021.黒い旗
卓に並べられた薬草と、北の薬屋からの依頼書の内容を照らし合わせる。
もう随分と慣れた作業だが、それでも期待されたからには抜けのないように。
「……よし」
クレールは全ての品が揃っているのを確認すると、愛用している籠に詰める。
今年の納品はこれで最後の予定で、あと数日もすれば年が明ける。ついでに年越しの買い物もしてしまおうと、クレールは財布の中身を確認する。
白蛇はというと、白猫のぬいぐるみと共に眠っている。この調子では今年はもう外には出ないのかもしれない。
「いってきます」
小さく呟き、クレールは雪の舞う街に出かけた。
「静かね……?」
街の手前までやって来たクレールは、辺りを見渡して小首を傾げた。
街に全く活気がない。どの家も昼だというのに雪囲いの板戸を固く閉ざし、静まり返っている。
いくら銀雪の街とは言え、此処まで人通りがないのは異常だ。クレールが知る昼の街では、吹雪いていない限り、屋内に飽きた子どもが広間に出て遊んでいる。
程なくして、馴染みの薬屋に辿り着いた。雪の具合からして客が出入りしている様子はないが、前回店主に言われていた通り裏口に回る。
「こんにちは。クレールです」
裏口の戸を叩くが、返事はない。
この時分なら店にいる老婦人がすぐに顔を覗かせる筈だ。もし手が空いていなければ、その旨が返って来る。もしかして、聞こえなかったのだろうか。
「オリーヴィエ? いないの?」
先程よりも声を張り上げる。だが再度掲げた手は、開いた扉により空を叩いた。
「……なんだ、蛇娘か」
出て来たのは孫娘のマーガレットだ。明るい金褐色の髪を適当にひっ詰めた彼女は、まだ昼前だというのに生気のない顔をしている。
「いつもの薬草? なら悪いけれど、買い取れないよ」
「どうして? オリーヴィエはいないの?」
鎮静作用の薬草を望んだのはオリーヴィエだ。彼女が依頼する物は、街の住民が望んでいる物でもある。
クレールが持っていても仕方のないものばかりで、買い取って貰えなくても、受け取って貰わなくては困る。
「ねえ、オリーヴィエは」
「おばあちゃんなら死んだよ」
「……は?」
「店の前。ちゃんと見てないの?」
言われた通りに店頭に回ったクレールは、軒先に黒い布がかけられていることに気が付いた。
飾り刺繍のひとつもない、光を全く返さない生地でできたそれは、ミラ・ブランシェにおいて喪を示す象徴であり、その家に死者がいることを表す目印。
「え……?」
一度気付いてしまえば、嫌でも目に入る。今クレールが立っている通りだけでも、半分近くの家に、その布はかけられていた。
「知らなかったの? もう何人も死んでる。今だって、城で大勢が治療を受けてて……それでも毎日何人も共同墓地に運ばれて行ってる。他の街との行き来が禁止されたのだって、もう五日も前の話だ」
マーガレットは苛立ちげにそれだけ言うと、扉を閉めた。
痛いほどの静寂が張り詰める通りで、クレールは唇を戦慄かせる。
「そんな……うそよ……っ!」
クレールは水晶城へと駆け出した。
辿り着いた水晶城は、喧騒に包まれていた。
「患者は一度広間に! 病室は支度がまだ済んでない!」
「診察は魔術師様が決められた順番通りにだ! 症状の軽い者は路を開けてくれ!」
城内に患者が入り切らないのだろう。中庭にはいくつもの天幕が張られ、医療士の青年が引っ切り無しに出入りしている。
その隣で簡易の治療着を着て走っているのは、警邏隊の兵士だ。まだ見習いの札を付けた女官の少女も、顔を強張らせて医療士に付き従っている。
クレールの知る清冽な空気なんて、何処にもない。
重苦しいほどの死の気配が、城に充満している。
「いったい、どうして」
「――クレールさん?」
呼ばれて視線を向ければ、栗毛を束ねた治療着姿の少女が立っていた。見覚えのある榛色は、魔術師のフィオナだ。
顔の下半分を布で覆い、大きな籠を抱えた彼女は、小走りでクレールに近寄ってくる。
「いらしてたんですね?」
「え、ええ……街の様子が、気になって……」
フィオナが持っている籠には、大量の包帯が入っていた。
そのどれにも赤黒い染みがあり、鉄に似たにおいが鼻を突く。
「華炎病というのは、そんなに酷い病気なの……?」
本当は聞かなくても、この惨状が全てを物語っている。
フィオナはクレールの手を引くと、人気のない廊下に移動した。声を潜め、混乱している少女に耳打ちする。
「今週に入ってから、急に患者が増えて……今魔術師と街の医師や薬師たちが総出で治療や治療薬の開発にあたっています。ですが現状ではこれといった成果はなく、何とか延命できないかと対策を行っているところです」
「えんめい……」
呆然と呟くクレールが何を見ているのか気付いたのだろう。フィオナは包帯の入った籠を抱え直した。
「痣ができると一日もしない内に火傷みたいにその部分の皮膚が爛れて、出血してしまいます。それで軟膏どころか包帯すら全然足りなくて……血液の解析用に使った包帯も、洗濯するところなんです」
「貴女が、洗濯するの?」
目を丸くして聞き返せば、洗濯担当の手が足りていないため、魔術で予洗いして負荷を下げるのだとフィオナは言う。
「本当は治療薬開発に携われる魔術師の消耗は避けたいのですが、せめて解析用に研究室に回って来ていた分だけでもと、エドガー様からお許しを頂きました」
「そう、なの」
話を聞く限り、フィオナは予洗いをする暇すら惜しい立場だ。それでも他の者たちの負荷を下げようとするのは、彼女なりの優しさなのだろう。
クレールは唇を引き結ぶと、薬草の入ったままの籠を強く握り締めた。
「では、わたくしはこれで。クレールさんも、どうかお大事に」
「あ、あの!」
呼び止めた声は少し上擦っていて、突いて出たものによく似ていた。
クレールは小さく息を吸い込み、真っ直ぐな灰青でフィオナを見つめる。
「私にも、手伝わせて貰えないかしら」
それからの日々は、目まぐるしいものだった。
蛇小屋に帰るどころか、下手をすれば食事すらも忘れ、治療所に運び込まれる街の住民たちの看護にあたる。
他の臨時職員と共に、死の臭いの強くなり始めた部屋から血で汚れた包帯とシーツを掻き集め、氷のように冷たい水で揉み洗う。そして晴れ間を見計らうか暖炉がある部屋を確認するかして順番に干し、次の患者に回していく。
朝から晩まで、その繰り返し。新年の祝賀なんて、誰も口に出すことすらしなかった。
そして年が変わってひと月もする頃には、水晶城の空き部屋は全て解放され、殆どが病室に変えられていた。
まだ誰もいない共用の洗面所で歯を磨き、顔を洗う。
水滴を拭って鏡を見れば、微かな朝の光の中、見慣れた少女が見返してくる。
「ひどいかお」
作業の邪魔だからと適当にひっ詰められた金茶の髪は艶がなく、目の下には青隈が色濃く浮かんでいる。
元々白かった肌は血の気を失って紙のよう。薄紅の唇も色を失って罅割れている。
看病の手伝いをするとなった時、エドガーが気を回して一人部屋を宛がってくれた。
暖炉もない小さな使用人部屋だが、火鉢と上等な金羽鶏の寝具を用意してくれたため、夜でも肌に刺さるような寒さを感じることはない。
それでも、ここ数日、真面に眠れていない。交代で休む時間が与えられているが、そうしている間にも誰かが亡くなっているのではないかと不安で、とてもではないが深く眠ることができなかった。
力なく垂らしていた手の甲に、冷たいものが触れる。視線を落とすと、白蛇が不安げな眼差しで見上げて来ていた。
一度蛇小屋に帰った時に、暫く帰れないかもしれないと思って白蛇を連れて来ていた。実際、帰る暇ができたのは、白蛇を連れて来られた日くらいだった。
「大丈夫よ、グレースちゃん。大丈夫だから、今日もいい子でお留守番していてね」
部屋に戻ってそう言い聞かせれば、賢い白蛇は猫のぬいぐるみにしがみ付いて大人しくなる。
クレールは淡く微笑んで手を振って、部屋を出る。
病室に向かう廊下は、未だ静か。昼担当の内、早起きの何人かが、漸く寝台から起き上がるくらいだろうか。
行儀も忘れて少し駆け足で進んでいたクレールは、途中で佇んでいる人物に気付いて目を瞬かせた。
赤銅色の髪と、気品のある長身。ただし、黒ではなく白い医療士のローブを纏っている。
「エドガー」
「おはよう、クレール」
駆け寄るクレールを、若き大魔術師は翠の双眸を細めて抱き留めた。




