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銀のカルーセル  作者: 白毬りりま
クレール・ネージュは春を告げる

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3/30

002.ずぶ濡れの客人


 彼に対するクレールの第一印象は、綺麗な男だった。


 見た目だけなら彼女よりもいくらか上、ちょうど二十を数えるくらいだろうか。

 濡れそぼって青年の頬に張り付いている髪は、この辺りでは珍しい赤銅色。肩に届かない長さで、毛先を遊ばせてある。

 深い翠の双眸が煌めく目元は、切れ長で涼やか。鼻梁はすっと通っていて、薄めの唇は形がよい。

 クレールより頭ひとつは高い体躯はよく引き締まり、姿勢のよさと相まって均衡がよく取れているのがわかる。


 纏っているのは、素人目にも上等な生地で作られた黒のローブ。ゆったりとしているがだらしない訳ではなく、裾や襟に金刺繍で複雑な紋様が描かれている。

 中の服も上下ともに黒い生地。型は平服のように簡素だが、やはり良い生地で仕立てられている。それだけでなくシャツのボタンひとつとっても、光沢のある貝を丁寧に削って作られているように見受けられる。

 何よりローブの上、彼の胸元で輝く金で彩られた澄んだ翠色の石は、恐らく本物の翠玉だ。自分の持つ指環よりずっと大きなそれに、クレールは目を丸くして魅入る。


 秀麗ながらもどこか精悍さも感じる容姿。全身濡れ鼠だというのに、寧ろその艶にさえ気品を感じる。

 シルヴェ・ティティアではあまり見ない容貌の男が珍しく、クレールは思わず静かに見下ろしてくる顔をしげしげと眺めた。


「私の顔に何か?」


 少し低めの、耳に心地よい声。苦笑は孕んでいるが、他の街の人間のように恐れや敵意は感じられない。

 加えてよく整った顔に人好きのする笑みを向けられ、漸くクレールは我に返った。


「い、いえ……何か御用でしょうか、旦那様」

「ああ、突然押しかけてしまって申し訳ない。うちに帰る途中で急に雨に降られてしまったんだ。雨が止むまでで構わないから、暫くお邪魔させて頂けないだろうか」


 第一印象から一変。クレールは相手に見えないようにフライパンを握り直しつつ、少しだけ眉を顰める。

 この小屋があるのは街の外れも外れ。かつ街の人間は静謐の森に入らないため、近くを通りかかる者はほとんどいないのだ。

 それがどうして、クレールの蛇小屋がうちに帰る途中に(・・・・・・・・)にあるのか。


 何も言わずとも不審な感情が伝わったのだろう。青年は苦笑しながら、濡れた前髪を無造作に掻き上げる。


「まあ、知らない男を上げる訳にはいかないか」


 その時の彼の目元は手で隠れてしまっていてよく見えなかったが、穏やかな声は何処となく落ち込んでいるように聞こえた。

 クレールは少しばかりのばつの悪さを感じながら口を開く。


「なんとなくは知っているわ。貴方、翠の塔の魔術師でしょう?」


 夏の盛りに、王都から魔術師の集団がやって来た。魔力と呼ばれる不思議な力を操る術を持つ彼らは、何やら街の人間の要望でやって来たらしい。街の中央にある旧領主城の傍らに翠色に輝く塔を建て、魔術の研究をしながら人々の生活の助けになることをしていると聞く。

 この青年の胸元で輝いている翠の石は、その塔に所属する魔術師の証だ。


 青年の胸元を指差しながら指摘すれば、彼は妙に大仰に頷いて見せた。


「仰る通り。初めまして、魔術師のエドガー・レイ・マギ・ウィリスだ」

「……マギ?」


 数少ない魔術師の中でも、特に最高位のひと握りに与えられる名。


「貴方がマギステルなの?」


 現在、世界に三人しかいないとされる、最高位魔術師の称号。

 強大な魔力を操る才と並外れて高い魔術式の構築技術を持ち、時に大魔術師とも呼ばれる稀有な存在。

 そんな話に聞くばかりの彼らと、まだ十分に若いと言って支障のない目の前の男がなかなか結び付かず、クレールは灰青の瞳を真ん丸にする。


「確かに。俺が翠のマギステルだ」

「まさか、塔の主人がこんなに若いとは思わなかったわ」

「よく言われる」


 飄々と笑う青年に、クレールはますます胡乱な気持ちになる。


「それで、偉大なる魔術師様は私のお家に何か御用かしら? お招きした覚えは特にないと思うのだけれど」


 若干皮肉を込めてそう言えば、エドガーは肩を竦めて見せる。


「だから、雨宿りをさせて頂きたい」

「本当にそれだけ?」

「本当本当。だからフライパンを置いてくれないか? 俺は君の夕食になる予定はないんだ」


 ばれていたのか。クレールは気不味そうに目線を下げると、そろそろとフライパンをテーブルの上に置いた。


 冷たい雨の中、戸口で押し問答してもどうしようもない。雨脚はまだまだ衰える様子がなく、この中を走って帰るには街は遠すぎる。

 魔術師なら魔術で雨くらい避けられるだろうに、エドガーは髪もローブも色が変わって滴るほど濡れてしまっている。このままでは風邪を引いてしまうだろう。


 本当は嫌で嫌で仕方がないが、このまま見捨てて風邪を引かれでもすれば寝覚めが悪い。これは仕方のないことだ。そう己に言い聞かせ、クレールはエドガーを招き入れることにした。

 やっと屋根の下に入ってひと息吐く青年を半眼で()め付け、クレールは洗い場の近くに置いてある棚からできるだけ新しめの綿布を取り出す。


「仕方がないから貸してあげるわ」

「ああ。ありがとう」


 正直この街で一番いい暮らしをしているであろう青年が、文句のひとつも言わずにごわつく布で頭を拭く様も気に入らない。思わずクレールの方が顔を顰めてしまった。


 魔術師は『魔術』と呼ばれる特殊能力によって階位付けられている人種だ。特に魔術師として高い位に就いている者は王都の貴族たちと同じ特権を持っていると、クレールは耳にしている。色を名乗り、自分の研究塔を建てることを許された目の前の男はその最もたる存在だ。


 それが雨宿りにわざわざ粗末と言っても過言ではないクレールの蛇小屋を選ぶなんて、酔狂もいいところだ。もう少し街の方に行けば、若い娘が住んでいる家もあるというのに。


「流石にこの時期に濡れると冷えるな……茶の用意をして貰えるか?」


 もうそろそろ雪が降り出す時期ではあるが、まだ昼間だからと暖炉を兼ねている窯には火を入れていない。雨風に晒されない分、外よりはましと言ったところだ。


「残念ながら、うちにはお客様用のお茶なんて大層なものはないわ」

「それなら大丈夫。丁度さっき茶葉を買って来たばかりだ」

「……どうしてそのまま真っ直ぐ塔に帰らないのよ」


 シルヴェ・ティティアでは、店の殆どは街の中央に集中している。いくつかある茶葉の店だって、どれも北外れの蛇小屋とは塔を挟んで正反対の方角に位置していた筈だ。


 灰青の大きな双眸に灯る警戒を見て取ったのだろう。エドガーは上着の内ポケットから包みを取り出しながら、困ったように笑う。


「本当は君に逢いに来た、と言ったら信じてくれるか?」


 反射的に、クレールの白い手がテーブルの上のフライパンを掴む。

 よく磨かれた黒鉄が振り上げられる様に、エドガーは慌てて両手を翳す。


「待った。今のはなし。うん、本当に雨宿りしに来ただけ」

「今からでも濡れて帰って元気に風邪を引いてしまえばよいのよ」

「それは凄く困る」


 眉尻を下げて呟く男に、クレールはふんっと鼻を鳴らしてフライパンを下げた。また殴りかかりたくなる前に、フライパンを片付けてしまう。


「私、ああいう軽薄なのは好きではないの」

「そうらしいな」


 殴りかかられかけたばかりだというのに、闊達に笑う青年はそれほど気にしている素振りはない。それがますますクレールの不信感を煽るのだが、わざわざ指摘してやるほどクレールは優しくなかった。


 改めて差し出された包みを、クレールは半ば引っ手繰るようにして受け取った。

 淡い緑の包みには、簡素な薔薇の絵が描かれている。口を止めているリボンも薔薇を思わせる薄紅色で、如何にも若い娘が好んで受け取りそうな土産だ。


「これ、どうやって淹れるの? お湯を入れて蒸らすだけ?」

「煮出した方が美味しい茶葉だから、小さい方の鍋に水を汲んでくれ。俺と君の分だから……鍋いっぱいの水だ」


 男の指先で火花が散る。次の瞬間、静かだった竈に紅い火が点った。

 ほんのひと瞬きの間のことに、クレールは灰青の目を丸くする。


「魔術は初めて?」

「……こんな身近で見るのは初めてよ」


 竈に手を翳すと、手のひらのほんのりと熱が伝わってくる。傍らに積んでいた薪を足せば、鍋に入れた水はすぐに沸騰した。


 貰った包みは、開けるなりすぐさま馨しい香りが部屋いっぱいに広がった。夏薔薇の香りだろうか、茶葉の中に鮮やかな紅い花弁が混ざっている。


「火を止めたら、茶葉を鍋に入れて。湯が跳ねないように気を付けて……できたらすぐに鍋に蓋をして、暫く蒸らすんだ」

「なかなか手間がかかるのね……」

「そうだな」


 客用の茶器なんてないから、エドガーの分は昔まだ母がいた頃に使っていたカップを出してやる。

 こうして自分以外のカップを用意するのは何年振りだろうか。クレールは我が物顔で脱いだローブを椅子に掛けて竈の火に向けている男を一瞥し、カップを軽く洗いながら内心で独り言ちる。


 真新しい綿布でカップの水気を取り、自分のと共に鍋の傍らに並べる。その頃には、部屋の中は十分に暖まっていた。


「そろそろいいな」


 小さな鍋いっぱいの紅い液体。立ち昇る温かな香りを吸い込みながら玉杓子で掬い、二つのカップに注ぐ。

 慣れないことでうっかりなみなみと注いでしまったが、食卓まではエドガーが運んでくれた。


「ありがとう。いただきます」


 席に着いてカップを傾け、花の匂いと共に一口。そのクレールの姿を、エドガーは興味深そうに見つめる。


「どうだ?」

「……悪くないわね」


 クレールが澄まし顔で伝えれば、それはよかったと若き魔術師は愛好を崩した。




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