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銀のカルーセル  作者: 白毬りりま
クレール・ネージュは春を告げる

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028.不可解なはなし


 青い空の端に、薄灰色が広がりつつある。今晩もまた、雪が降るのだろう。


「そろそろ帰ります」


 靴に足を入れると、湿ってはいるが我慢できないほどではなかった。

 中途半端に乾いた靴紐と格闘するクレールを、エドガーは腕を組んで眺める。


「フィオナが菓子を持って来るぞ? 食べなくていいのか?」

「貴方……私のことを食い意地が張っていると思っている……?」

「甘い物は嫌いか?」

「嫌いでは、ないけれど……そこまでお世話になる気はないというか……」


 エドガーもフィオナも王都から来た貴族の筈だが、身分も身寄りもないクレールに対し、驚くほど友好的だ。日頃『蛇娘』と呼ばれて疎まれているクレールにとって、正直戸惑うくらい。

 見返りを求められているとは思わないが、施しだと思うには気安すぎる。


「では送ろう」


 当たり前の顔をして立ち上がった青年は、当たり前の顔をしてクレールの外套の乾き具合を確認する。

 構えられた外套に対し、クレールは慌てて手を挙げて制した。


「いりません。そもそも貴方、まだお仕事中でしょう?」

「仕事と言っても、俺は現場監督だしな……本当は水汲みもするつもりだったんだが、止められてしまって他にすることないし。君の家は此処からすぐだし」


 クレールの足で半時間近くかかる距離を遠くないと言われ、釈然としない気持ちがもたげる。

 眇められた灰青に気付いたのだろう。エドガーは妙に言い訳がましく言葉を積み上げる。


「それにほら、河から君の家までの道なんてあってないものだろ? なんでか雪が積もらない大通りと違って、ラベンダー畑はちゃんと雪も深いし」

「それはそうよ?」

「え?」


 心底不思議そうにするエドガーに、クレールも小首を傾げて応えた。


「大通りは積もらないものよ? だってそういうものだもの」

「済まない……本気で意味がわからないんだが」


 クレールは二、三瞬きほど考える素振りを見せると、靴を脱いだ。まだ若干湿っていた中を火に当てながら、エドガーに座り直すよう指示する。

 少女用の外套を椅子に掛け直し、魔術師の青年は大人しく向かいの椅子に戻る。その翠の双眸には、これでもかと疑問を覗かせていた。


「貴方は大通りに雪が積もらないのは不思議だというのね」

「ああ。屋根の上はちゃんと積もるだろ?」

「だって、屋根の上に温泉管ははないもの」


 白い指が地面を指差す。雪に半ば覆われた足元を見下ろし、エドガーは首を捻った。


「温泉管? シルヴェ・ティティアの地下に?」

「全域ではないわ。森の奥の源泉から、うちの前を通って……ちょうど城から四方に伸びる大通りに沿って太い管があって、そこから各家庭に枝分かれしているの。管はそれなりに深いところにあるのだけれど、林檎よりも太いのが何本もあるから、少なからず地面から熱が伝わっているのね。だから大通りは他よりも積もらないの」


 流れるように説明しながら、クレールは両手でよく食べている紅涙林檎よりも少し大きな円を作ってみせる。

 神妙な顔で耳を傾けていたエドガーは、提示された配管の太さに眉を顰めた。


「全くの初耳なんだが……それ、天候に影響したりしないのか?」

「雪は降るものだもの。大通りに積もらせ過ぎない程度が精一杯だったと聞くわ」


 街の方を見下ろせば、他の通りに比べて雪のない道が見える。

 今日もそこに馬車を走らせた魔術師は、漸く得心の言った顔になった。


「赴任したての頃、風呂に温泉用の蛇口が当たり前のようにあって驚いたものだが……まさか、森から直接引いていたとは」


 てっきり、街の何処かに熱水泉があるのだと思っていた。

 エドガーだけでなく、この街に初めて訪れた者なら誰もが通る驚きに、クレールは苦笑する。


「街の人間はほとんど知っているのだけれど……観光客は宿か共用の大浴場しか使わないから、わざわざ改めて言うことはないわね」

「俺は観光客扱いなのか……」


 手の間から覗く端正な顔が、僅かに渋面になる。年相応な青年らしい落胆に、クレールはそろそろと両手を降ろした。


「気分を害したのなら、ごめんなさい……地下のことは、あまり大っぴらにしてはならないとされていることだから、幼年学校で習う以外に知る機会は設けられてなくて……」


 魔術師たちがシルヴェ・ティティアにやって来たのは夏の終わりのことだ。もう何ヶ月もこの街に住んでいて、これからも暫く暮らす予定に相手するには、突き放した話し方になってしまった。


 項垂れるクレールに、今度はエドガーが狼狽える番だ。少女の膝の上を陣取る白蛇の目が、心なしか睨んで来ているようにも見え、思わず腰を浮かせる。


「いや、いい。俺が余所者なのには変わりない」

「でも……」

「君が教えてくれたから、問題ない」


 わざわざ隣で跪く青年の声音に、嘘や他意は見受けられない。

 白蛇が妙にしたり顔で頷いているのもあって、クレールは頬を緩める。


「ちなみに、温泉には効能とかあるのか?」

「有名なのは疲労回復と美肌よ。これ目当てでわざわざ南の街から来るご婦人もいるわ」

「道理で美人だと思った」


 肩を竦めながらの軽口に、クレールは灰青の双眸を瞬かせた。

 何故か一瞬、青年の肩が酷く濡れているように見えたのだ。


「……ねえ」

「なんだ?」


 こんなに近くで彼の顔を見るのは、河辺で抱き上げられた時と合わせてまだ二回目だ。

 なのに何故、彼と話していると懐かしいと感じる瞬間があるのだろう。


「私、貴方と会ったことがある……?」


 見上げて来る翠色が細められる。


「雨の日と薬屋で会っただろ?」

「いえ、そうではなくて……もっと……」


 もっと、前の季節に。

 妙にもどかしいと感じるほど、前の時間に。


「その、変なことを言うようだけれど。貴方のこと、初めましてだとは思えなくて……」

「口説かれている?」

「…………」


 なんだか急に馬鹿らしくなって来た。

 クレールは目の前の青年から顔を逸らすと、これでもかと大きな息を吐いた。


「きっと気のせいね。忘れてちょうだい」


 ついでに自分の感情も追いやるように、左手を閃かせる。


 その際に指環を嵌めたままだったことを思い出し、クレールは左薬指を日の光に翳した。

 幸いなことに、金の薔薇にも翠の石にも、傷ひとつ付いていない。ずっと大事にしてきたものだ、失くすことも輝きを損なうこともなかったのだと、今更ながら安堵する。


「――もしも」


 不意に思惟に割り込んで来た低い声に、クレールは顔を上げた。


「なぁに?」

「もしも、だ」


 掲げたままだった白い左手を、大きな手が取る。

 未だ熱の戻らない指先と違って、安心するぬくもりのある手だ。


「エドガーさん?」

「もし、この冬が初めてではないとしたら。君はどう思う?」

「は?」

「たとえば今日という日が、十二回目だとしたら」


 不可解な問いかけだ。地下の温泉管の話なんて、比べ物にならないほど。

 だがふざけているにしては、あまりにも翠の瞳が真摯に見える。


「何かの頓智……?」

「さあ?」

「さあって……」


 やはり、可笑しなことを言った所為で揶揄われたのだろうか。

 唇を尖らせるクレールに、やはり彼は微苦笑で返すだけだった。




 エドガーが席に戻ると、見計らったかのようにフィオナが戻って来た。丁寧に巻かれた毛先を弾ませ、妙にご機嫌な足取りである。


「はい、どうぞ」


 差し出された皿には、小さな焼き菓子が綺麗に並べられている。

 紅い目を輝かせて身を乗り出そうとする白蛇を宥めつつ、クレールは皿とフィオナの顔を見比べる。


「本当にいいの?」

「ええ。城の料理人が作ったものなので、ご安心くださいな」

「……ありがとうございます」


 一番手前にあったひとつを取り上げ、砂糖とバターがふんだんに使われているのか、口に入れた瞬間に多幸感が広がった。

 白蛇にも与えれば、珍しく口の中で噛み締めている。どうやら随分と気に入ったようだ。


 久し振りに菓子を焼こうか。咀嚼しながら考えていたクレールは、隣で意味深な顔をしているフィオナに気付いた。


「何かあったの?」

「わたくし、身分差はありだと思いますの」

「何の話……?」


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