030.見つからない齟齬
白い雪道を踏み進め、薬屋の扉を叩く。今日の店番は孫娘のマーガレットだ。
「また蛇を連れてる」
籠から覗く白い鱗を目敏く見つけたマーガレットに、クレールは唇を尖らせた。
「いいじゃない。偶にはグレースちゃんと一緒に出掛けても」
「偶にじゃなくていっつもじゃない。だから蛇女なんて言われるのよ」
付き合いが長いからか、マーガレットの言葉は遠慮がない。小さい頃はまだ可愛げがあったが、十で祖母に師事し始めた頃から容赦がなくなった。
「ちゃんと薬草に直接乗らないようにしているのにねぇ」
同意するように、白蛇は尻尾の先で自分が潜っていた毛織物を突く。
依頼書と共に持ってきた薬草は籠いっぱいの量だ。長卓の上にちょっとした山を作る薬草を眺めていたマーガレットは、端に避けられていたポットの中を覗き込む。
「淹れ立てじゃないんだけど、お茶飲んでいく?」
「いただきます」
椅子に座ると、大小二つの白いカップが置かれる。薄らと湯気を立てる紅い液体には、紅涙林檎の切れ端が浮かんでいた。
横の小さなカップは白蛇用だ。元はマーガレットが使っていた人形遊びの道具を、わざわざ用意してくれていた。
そちらにも律儀に林檎の切れ端が入っているのを見つけた白蛇は、紅い目を細めて林檎だけを先に食べてしまう。
ポットの中が完全に空になったのか、マーガレットは自分のカップの上で注ぎ口を振るのを止めると、カップを傾けているクレールに尋ねた。
「二杯目も飲んでいくよね?」
「折角だから頂こうかしら」
マーガレットは一度奥へと引っ込むと、薬缶を持って現れた。待合室を温めるために置かれた火鉢の上に薬缶を設置し、漸くと言った体で検品作業に移る。
「オリーヴィエは?」
「急ぎの大量注文が入った所為で調合中」
「今年はもうそんなに風邪が流行っているの?」
「違う違う。馬鹿な観光客が物珍しさで雪を大量に食べて腹を下しただけ……まあ、風邪も流行ってるんだけどさ」
口を動かしながら、マーガレットは検品を続ける。店主でもある祖母に比べれば随分と遅々としているが、仕事の丁寧さは変わらない。
「そうだった。次の依頼書、おばあちゃんから預かってるんだった。先に渡しておくわ」
壁際の薬棚から、依頼書を取り出す。普段であれば一枚、二枚程度のそれは、全部で五枚もあった。
「今回は注文項目が多くないかしら? 腹下し以外の薬草も多くない?」
軽く閉じられた紙の束を確認し、クレールは小首を傾げる。
「城が熱冷ましの薬を集めているらしいよ」
「熱冷まし?」
「あと炎症止め」
言われて改めて、クレールは一覧に目を走らせる。確かに、マーガレットのいう症状に対応できる薬の材料が並んでいる。
「誰か風邪か大怪我でもしたの?」
「そこまでは知らないわよ……あ」
検品の手を止めて、マーガレットは窓の外に視線を投げる。相変わらず雪が降っている空の下、水晶城と翠の塔が並んで煌いている。
「そういえば、珍しく南の診療所からも風邪薬の注文が入ってるっておばあちゃんが言ってたわ。いつもは遠くても精々西からなのにって」
「風邪や流感が流行るのは毎年のことだけれど、いつもは前年の在庫と秋までの収穫分で間に合っていたでしょう?」
「今年は思ったより回るのが早いんじゃないの? ほら、雪も去年より多いし」
そういう年もあるのかもしれないが、妙に納得がいかない。雪だって、前の冬に比べてそれほど多いとは思わない。
「まあ風邪が本格的に流行るのはいつも通り雪祭り後だろうし。今のうちに在庫整理しておかないと」
薬缶がマーガレットを呼んでいる。見ると、注ぎ口から湯気が立ち昇っていた。
洗ったポットに新たに入れられるのは、彼女のお気に入りである雪薔薇の花弁が混ぜられた茶葉だ。
先程とはまた異なる馨しい香りに、白蛇はまだかまだかとカップの前で首を左右に振る。
ひと息吐いて、マーガレットはまた薬草を検める。
真剣な横顔を眺めながら、クレールはふと口を開く。
「ちょっと聞きたいことがあるのだけれど」
「なに」
「エドガーさんって、知ってる?」
「エドガーさん? 何区の?」
「水晶城のエドガー・レイ・マギ・ウィリスさん」
果たしてそう呼称するのが正しいのかわからないが、マーガレットにはちゃんと伝わったようだ。口をあんぐりと開け、忙しなかった手も止めて、信じられないとばかりに両目を瞠っている。
「ウィリスって……あんた、領主代行様のことをエドガーさん呼びしてるの!?」
「あ、やっぱり知っているのね?」
「は? 知らなかったの?」
小さく頷けば、これでもかと大仰に溜め息を吐かれる。
「辺境伯領の領主代行で大魔術師閣下のことを知らないなんて……物知らずにも程があるわよ。しかも赴任されたの、夏の終わりだったし」
「まさか、彼がそうだとは思わなかったのよ……」
領主代行が変更になったのは覚えていた。何せ、辺境伯家の信頼の厚かったルーグィス家の次期当主が引き摺り下ろされると、住民たちの反発が少なからずあったからだ。
「もっと街に出て来なさいよ。閣下、結構街を歩いてらっしゃるわよ? 下手したらあんたよりお見掛けするわ」
「そんなに?」
「出歩き過ぎてゼファー様が頭を抱えてるわ」
思いがけずエドガーに見張りを付けられている理由が判明し、クレールは得心する。
「それで、エドガーさんが赴任された時期の新聞を読んでみようと思ったのだけれど」
「載ってたでしょ?」
「新聞自体がなかったのよ」
高く澄んだ声に混ざる胡乱に対し、マーガレットはあっけらかんとしたものだ。
「捨てたんじゃないの?」
「そんな筈ないわ。昔から、すべて」
保管していた筈なのだ。年ごとに束にして、何百と。だが、あの小さな家の何処にも見つけられなかった。
「なら、片付けた場所を忘れているだけでしょ」
「忘れる……私が?」
そんなこと、思いもしなかった。
灰青の双眸が丸くなる。腰を浮かし、クレールは長卓から身を乗り出した。
「ど、何処に……?」
「私が知る訳ないでしょ。あんたの家なんて行ったことないんだから」
全くの道理に、クレールは椅子に座り直す。
小さな肩から狼狽が漏れ出しているのを見て取り、呆れた顔をしながらもマーガレットは助言する。
「そんなに気になるなら、図書館が保存してるの見て来たら? うちのはおばあちゃんが薬草を包むのに使っているから、魔術師様たちがいらした時のなんてもう何処にあるのかわからないし」
「……そうね」
クレールはよく足を運ぶ水晶城の一角にある図書館を思い浮かべる。
『西の図書館』と呼ばれるそこには、創刊からの全ての新聞が保存されている。流石に古いものは奥に仕舞われているが、今年の分は利用者が容易に手に取ることのできる棚に並んでいた。
問題が解決した訳ではないが、当初の目的は果たせそうだ。
若干の靄を心に残しつつ、クレールは二杯目に手を伸ばす。
「魔術師様がいらっしゃることに、最初ゼファー様はよい顔をされなかったらしいけれど。領主代行を兼ねていると聞いた途端、態度が軟化したらしいね」
「ふぅん?」
シリウス辺境伯家の直系が途絶えたあと、辺境伯領の統治を主に担っているのが傍系であるルーグィス家だ。その嫡男として生まれたゼファーは、幼少時から途絶えてしまった辺境伯の代理を務めるために厳しい教育を受け、長じた今は見事に民の期待に応えている。
街どころか旧シリウス辺境伯領の未来を左右する最終決定権を持つただひとり。夏が終わるまではそれがゼファーだった。
「ゼファーが魔術師を呼んだのではないの?」
「私はルカード家の方が呼んだって聞いたけど? ほら、あそこの坊ちゃん、去年まで王都の高等学校に通っていたでしょう?」
「そういえば、そうだったような……」
自分の生活に関わらないからか、思い出すのに間が空いてしまった。
「そういえば、私はどうして魔術師がわざわざシルヴェ・ティティアにまで来たのか知らないのだけれど……」
「無理もないわよ。城の連中、大っぴらにしてないんだもの。ほとんどの住民は、あんたみたいにただ研究場所を求めて魔術師様たちが来たと思ってる」
口元に手を添えるマーガレットに、釣られてクレールは耳を寄せる。他に客はいないが、随分と声を潜めて囁くようにする。
「ここ数年、冬が長いでしょう?」
「そう?」
「そうって……私の子どもの頃は二月の終わりには雪が少なくなり始めるのに、去年なんて三月入ってもまだ山ほど雪が残っていたじゃない」
また呆れられてしまい、クレールは肩を竦める。
「で、これは精霊の仕業じゃないかって、ルカード家の誰かが騒いだらしくってさ。なんだかんだ冬が長引くと大変でしょ? でも精霊相手だとただの人間には対処できないからって、王宮に魔術師の派遣を要請したらしいよ」
「そんな理由で、よくマギステルなんて寄越してくれたわね……?」
しかも筆頭公爵家の子息だ。並みの貴族の子息とは一線を画している。彼がよくても、家が許さなかったのではないだろうか。
「精霊の気紛れって、魔術師がどうこうできるものだったの?」
「さあ?」
ちょいちょいと頬に何かが触れる。顔を横に向けると、白蛇が不貞腐れたように紅い双眸を眇めていた。見ると小さなカップの中は、すっかりと空になっている。
「ごめんね、グレースちゃん。飽きちゃったわよね」
全くだといわんばかりに紅い舌が覗く。
丁度マーガレットの検品も終わったようで、報酬が入った革袋が長卓の上に置かれる。
「じゃ、次もよろしくね……と言いたいところだけれど、実際どう? 採れそう?」
「あまりこの時期はたくさん採りに行かないのだけれど……この一覧程度なら、まだ見つかると思うわ」
窓の外は相変わらず雪が降っている。帰り道は問題ないだろうが、この調子であれば明日はいくらか雪が深いかもしれない。
「もう暗くなってきてる。最近夜の鐘も早いし、寒くなる前に帰りなよ」
「わかったわ」
外套の釦を閉じていると、奥からオリーヴィエが出て来た。
「おや、蛇っ娘。来てたのかい?」
「お邪魔していました」
肩に手を当てて首を左右に傾けていた老婦人は、籠から頭を出したり入れたりを繰り返している白蛇を認め、目を細める。
「今日は蛇を連れてるのか」
「今日はって……いつも連れているでしょう?」
「先週は連れてなかっただろ? 毒性の強い薬草が多かったから」
「……確かに?」
ほんの一週間前の記憶を辿るクレールを、紅い瞳は不思議そうに見上げていた。
帰ってから改めて依頼書を確認すると、一番下の署名は領主代行を務める青年のものになっていた。
「魔術師というのは研究職だと思っていたのだけれど、ちゃんとご領主様をされているのね」
すっかり寝支度を整えて寝台に転がっていたクレールは、枕元の僅かな蝋燭の灯りに依頼書を翳して呟いた。
彼女の愛しい白蛇は、すっかり夢の中。クレールの枕に頤を乗せて、紅い瞳を完全に閉じている。
ふと、左薬指の指輪が目に入る。蝋燭の光を返して艶やかに輝る翠色は、何故か魔術師の青年を想起させた。
「先週、薬屋にはグレースちゃんを連れて行かなかった。雨の日は、そもそもそれどころではなかった」
ぽつぽつと、感情のない声が零れる。それらは全て、蝋燭の灯りに溶けて消えていく。
「あのひと、何処でグレースちゃんのことを知ったの?」
クレールは溢れた疑問と共に灯りを吹き消すと、布団の中に潜り込んだ。
桜が咲く3月22日くらいには完結したいという願望がありましたが、彼女が春を告げるまで現時点で5万字は確定しているのでまだ暫く終わらないです。
北の大地ではGWくらいに開花らしいのでそれまでに終了が目標です。




