは眉を顰めた。人差し指を唇に添える仕草を見せると、エドガーは申し訳なさそうに首を竦める。


「談話室で聞いてもいいか?」

「では本を取って来るから、先に行って貰える?」

「わかった。一番奥の部屋で待ってる」


 クレールは少し奥まった棚に寄って目的の一冊を取り出した。そのまますぐに談話室に向かおうとして、少し迷って司書からシリウス領だけでなく周辺の領も記載された地図を借りる。


「お待たせしました」


 談話室は小さな火鉢が置かれていたが、点いたばかりの火で炭の半分が漸く色付くところだった。それでも廊下よりも暖かいのは、彼が何か魔術を使ったのだろうか。


 クレールはエドガーの斜向かいに座ると、隣の椅子に籠を置いた。暖かさに気付いたのか、寝惚け眼の白蛇が顔を覗かせる。

 白蛇は何度か紅い目を瞬かせていたが、向かいの椅子に座る青年に気付くと籠から躍り出た。


「よう、グレース。元気にしていたか?」


 応えるように舌を覗かせる白蛇の頭を、エドガーは指先を揃えて撫でる。いつの間にか随分と懐いていたようで、白蛇は上機嫌だ。


 その横で、クレールは持ってきた本と地図を広げる。青く染められた上等な革でできた表紙には『シリウス領記 (十一)』と銀色の箔が押されていた。


「これ、この領の記録書だよな?」

「そうよ。代々のシリウス辺境伯が書いたものなの。これは第十一代シリウス辺境伯ヘリオスが書いたものね」


 この一冊は、前後の代に比べて少しだけ分厚い。その理由を求めて迷いなくページを捲っていたクレールは、斜向かいからの視線に気付いて指を止めた。


「もしかしなくても、読んだことある?」

「大分前に一度だけだが、全巻読んだ」


 なら、クレールの話なんて必要ないのではないか。領記には当時の辺境伯が遺さなければならないと判断された歴史がすべて書き記されていて、災害はその最もだ。


「あの……もう一度この本のこの章を読み直したら、貴方の知りたいことはわかると思うの……」


 寧ろクレールの話を聞くのは余分かもしれない。

 おずおずと差し出されたページに、エドガーは首を振った。訝しむクレールを、細められた翠の双眸が見つめる。


「君の言葉で聞かせてくれ」


 その低い声は、酷く穏やかだった。まるで過ぎてしまった時間を懐かしむ大人のように、少しだけほろ苦さを孕んだ穏やかさ。


 思いがけない感情に、クレールは虚を突かれて灰青色を丸くしてしまった。

 だがいつまでも呆けている訳にもいかず。少し逡巡すると、本を開いたまま地図の脇に避けた。


「貴方も知っての通り、七百年くらい前の話のことよ。隣のミルザム子爵領あたりを中心に、大きな旱魃が起こったことがあるの」


 白い指先が地図の上、『ミルザム』と書かれた領を示す。

 子爵領であるそこは、シリウス領よりもラクル河の下流側で、小麦の栽培が盛んな土地だ。シリウス領に比べて南に位置するともあって、その他の農作物もよく作られている。実際、シルヴェ・ティティアの市場に並ぶ野菜も三分の一近くがミルザム産だ。


「大戦の記憶も薄まり始めた頃の話。ラクル河の底が見えるくらいの大旱魃で、シリウス辺境伯領も南部の農作地に被害を受けた。それが何年も続き、当時は伯爵領だったミルザム領は何百もの領民が亡くなってしまったの」


 ラクル河はシリウス領だけでなく、隣領のミルザム領や他領にも渡る大きな河だ。そこが干上がったとあって国中の食糧事情に影響を与えたが、ミルザム領は最も大きな被害を受けたと領記には記載されている。


「本当に、ミルザム領あたりだけ、酷かったの。シリウス領は雪解け水のお蔭で井戸が枯れることなんて早々ないし。更に南の領はミカレ連峰ほどではないけれど山を持っていたし、その山からラクル河に合流する川が何本かあったから、取水制限をかければどうにかなる程度の被害だった。ミルザム領に比べて雨が降る地域なのも、幸運だったわ」


 少女の語りに合わせて地図の上で踊っていた白い指が止まる。

 クレールが口を閉ざしたほんのひと刹那、炭の焼ける音が、やけに大きく響いた気がした。


「でもミルザム領だけはそうではなかった」


 ラクル河に頼り切っていたミルザム伯爵領は、大旱魃に対処できなかったのだ。


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