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銀のカルーセル  作者: 白毬りりま
クレール・ネージュは春を告げる

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020.訪れる理由


 扉を叩く音がする。

 街から外れたこの家を訪ねるのは、警邏の者か物好きくらい。


 湯を沸かそうと立っていた台所を離れて扉を開ければ、今日も赤銅色の髪の魔術師が立っていた。


「わざわざこんな雪の日にまで来なくても……」

「この街では雪が降ってない日の方が稀だろう?」


 闊達に笑うエドガーに、クレールはなんとも言えない顔で口を引き結ぶ。


 彼がこの家に来るのは、もう何度目のことだろう。

 いつものように外套とランタンを受け取ろうと伸ばしたクレールの手に、だがエドガーが差し出したのは小さな花束だった。


「どうしたの、これ」

「研究で育てていた花で、可愛らしいものがあったんだ。よかったら君にと思って」

「あ、ありがとう……」


 花を贈られるだなんて、いつ以来だろうか。紫がかった薄紅色の四枚花弁がいくつも寄り集まったそれを受け取れば、甘く優しい香りが鼻腔を擽る。


「リラの花ね。胃薬でも作っているの?」

「よく知っているな?」

「だって私、薬草摘みで暮らしているもの」


 花束はクレールの両手に収まる大きさだったが、生憎と部屋には一輪差し用のグラスくらいしかない。

 何かちょうどいいものはないかと棚中を開け……仕方なく、今は使っていない母のカップにリラの枝を差す。


「本当は大輪の薔薇を用意したかったんだが、温室にはなかった。一応水晶城の薔薇園も確認したんだが、蕾もついてなかったし……」

「あら。城では雪薔薇が咲いているのではなかった?」


 雪祭りの日に観ようと思ってそのまま忘れていた花は、シルヴェ・ティティアにのみ咲く稀少な白薔薇だ。元は静謐の森の奥に咲いていたものを、精霊が気紛れで城内に落としたのが始まりとされ、今では薔薇園の一角を飾るまでに育っている。

 きっと今年も壮観だろうと思っての発言に、だがエドガーの反応は胡乱げだ。


「咲いてなかったぞ? 庭師も今年は咲かなかったと残念そうにしていた」

「あれ……?」


 今年も咲いていると聞いたと思っていたが、記憶違いだっただろうか。


 そろそろ湯の調子が気になって窯の前に戻ると、まだ沸騰する前だった。

 クレールは戸棚に並ぶ茶葉を眺めると、少し迷って一等が入った箱を取り出す。中を見ると、漸く半分と言ったところだ。


 エドガーの来訪に気付いたのか、寝ていた筈の白蛇が起きて来た。小さな身体を一生懸命にくねらせて近寄って来た蛇を、エドガーは床に片膝を就いて腕に登らせる。


「こんにちは、グレース。今日は焼き菓子だ」


 エドガーが取り出したのは、可愛らしいリボンで包まれた焼き菓子だ。クレールにも見覚えのあるリボンからして、秋終わりの雨の日に彼が持ってきたものと同じ店の物である。

 白蛇も味を覚えていたのだろう。紅い瞳を輝かせて、今か今かと包みを凝視している。


「これはグレースも食べられただろう?」

「え、ええ……」


 何処か気もそぞろな返事をし、クレールはふつふつと揺れる水面に視線を落とした。


 まだ出会って二ヶ月ほどだが、白蛇は随分とエドガーに懐いている。

 甘やかすばかりではないクレールと違って、強請られるとあるだけ菓子を与えるエドガーに懐くのは必然のように思えるが、正直複雑な心境だ。


 ポットに湯を注げば、馨しい香りが立ち昇る。少し蒸らし、一式を持って卓を振り返ると、白蛇が大きな一口を呑み込むところだった。


「どうぞ」

「ああ。ありがとう」


 卓に並べられたカップに手を伸ばそうとしたエドガーは、向かいに座る少女の無表情に気付いて動きを止めた。

 卓の縁に手を突き、愛らしい顔を覗き込むようにする。


「どうした、クレール。風邪でも引いたか?」

「風邪なんて、引かないけれど……」

「それにしては機嫌が悪そうだが」

「元々こういう顔よ」

「いいや。普段の君はもっと可愛い顔をしてる」

「っ……!」


 危うく茶を噴きそうになり、クレールは目の前の顔を睨み付けた。だが当のエドガーはというと、してやったりと言わんばかりに笑っている。


「もう」


 クレールは一度頭を振ると、大きく息を吐いた。


 大魔術師である青年と白蛇の仲が面白くないだなんて、口にできる訳がない。

 それはクレールにとって、酷く幼稚で愚かしい行為だ。


 だから言葉にしたのは、似て非なる疑問だ。


「正直、貴方に好かれる理由がわからない」


 公休日はもとより、日によって時間ができたからと仕事終わりにも訪ねて来る。

 三日前も菓子を持って彼は現れた。水晶城と蛇小屋は決して近い距離ではないというのに。


「実は一目惚れだと言ったら、君は信じてくれるか?」

「……冗談でしょう?」


 おどけたように小首を傾げたクレールは、けれども己を真っ直ぐに見つめる翠色に口を噤んだ。

 動揺で灰青の双眸を逸らせば、カップに添えていた両手を自分よりもずっと大きなそれに取られる。否が応でも、意識を向けさせられる。


「あの雨の日より前から、俺は君のことを知っているよ」


 つまり、この男は街でクレールを見かけて一方的に知っていたということか。


「危ないひと……?」

「違う」


 男の指が、左薬指の薔薇に触れる。いつ貰ったのかも覚えていない翠玉は、今更ながら彼の瞳と同じだと思った。


「私は、貴方の手慰みになるつもりはないわ」

「俺は君を日陰に置くつもりはない」

「無理よ。今はよくても、貴方が正式な領主になればそうはいかない」


 ミラ・ブランシェは、世界を創造したメガミの娘が興したとされる国だ。初代女王である彼女の血は今もこの国を治めるミラレーヌ王家に受け継がれ、血のよさはそのまま尊敬と憧憬に繋がる。

 そのため、貴族は現代でも血統を重視している。王家に近しい筆頭公爵家なら尚更の筈だ。


 旧シリウス辺境伯領を治めている政務官たちは貴族ではないが、元を辿れば王の庶子である初代シリウス辺境伯の血統だ。下手な貴族よりも遥かに身元が確かである。

 親すらいないクレールは、そもそもエドガーと吊り合うどころの話ではない。


 感情ではどうにもならないことなんて、この世界には数えられない程度にはあるのだ。


「身分もだけれど、冬の間はもうここには来ないで。本当に遭難してしまっては大変よ」

「それなら問題ない。来たくても忙しくて暫く来られない」


 話題が変わったからか、僅かにだが大きな手から力が抜けた。

 クレールはその隙に、卓の上で菓子を頬張っていた白蛇を抱き寄せ、両手を塞いでしまう。


 そんな彼女にエドガーは微苦笑を浮かべたが、すぐに秀麗な面を引き締めた。


「今年どころか、年が変わっても暫く来れそうにない」

「お仕事が忙しいの?」

「ああ。街で妙な病が流行っているんだ」

「病? 風邪や流感ではなく?」


 訊き返したクレールに、彼は暫し押し黙った。唇を茶で湿らせ、漸く口を開く。


「初期症状は咳や咽喉の痛みなど。それこそ風邪や流感に似ているんだが……ある日突然内臓が痛み出したかと思うと気が付かぬうちに焼け爛れたようになり、そのうち皮膚に花弁のように痣が浮かんで、やがて全身が覆われる奇病だ……俺たちはその病を、華炎病と呼んでいる」


 やけに詳細な症状は、だがクレールにはすぐには理解しがたいものだった。

 灰青色を瞠り、困惑で唇を震わせる。


「なによ、それ……聞いたことがない」

「俺も初めて知った病気だ。他の魔術師も城の医師たちも、最初はただの流感だと思っていた」


 薬屋の老婦人は、去年よりも風邪が流行っていると言っていた。もしそれが、ただの風邪でなかったとしたら。


「治るの?」

「……今のところ、決定的な治療法は見つかっていない」


 そう言った彼の顔は、酷く凪いでいた。




 夜の鐘が鳴っている。森の奥から夜の訪れを告げる鐘が。

 窓の外では相変わらず雪が降っている。遠くに見える街の灯りは、白花で煙って不確かだ。

 クレールは白蛇を肩に乗せると、身支度を整えたエドガーに銀色のランタンを渡す。


「クレール」

「なぁに?」


 エドガーは身を屈めると、白い頬に顔を寄せた。


 触れたのはほんの一瞬。だが籠められていたのは、間違うことなき熱情。


「え……えっ?」


 ぱっと頬に朱を散らすクレールに、エドガーは喉を鳴らして笑う。


「落ち着いたら、また来るよ」

「……うん」


 エドガーは白蛇の頭をひと撫ですると、慣れた足取りで雪道を行く。


 その後ろ姿を、街へ帰っていく光を、クレールは見えなくなるまで目で追い続けた。


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