025.みじかいお茶会
王都からやって来た魔術師のことは、クレールも聞いていた。
何せ彼らは水晶城の庭の一角に、たった一夜で『翠の塔』と呼ばれる魔法の塔を建てたのだ。
現在、シルヴェ・ティティアで一番高い建物と謳われるようになった塔は、街のいたるところからその尖先を目にすることができる。
冬の微かな日光でさえ拾って煌めく外壁は、まるで本物の翠玉のよう。名の通り水晶でできたかのような水晶城の敷地内に立つとあって、『翠玉塔』と呼ぶ人間もいるくらい。
今でこそ落ち着いているが、できた当初など、街の人間はこぞって翠の塔を見に行ったものだった。
もっともクレールは、その塔を間近で見たことはない。
「塔の魔術師が、こんな街外れまで来ることがあるのね?」
この薬屋は街の中央である水晶城から離れている。クレールの足で一時間以上かかる道のりは、貴族なら馬か馬車を使う距離だろう。
だが薬屋の前にはそのどちらもいないのを見るに、まさか歩いて来たのか。
そもそも翠の塔に勤めている魔術師がこの薬屋に何の用なのか。道の途中にも薬屋はあった筈で、更に言えば水晶城にはシルヴェ・ティティアで手に入る薬が全て揃った薬室がある。薬が必要なら、そこに勤める薬剤師に言えばいい。
怪訝が伝わったのだろう、魔術師の青年はわざとらしく肩を竦めてみせる。
「この街の冬は厳しいと聞くからな。雪が降ると他の街との行き来も大変だから、街の薬の在庫を確認しておこうと思って回っているんだ」
「本当に?」
「本当に」
薬の在庫管理が魔術師の仕事とは思えないが、エドガーが嘘を言っているようには見えない。
「まあ、立ち話も何ですし」
灰青の双眸を眇めていたクレールの意識に、何とも言えない香りが割り込む。視線を向けると、老婦人がポットを軽く揺らしていた。
オリーヴィエは三つのカップにポットの中身を注ぐと、自分の分に口を付けた。殊更ゆっくりと嚥下すると、残りの二つをクレールと男の前に置く。
老婦人の動作にクレールは眉を顰めたが、渋々と席に着いた。隣の椅子の背を叩いて促せば、逡巡していた男は大人しく座る。
「薬の在庫は十分ですが、念のため確認して参ります。少々お待ちください」
「ああ、よろしく頼む」
「畏まりました……話が落ち着いたら声をかけておくれ」
後半はクレールにかけられた言葉だ。クレールが頷くと、オリーヴィエは自分のカップを持つなり、さっさと奥に引っ込んでしまった。
エドガーはまじまじと茶を見下ろす。その水面は、鮮やかな紫色だ。
「大丈夫なのか、これ」
「だからオリーヴィエがわざわざ飲んで見せたではないの」
それでも紫茶の材料が気になるのか、なかなか口を付けようとしない。いくつもの薬草が混ざった複雑な匂いも、彼の指を止める要因のひとつだろう。
「大丈夫よ。ただのハーブしか入っていないわ」
念押しでクレールが口を付けて見せれば、漸くエドガーはカップを手に取った。
想像以上に苦かったのか、端正な眉根が僅かに寄る。
「オリーヴィエに頼めばお砂糖もあるわよ? 硝子砂糖の魔女の印が入った、白くて甘いのが。私は使わないけれど」
「いや、いらない」
強がりめいた声音に、クレールは思わず笑い声を漏らした。軽やかに響いて床を転がっていくその声に、魔術師の青年はますます渋面になる。
ひとしきり笑って気が済んだクレールは、改めてカップを持ちあげた。紫の茶で唇を湿らせ、気難しい表情で己の分を片付けようとしている横顔を眺める。
「貴方、貴族でしょう? この間はどうして家に来たの?」
魔術師は素質があれば平民にもなれるが、殆どは貴族からなる特権階級である。王都にある魔術学院には魔術師の素質がある貴族が多く勤めるのだと、水晶城の図書館に置かれた歴史書で読んだことがあった。
何より彼の身形や佇まいは平民とはかけ離れていて、何よりオリーヴィエのあの態度だ。これで貴族でないと言われた方が驚く。
エドガーは暫し考える素振りを見せると、徐に口を開いた。
「政務官に、静謐の森のことを聴いて。精霊の棲まう森の奥に君だけは入れるというから、一度会ってみたかった」
「私は珍獣か何かかしら?」
棘を含ませて睨め付けたのは、ただのちょっとした厭味だ。
だがエドガーはそうは受け取らなかったようで、居住まいを正して身体ごとクレールに向き直る。
「気を害したのなら申し訳ない」
「別に、怒ってはないけれど」
まさか、貴族が頭を下げるとは思わなかった。
しかもクレールはただの街娘ではなく、蛇に魅入られた頭の可笑しい街娘。気味悪がられたり軽んじられたりすることには慣れている。
エドガーの態度はそのどちらとも異なっていて……真っ直ぐな翠の眼差しに、妙に調子を狂わされる。
クレールは侭ならなさに内心で息を吐くと、卓に肘を突いた。普段なら行儀が悪いと思って避けている所作だが、貴族と茶を飲んでいる時点で非日常なのだからと己を納得させる。
「その政務官様は、私に近寄るなとも仰らなかったかしら?」
「特に何も言っていなかったぞ?」
「そうね。普通はいい歳した大人が得体の知れない者に近寄るとは思わないものね」
少なくともクレールの知る大人は、皆シルヴェ・ティティアの掟を重視している者ばかりだからか、進んで不穏を招くような存在に近寄ろうとはしない。領を治める政務官の一族はその筆頭だ。
「俺、去年成人したばかりなんだが」
「なら、なおさら大人しくなさ、い……」
最後まで言いかけ、クレールは灰青の双眸を瞬かせた。
ミラ・ブランシェにおける成人は十八だ。てっきり二十歳にはなっていると思っていたクレールは、まじまじと隣に座る青年の顔を眺める。
「え。貴方、まだそんなに若いの?」
「知らなかったのか?」
「知る訳ないでしょうよ……?」
寧ろ何故知っていると思うのか。彼が魔術師であると認識したのだって、つい先程のことだ。
「歳の割に落ち着いているのね?」
「よく言われる」
「やっぱり貴族だから?」
「それは知らない」
取り留めなく話しかけるクレールに、魔術師の青年はひとつひとつ律儀に言葉を返す。
だがそんな時間は長くは続かない。生まれも身分も全く異なる二人の共通話題なんて、すぐに尽きてしまう。
話しかけることがなくなったクレールは、カップの中身を飲み干した。そろそろ帰ろうと、爪先で床を探る。
「なあ、クレール」
「なぁに?」
「君は俺のこと、なんだと思っている?」
「は?」
質問の意図がわからない。クレールは胡乱げに目を眇めながら、すぐ隣の顔を見返した。
何かの揶揄いかと思ったのだ。それにしては翠の双眸がやけに真剣で……クレールは浮かしかけた腰を椅子の上に戻した。
「そう、ね……会ってまだ二回目の、話が分かる覗き魔と言ったところかしら?」
「……わかった」
「何がわかったの?」
問い返すが、エドガーは曖昧に笑って応えない。
奥に声をかけると、オリーヴィエはすぐに出て来た。
老婦人はエドガーには店の在庫の一覧を、クレールには今回の依頼の報酬を渡す。
「では、また」
別れ際、そう言った魔術師にぎこちなく手を振り返し、クレールは家路に着く。
外は相変わらず冷たい風が吹いている。早く帰らないと、日差しはあっても白蛇と約束していた散歩をするには厳しい時間になってしまう。
冬の匂いしかしなくなった風に頬を叩かれながら歩いていたクレールは、ふと足を停めて街を振り返った。
「……またって何?」
黒いローブは、既に何処にも見えなくなっていた。
今年の桜の開花予想は3月24日前後らしいので、その日には春を告げをしたい所存です。




