029.はしゃぐ声
何食わぬ顔で、二杯目の茶が振る舞われる。どうやらまだ帰して貰えないらしい。
「エドガーさんは現場監督だそうだけれど、フィオナさんは何の担当なの?」
他の魔術師たちは相変わらず水汲みに精を出している。偶に魔術で釣りのようなことをしているようにも見えるが、息抜きくらいはするだろう。
一方のフィオナは、クレールが見る限り茶を飲んで焼き菓子に舌鼓を打っているだけだ。
給仕役なのかと思ったが、馬車の窓からは水晶城の行儀見習いの制服を着た少女の横顔が覗いている。今は本を読んでいるようだが、茶を淹れたのは彼女で間違いないだろう。
「本日のわたくしのお役目は、エドガー様の見張りですわ」
「見張り……?」
「ええ、見張りでございます」
フィオナは大仰に頷くと、火の操作を行うエドガーを一瞥する。
「本当はグレン様という騎士がエドガー様のお目付け役なのですが、本日は当番があるそうなので。ゼファー様にまで頭を下げられてしまっては断れず、こうしてお供に参った次第でございます」
挙げられたのは、この街の者なら誰もが知る筆頭政務官の名前だ。
旧シリウス辺境伯家の分家筋生まれであり、幼少時から辺境伯領の領主代行となるべく育てられた青年は、クレールの知る限りではいつも穏和な表情を保っている。
王都の学園を首席で卒業した秀才であるだけでなく、采配も公平で、領民の小さな声でも無碍にしない。すこぶる評判のいい政務官だ。
「あのゼファーに見張りを付けられるだなんて、貴方は何をしたの……?」
「ちょっと息抜きをしていただけだ」
「ちょっとぉ……?」
たっぷりの胡乱をもって聞き返せば、若き魔術師は明後日の方向を向いてしまう。
「あー! 閣下だー!」
空を突き抜ける甲高い声。クレールたちが揃って振り返ると、五人の子供が雪の上を転がるように駆けて来る。
「何してるの? 泳ぐの?」
「泳がない」
頭の上から足の先まで十分に着込んで丸くなった子供らは、ぷっくりとした頬を赤く染めている。黄色い声を共に吐き出される息は白いが、寒さをものともしていない。
子供たちはフィオナから菓子を貰うと、口々に礼を言って火の周りに座り込んだ。
そのうちの一人、クレールの右側を陣取った少年が膝で微睡んでいた白蛇に気付いて顔を強張らせる。
「あ……蛇のねーちゃん……」
クレールは無言で白蛇を外套の下に隠した。そのまま澄まし顔でカップを傾ければ、少年は何事もなかったかのように菓子に夢中になる。
不意に一番小さな少女が、思い出したように動きを止めた。何かあったのかと大人たちが見守る中、シルヴェ・ティティアでよく見られる青みの強い瞳をくりくりと輝かせながら、エドガーを見上げる。
「森の近くで焚き火はしちゃいけないんだよ」
「そうなのか?」
「掟で決まってるもん。そうだよね?」
ぷくりと頬を膨らませた少女が同意を求めるのはクレールだ。クレールとの距離が決まっている大人と違い、時に子供は遠慮なく話しかけて来る。
クレールは目を瞬かせると、煌々と輝く炎を見つめた。彼の魔力を帯びているからだろう、時折翠の火花を散らしている。
「してはいけないのは、森に飛び火してしまう危険性があるから。これほど見事に制御されている炎なら、問題はないわ」
「よかったね、閣下。魔術上手で」
何故か得意げな少女に、エドガーは何とも言えない顔で笑うに留めた。
菓子を食べ終えると、年長の子供から火の周りで小さな雪像を作り始めた。どうやら此処で遊ぶことを決めたらしい。
「閣下、見て! うさぎ!」
「よくできているな」
「犬できた!」
「猫はいないのか?」
「猫? 閣下、猫好きなの?」
「結構好き」
二つ目の菓子を齧っていたクレールは、エドガーと子供たちの会話を聞きながら小首を傾げた。
「閣下って……エドガーさんって、そんなに偉い方だったの?」
「えっ」
信じられないと言わんばかりに、子供の大きな目が一層丸くなる。それどころかエドガーとフィオナまで唖然としている。
「な、なに?」
「蛇のねーちゃん、もしかして知らないの!?」
「閣下、マギステルなんだよ!?」
マギステルという言葉はクレールも知っている。王都にある魔術学院を卒業した魔術師の中でも、国から特別に認められた存在。
大魔術師とも呼ばれる称号だというところまで思い至ったところで、クレールも目を丸くした。
「え……? エドガーさんって、翠の塔の主人だったのね……?」
「そこからか……?」
ぎこちない動作で頷き、クレールは己の無知に頭を抱えたくなった。だが焼き菓子を持ったままであることを思い出し、大人しく膝の上に手を降ろす。
「ごめんなさい……世俗に疎くて……」
「あら? でしたらクレールさんは、エドガー様が領主代行を務めてらっしゃるのもご存知ないのでは?」
「そうなの!?」
「そうだな」
クレールは他人に興味ない方だが、流石に住んでいる街の領主を知らないのは違うと思っている。現にまだ幼年学校に入るか入らないかと言った年頃の子供たちは、何故知らないんだと言わんばかりの目をしている。
「言われてみれば……今はゼファーが領主代行ではないと、聞いたような……?」
「閣下の絵、新聞にも載ってたじゃん! 一面にどーんって!」
「公爵家の御子息様が新しい領主様だって、あんなにみんな言ってたのに!」
「そうだったかしら……?」
シルヴェ・ティティアで流布している新聞は、新聞社が出す週刊のものだ。水晶城からの報せや猫探しまで掲載していて、一部が昼一食分程度の値段で販売されている。
かつてシリウス辺境伯家が領内の識字率を上げる一環で、領の一部で印刷に向いた植物紙の生産を興したのも相まって、今では領内での娯楽のひとつとして広く嗜まれていた。
「なんで知らないの? うちのねーちゃんなんか、未だに切り抜きを部屋に貼ってるのに」
「それは聞いていい話なのかしら……?」
クレールもまた、新聞の読者のひとりである。頼めば配達して貰えるが、森の手前まで来させるのは忍びなく、買い物のついでに購入している。
だが子供たちのいう記事に覚えがない。まさか買い損ねたのだろうか……買い損ねたという記憶もない。
「帰ったら確認してみるわね。夏の分はまだ取っている筈だから」
「すぐ見つかると思うよ。本当にばーんって閣下の絵が載ってたから」
「いい仕事したって最後のページの彫師の欄に書いてあったから、絶対見た方がいいよ」
「そ、そうなの」
此処まで言われてしまっては、見ない訳にはいかないだろう。
「あの、エドガーさん」
「急に改まってどうした、クレール」
「その……念のため、お名前をちゃんと伺っても……?」
恐る恐る問いかけるクレールに、若き領主代行兼魔術師は澄まし顔で応える。
「エドガー・レイ・マギ・ウィリスだ」
「そう……エドガー・レイ・マギ・ウィリスさんね……覚えておくわね……」
何処かで聞いたことある名だと思えば、建国時から王家に仕える筆頭公爵家が同じ名前をしていた気がする。
改めて青年の顔を見れば、秀麗な雰囲気が漂っている。子供相手だから粗雑に振る舞っているつもりだろうが、雪玉を作る様すら無駄なく洗練されている。
低く落ち着いた声も、発音のひとつとっても、上級貴族と呼ぶに相応しい気品が感じられた。
「そうか、塔の主人で領主代行様だからゼファーは見張りを……というか、貴方、ひとりで出歩いてはいけない立場では?」
雨の日と薬屋では供を付けていなかったことを思い出して指摘すれば、エドガーは無言で目線を逸らした。
雪像作りに飽きたのか、子供たちは河辺の魔術師たちに絡み始めた。彼らも貴族出身だろうに、はしゃぐ子供を厭うことなく、合間で釣っていた魚を自慢している。
「あまり河に近づくな。落ちるぞ」
「落ちる訳ないじゃん。落ちたら凍え死んじゃうし」
無邪気な意見を余所に、クレールは無言で漸く乾いた己の外套を羽織る。エドガーが何度か焚き火の操作をしてくれたお蔭で、靴も爪先まですっかり乾いていた。
「河の調査ってなにするの? 魚を数えるとか?」
「魚の数はまだ調べてない。河の規模や水量、あとは水質が主だな」
「水量なら、うちの父ちゃんが言ってた」
「うん?」
エドガーはしゃがむと、すぐ横で河を覗き込んでいた少年と視線を合わせた。
「お前の親はなんて言っていたんだ?」
「ここ何年か、河の水がびっみょーうに少ないんだって。お蔭で下流にある南部も隣領も小麦の育ちが悪いらしいって、隣のじいちゃんと話してた」
「うちのお母さんも。去年よりましだけど今年も野菜が高いって、文句言ってた」
口々に挙げられるのは、街の住民の他愛もない話題の一片だ。
子供ながらによく聞いていると感心しながら、エドガーは腕を組む。
「確かに、今年の夏は雨が少なかったからな」
「ちがうよ」
未だに焚き火の前に陣取っていた一番小さな少女が、おしゃまな口振りで声を上げる。
「だって、ラクル河は森の雪どけ水だもん。だから、夏の雨はそんな関係ないのよ」
「そうなのか?」
「そうよ。おかーさんが言ってたもん」
得意げな少女に、一番大きな少年が首を傾げる。
「じゃあなんで水位が下がってたんだよ」
「えっ」
「ララ、説明してみろよ」
他の子供たちに詰め寄られ、少女は口籠った。反論がすぐに見つからなかったのか、そのまま隣に立っていたクレールの背後に隠れてしまう。
「こら、喧嘩はするな。するなら学校か図書館の談話室にでも行って議論しろ」
「そういう問題なの?」
子供たちは顔を見合わせる。エドガーのいう議論をするかどうか、こそこそと大きな声で相談を始める。
「話が纏まったら報告書にして城に持って来い。読んでやる」
「本当!?」
「本当本当」
ぱっと、子供たちの顔が輝く。
「閣下、約束だよ!」
次の遊びが決まった子供たちの甲高い声が、はしゃぎながら青空に振り撒かれる。
「アル! さっさと来い! 大人に談話室取られちまう!」
「わかってるって!」
「ま、まってよ!」
雪原を転がるようにして駆け下りていく子供たちの姿は、すぐに街並みに吸い込まれて見えなくなった。学校も図書館も大分距離がある筈だが、元気なものである。
「無邪気ですわねぇ。此処が王都なら、絶対に見られない光景でございましたわ」
朗らかに笑うフィオナに対し、エドガーは渋面で腕を組む。
「何故あいつらまで俺のこと閣下と呼んでいるんだ?」
「ゼファーの真似でしょうよ。貴方たちが来るまで、彼が領主代行だったから」
いつの間にか、足元の影が大分長くなっていた。河辺にいた魔術師たちは目的が済んだようで、撤収作業を始める。
クレールはそれまで纏っていた外套の皺を軽く払うと、本来の持ち主へと差し出した。
「外套、ありがとう。お蔭で風邪を引かずに済みそうです」
「ならよかった。帰ったらちゃんと温かくするんだぞ」
焚き火周辺の片付けを済ませた頃には、風の中に夕べの気配が混ざり始めた。もう暫くしない内に、夜の鐘が鳴り始めるだろう。
「それにしても、河の水が少ない、ですか……旱魃の前兆とかでなければよろしいですが」
何気なく呟かれたフィオナの魔術師としての言葉に、クレールは小さく唇を引き結んだ。




