表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀のカルーセル  作者: 白毬りりま
クレール・ネージュは春を告げる

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/29

019.予兆


 雪祭りが終わると、思い出したかのように街は一層分厚い銀雪で覆われるようになった。

 この日も自分の身長よりも高い雪壁の間を抜けて街にやって来たクレールは、静謐の森で収穫した薬草を手に薬屋を訪ねていた。


「相変わらず、あんたが持って来る薬草は質がいいねぇ」


 クレールの家を除けば最も北の外れに建つ薬屋。その店主である老婦人オリーヴィエは、卓に並べられた品々に感嘆の息を漏らす。


「精霊が管理する静謐の森の薬草だもの。いいものなのは当然よ」

「それもそうか」


 オリーヴィエは手早く検品すると、クレールの前に報酬を置いた。

 最初に提示されていたものよりもいくらか多いのを見るに、今日の納品物はオリーヴィエのお眼鏡に十分適ったようだ。


「冷えただろ。お茶を飲んでお行き」


 片付けられた卓の上に、茶器が用意される。

 花模様が成されたそれは、オリーヴィエが若い頃から大切にしている逸品だ。

 だがポットから注がれるのは、クレールが知っている茶のどれとも似つかない色をしていた。


「また一段と不思議な色だこと……」

「余っていた薬草の切れ端を適当に入れたからね」


 赤とも紫とも取れない液体は、カップを傾けると僅かに粘性を持っている。紫色の花からできた蜂蜜と言われた方が納得できるかもしれない。


「お茶とは思えないねっとり具合なのだけれど」

「一応飲み合わせの問題はない筈だよ」

「……苦い?」

「良薬は得てして口に苦いものだ」


 クレールは一度カップを揺らすと、意を決して縁に口を付けた。碌に味わないまま嚥下すれば、見た目からは想像がつかない爽やかな香りが鼻を突き抜けていく。


「……あまにがい」

「砂糖を入れるかい?」

「いえ、いいわ」


 時折顔を顰めつつもちびちびと茶を飲み続けるクレールの律儀さに、オリーヴィエは喉を鳴らして笑う。


 オリーヴィエはクレールと真面に口を利く、数少ない人間だ。

 見た目には若く侮られ易いクレールに対して、軽んじることも謀ることもしない、稀有な存在である。


「そういえば、この間採取した鉱石、的当ての景品になっていたわよ」

「ああ、六区のエリックが依頼を出していたやつか。森の物は外の人間に高く売れるからって」


 エリックは街の南側に店を構える商人だ。雪祭りでは屋台の出店者の纏め役のひとりを毎年勤めている。

 当然彼もクレールのことを知っている。だが蛇を溺愛するクレールが苦手なようで、他の街の住民同様、オリーヴィエを介して付き合いがあるくらいだ。


「したたかなエリックのことだから一番高い点数だったろ? 誰か取って行ったのかい?」

「士官学校卒の魔術師様があっさり」

「あれまあ。ただの公爵家の御子息様ではないとは聞いていたけど、本当に何でもできる御方なんだねぇ」

「何でも出来過ぎるくらいよ。寧ろ何ができないのかしら?」

「物知らずな街娘を口説くこととか?」

「……できなくていいでしょうよ。そんなこと」


 不服そうに呟く少女に、老婦人は堪え切れないと言わんばかりに笑い声を上げた。




 暫く何とも言えない味の茶と闘っていると、店の扉が開いた。


「ただいまー」


 扉に着けられた鈴の音を伴って入店するのは、オリーヴィエの孫娘であるマーガレットだ。

 彼女は戸口で外套に付着した雪を払うと、被っていた帽子や手袋を外す。長いこと外にいたのか、若い頃のオリーヴィエと同じ明るい金褐色の髪を解す指先は、紅く染まっていた。


「おかえり。どうだった?」

「やっぱり患者が増えてるって。これ、発注書」


 今年十八になったマーガレットは、何処か素っ気ない物言いで丸められた発注書を卓に置く。

 とすれば、否が応でも薬茶が目に入る。二人の手元で湯気を立てているカップを一瞥する両目は、呆れで眇められていた。


「また変なお茶飲んでる。そんなことしてるから、近所の子供らに魔女なんて呼ばれるんだよ」

「お前も飲むかい?」

「絶対に嫌」


 マーガレットはいうだけ言うと、住居である奥の部屋へと消えていった。


「随分な言い草だね。一体誰に似たんだか」

「オリーヴィエは魔女ではないのにね」


 老婦人は眉を顰めたが、クレールは素知らぬ顔でカップを傾ける。




 窓の外では相変わらず雪が降り続けている。街の住民なら慣れたものだが、外の人間であれば真面に歩くことさえではないかといった具合だ。


「今日は何処までお遣いに行かせていたの?」

「南の診療所だよ。あちら側の薬屋の在庫が尽きてしまったらしい」

「まあ……」


 マーガレットが持ち帰って来た発注書には、いくつもの名前が並んでいる。

 それらと自店の在庫とを照らし合わせているペン先を尻目に、クレールはカップの中身を揺らす。


「次は何が要りそうなの?」

「鎮静剤が多いね」

「鎮静作用? 化膿止めとか?」

「そうそう。腫れた咽喉とかに効くやつ」


 己の首に指先を添えながら、クレールは小首を傾げた。オリーヴィエが提示するいくつかは、今日も納品していた筈だった。それでも足りないというのか。

 クレールの疑問がわかったのだろう。長年この薬屋の店主を務める老婦人は、目元の皺を深くさせる。


「冬だからね。街中で風邪が流行ってるんだよ」

「なるほど……」


 クレールは大分昔に引いた切り風邪とは無縁な上に、あまり街の流行には詳しくない。

 神妙な顔で頷いて見せれば、オリーヴィエは呆れで両目を眇めながら頬杖を突いた。


「今年は特に冷えるからねぇ……去年みたいにまた雪も多くなりそうだし、春まで在庫が持つといいけれど」

「足りなくなりそうだったら、また持って来るわ。流石にこの季節は取れる量が減っているけれど、なくはないし」


 そうこうしているうちに、新しい薬草採取の依頼書が出来上がった。

 抜けがないか確認しつつ、オリーヴィエは溜め息交じりにぼやく。


「私らも森に入れたらいいんだけど」


 街にもたらされる森の恵みは、すべてクレールの手に委ねられている。

 クレールの体力がもつ範囲であればかなりの奥まで入れるが、一度に持って帰ることができるのは、彼女が持つ籠の分だけ。

 加えて採取できるのは、そのとき彼女が採取してもよいと判断したものだけだ。


「今の時期は特に止しておいた方がいいわ。相当積もっているから、本当に遭難しかねない」


 街中でさえクレールの背丈よりも高く積もる場所がそこら中にあるのだ。森の中はその比ではない。


 クレールは依頼書のインクが乾いたのを確認して籠に仕舞うと、薬茶を飲み干した。


「ご馳走様。次はもう少し苦くないお茶がいいわ」

「善処するよ」


 外套を羽織り直すクレールを見ながら、オリーヴィエは思い出したように口を開く。


「ああ、そうだ。次に来るときは裏に回っておくれ」

「え? お店、閉めちゃうの?」


 灰青の双眸を丸くする少女に、オリーヴィエは顔の前で手を振る。


「違う違う。風邪が流行ってるって言っただろ? ……今年のは、大分厄介らしい」


 他に客もいないというのに、オリーヴィエは声を潜ませる。自然と、クレールも息を抑えて耳を寄せる。


「薬を貰いに来た患者から移されたら堪ったもんじゃないだろ? 特にあんたは一人暮らしなんだ。罹らないに越したことはない」

「わかった」


 素直に頷いて見せれば、筋張った指に襟巻きを巻き直される。扱いは完全に孫にするそれだが、悪い気はしなかった。


「あんたも気を付けなよ」

「ありがとう。オリーヴィエもね」

「当然」




 薬屋にはそれほど長居したつもりはなかったが、既に日は傾き始めていた。

 夜が早いシルヴェ・ティティアでは、もう二、三時間もすれば辺りが暗闇に包まれることだろう。


「あ! 蛇のおねーちゃん!」


 慣れない呼びかけにクレールが振り返ると、幼い顔が母親らしき女を引き摺りながら駆け寄って来る。


「こんにちは、おねーちゃん」

「……こんにちは、ララ」


 思い出した名前で呼べば、少女は満面の笑みを浮かべる。


「あれ。今日はへび一緒じゃないの?」

「寒いから、グレースちゃんはお留守番よ」

「そっか。へびは冬眠するもんね」


 よく昼寝はするが、白蛇が冬眠するような兆しはない。日に何度も起きて、クレールと話したり白猫のぬいぐるみと遊んだりしている。

 だがわざわざ訂正する必要もないだろうと、クレールは曖昧に笑うに留めた。


「今日はどうしたの?」


 しゃがんで視線を合わせれば、シルヴェ・ティティアによくある青みの強い瞳がくりくりと輝く。


「アルたちに、おねーちゃんたちが助けてくれたって聞いたの」

「いいえ。お前を助けたのは魔術師様と街の皆よ。私は何もできなかった」


 大勢が奔走する中、雪山の前で祈ることしかできなかった無力は、今はほろ苦く胸の中に沈んでいる。

 きっとこの感情は、鈍くなりはしても、一生忘れることはないだろう。


「でも、おねーちゃんがわたしに気付いてくれたから、みんなはわたしを助けてくれたんでしょ?」


 虚を突かれ、クレールは口籠った。


 確かにあの場でララの不在に気付いていたのは、クレールだけだった。クレールが気付かなければ、親が夜になって子供が帰らないことに気付く時間になっても、幼い身体は雪の下だっただろう。

 だがそれでも、クレールができたのは、ララの不在に気付くことだけだ。


 困惑したようにララの母親を見上げれば、娘と同じ色の双眸は細められている。


「助けてくれてありがとう」


 純粋で純真な言葉と眼差しに、クレールはただ頷くので精一杯だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ