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銀のカルーセル  作者: 白毬りりま
クレール・ネージュは春を告げる

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027.魔術師の仕事


 火が爆ぜる。


「っくしゅんっ! ……うぅ」


 男物の外套に包まれたクレールは、小さく肩を震わせると洟を啜った。簡易椅子に座り直し、靴下で覆われた甲を擦り合わせる。


 目の前では薪もなしに炎が燃え上がっている。エドガーが魔術で出したそれは熱いほどではなく、ちょうどいい温度で冷え切った身体を温めてくれる。


「一応魔術で今以上に体温が下がらない筈なんだが……一度医者に診てもらった方がいいんじゃないか? なんならそのまま城で面倒を見るぞ?」

「いい……少し温まれば、落ち着くから」


 彼らがいるのは、森から少し離れたラクル河の辺だ。

 落ちた場所は森の外れ近くだったことを考えると、それほど流されてはいない。寧ろ深く沈むばかりだったのを思い出し、クレールは唇を引き結ぶ。


「寒かったらちゃんと言えよ。」

「貴方こそ、寒くないの?」


 外套をクレールに貸しているため、今のエドガーは平服に魔術師のローブをそのまま羽織っている。しかもそのローブは一度濡れたクレールを包んだ所為で湿っていた。


 火に当たっていても風が吹き抜ける河辺では寒いのではないか。未だ血の気の戻らない顔に申し訳なさを滲ませ、クレールは魔術の炎越しに青年を見つめた。


「心配しなくていい。寒さには慣れている」

「王都から来た人間はすぐに音を上げるものなのに。珍しいわね」


 微苦笑を浮かべる青年の顔に、強がりは見られない。それでも彼の外套を奪ってしまっているのが居たたまれず、クレールは早く乾かないかと、隣の簡易椅子に広げられた己の外套を一瞥する。


 ドレスはエドガーが魔術で乾かしてくれたのだが、冬用の外套はそうもいかなかった。重い靴も同様で、履いている方が凍傷になりかねず、屋外だというのに脱ぐ羽目になっている。

 本当は家に帰った方がいいのだろうが、濡れ鼠まま雪の上を歩くのは風邪を引きかねないと強く引き留められてしまっては無碍にもできず。

 大人しく厚意を受け取って今に至る。


「お茶をどうぞ」


 顔を上げると、フィオナと名乗った魔術師の少女が三人分のカップを乗せた盆を持って立っていた。少し離れた馬車の近くでは、他の魔術師たちも各々カップを傾けている。


「ありがとうございます」


 カップに口を付ければ、馨しい香りが冷えた胸に広がる。クレールの記憶が正しければ、南通りから一本入った茶葉屋で一番上等なものだ。


「趣味がいいわね」

「エドガー様が買っていらしたものなのですよ」


 てっきり令嬢の風貌をしたフィオナが選んだものかと思った。

 感嘆で丸くなる灰青色に、エドガーは相変わらず感情の読めない微苦笑で応えた。




 カップの中身が半分になる頃には、身体の震えも随分と落ち着いていた。


「さて、そろそろ何があったか教えて貰おうか。 君が河に落ちることなんて余程のことだろ?」


 耳に真っ直ぐ届く低い声に、クレールは居住まいを正した。と言っても彼の外套に包まったまま、足元も靴下のままで、締まりが悪いのだが。


「河に沿って散歩をしていたら、氷熊が出たの」

「氷熊とは森の奥に棲息しているという熊の魔物だったか?」


 小さく頷き、クレールは静謐の森を見やる。慣れ親しんだ森は、相変わらずの静けさを持って広がっている。


「氷熊は森の奥に帰ったのだけれど、雪祭りが近いから森の近くまで雪を取りに来る者がいるかと思って。念のためゼファーに報せようと考えていたら足を滑らせてうっかり」

「そんなに着込んでいてよく自力で岸に上がって来られたな? この辺りは大分深さも速さもあるだろう?」


 エドガーが示すのは、クレールの傍らで広げられた外套だ。

 水を吸って完全に色を変えていた分厚い外套は、やっと乾いた面が見えてきたところだ。それでも裾から垂れる水滴が、地面に窪みを作っている。


「猫が助けてくれたの」

「猫?」

「そう。おっきい猫。あの黒曜馬より大きな白猫……見なかった?」


 馬車に繋がれた体躯を指差すと、魔術師の二人は顔を見合わせた。


「いや、見ていないが……」

「流されている間に頭でも打たれました……?」


 フィオナの目線には、先程までとは違う心配が漂っている。

 本気で案じてくれているのはわかるが、何ひとつ嘘を言っていないクレールとしてはちょっと面白くない。


「見ていないならいいわ。頭は痛くありませんので、お気遣いなく」


 自分以外が見ていないとなると、もしかしたら精霊だったのかもしれない。


「精霊が人間を助けるだなんて、聞いたこともございませんが……」

「精霊は気紛れだもの。気紛れで助けてくれたのよ、きっと」


 これ以上この話題を続ける気になれず、クレールはカップに口を付けた。

 何かの魔術を使ったのか、カップはまだまだ温かい。残りをちびちびと楽しみながら、クレールはふと思い出したように顔を上げる。


「そういえば、貴方たちは此処で何をしているの? この時期に泳ぐなら、死を覚悟した方がいいわよ?」

「流石に泳がない……」


 エドガーは目を眇めると、そのまま視線を河辺にいる魔術師たちに投げた。休憩が終わったのか、彼らは河面へと紐の付いた桶を垂らしては引っ張り上げている。


「俺たちは水質調査で河に来ていたんだ」

「水質調査? 静謐の森の水が汚れているだなんて、聞いたことないけれど?」


 眉を顰めるクレールに、フィオナが朗らかに微笑んで首を横に振る。


「いいえ、何かあったというわけではなく。元々どの街でも定期的に行っているのですが、この街は領主がいなくなってからちゃんと調査されていないことがわかりまして。雪が本格的に降る前にと、こうして参った次第ですのよ」

「貴族って大変なのね……」


 クレールに貴族の苦労はわからないが、晴れているとはいえ冬風が吹き抜ける河辺での作業は並大抵のことではない。今だって、うっかり河水に触れた魔術師が縮み上がっている。


「貴族と言えど、わたくしたちは魔術師ですもの。収集が少し手間ではございますが、物質の成分解析は魔術の基本。どうせやらねばならないことなら、適任者が行うのが道理でございましょう。それに、実験の練習にもなりますし」


 茶目っ気を乗せたフィオナの説明に、クレールは神妙な顔をして頷く。


 話している間にも、少しずつ場所を変えながら、魔術師たちは水を汲んでいる。彼らが動く度、採取された水を入れた瓶の触れ合う音が、風に乗って広がっていく。


 カップの中身を飲み干し、クレールは傍らの外套を見た。まだ湿っているが、我慢できないほどではない。


 河に落ちる前に投げた白蛇は、ちゃんと家に帰れているだろうか。散歩の度に万が一逸れることがあれば帰宅するように言い含めてあったが、念のため別れた場所も確認すべきか。


 脳内で位置関係を確かめていたクレールは、引っ掛かりを覚えて目を瞬かせた。


「私が落ちたのって貴方たちがいた場所から結構距離があったと思うのだけれど。よく気が付いたわね?」

「そりゃ、助けを求められたから……そうだった、君に返さないと」


 言いながらエドガーは、軽く黒ローブを捲る。同時に、白く流麗な身体が彼の膝の上に落ちた。


「グレースちゃん!」

「河に沿って遡っていたら、森の方から俺たちに向かって雪の上をグレースが這って来るのが見えたんだ」


 炎越しに伸ばされた男の腕を伝って、白蛇はクレールのもとへと移った。

 その際、クレールの手がまだ冷た過ぎたのだろう。触れた瞬間、白蛇は飛び上がった。だがすぐに紅い瞳を潤ませ、クレールの腕を這い上がって来る。


「グレースがひとりで外にいるのは可笑しいからな。ひとまず俺が走ってグレースを回収して、他の奴らと河に落ちたであろう君を探していたんだ。で、気が付いたらずぶ濡れの君が河岸にいた」

「そう……」


 となると、やはり巨大猫は精霊で間違いないだろう。

 声なき声で訴えながら全身でしがみ付いて来る白蛇の鎌首を、クレールは手のひらで撫でる。


「先程は投げてしまってごめんなさい。助けを呼んでくれてありがとう」


 感極まって頬を寄せ合う姿は、感動の再会そのものだ。何せ、下手をすれば永遠の別れになるところだったのだ。胸を埋め尽くす感情は筆舌に尽くし難い。


 ただし、それが少女と白蛇という組み合わせであると、感動し切れないフィオナがそこにいた。


「その蛇は、クレールさんが飼ってらっしゃる仔だったのですね……?」

「飼っているのではないわ。大事な家族よ」

「左様でございますか……大変失礼いたしました」


 殊更丁寧に頭を垂れたフィオナだが、向けられた三対の視線に狼狽える。

 つい先程まで令嬢然としてクレールに魔術師の仕事の説明をしていたのが、面白いほどに崩れていく。


「そ、そうだわ! おやつもございました! 取って参りますね!」


 仕切り直すように両手を合わせるや否や、外套の裾を翻し、馬車の方へと足早に向かう。

 あからさまな挙動に、クレールは僅かに唇を尖らせた。炎の向こう側で、上司である青年が肩を竦める。


「赦してやってくれ。悪気はないんだ」

「別に、責めてはいないわ」


 ただ、ほんの少し、がっかりしただけだ。




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