018.誰の気紛れ
まだ雪の中に子どもが埋まっている可能性がある。
話が聞こえていたのだろう、近くにいた住民たちの間に、困惑が広がる。
「雪に埋まったのは、ひとりだけじゃなかったのっ?」
「近くにはあの男の子しかいなかったよな!?」
そんな空気を打つように、澄んだ鐘の音が響く。
水晶城から聞こえる定刻の鐘ではない。森の奥から届く夜の訪れを報せるその音に、誰も彼もが顔を強張らせる。
「夜の鐘が鳴り始めた……」
「まずいぞ……夜が来たら、気温が一気に下がる……」
エドガーは渋面になりそうになる顔を引き締めると、子供たちに向き直った。
「確認だ。ララは、確かにアルを追いかけて此処に来たんだな?」
「う、うん。アルが初代様たち見に行くから、ララも行くっていって……でも俺たちが来た時には、もう初代様の下にアルが埋まってて……」
「今日のララはどのような格好だったかは覚えているか?」
「あ、あかいふく、着てた……」
震える声で言い募る顔は、気温以外の理由で青褪めている。それでも懸命に伝えようと言葉を紡ぐ子供の肩を、エドガーは宥めるように叩いた。
「わかった。教えてくれてありがとう」
くしゃりと、幼い顔が大きく歪む。そのひとつひとつと視線を合わせ、エドガーは薄く微笑する。
「大丈夫だ。ララはちゃんと見つけてやる」
「……うん」
「ひとまず、アルは診療所へ」
「はっ!」
「お前たちも先に診療所に行ってろ。追加で逸れられたら堪らん」
「は、はい」
嗚咽を堪えながら騎士の後を追う子供たちを見送り、エドガーは雪山を振り返った。動揺と困惑に支配されている場を見渡し、声を張り上げる。
「いいか! 子どもがもうひとり埋まっている可能性がある! 名前はララ、赤い服を来た女の子だ! 此処の担当騎士と係の男共はとにかく掘れ! 他は念のため周囲にララがいないか確認しつつ、灯りと毛布を持って来い!」
若き領主代行の号令に、弾かれたように住民たちが動き出す。その顔に先程までの困惑はなく、ただひたすらに己ができることをと手足を動かす。
「ねえ、エドガー。魔術ではどうにかできないの?」
翠の塔を任された大魔術師なら、魔術でどうにかできるのではないか。
不安げな表情で見上げて来るクレールに、だがエドガーが返せたのは頭を振ることのみだ。
「雪を吹き飛ばせればいいんだが、子どもが何処にいるのかわからないから、迂闊に使うことはできない。それに此処では他の雪像を巻き込みかねないからな」
「そう、なの」
発掘作業に加わるエドガーの背を見つめながら、クレールは唇を噛む。
雪に埋まると、凍死もだが窒息の危険性もある。雪像が崩れてからの正確な時間はわからないが、急がないと小さなララが危ういことだけは、この街の人間であれば嫌というほどわかっている。
こういう時、クレールは無力だ。男たちに混ざって雪を掘れないし、女たちのようにすぐに毛布や灯りを用意する当てもない。
エドガーは雪に埋まっていない可能性を挙げてはいたが、雪像が崩れた範囲を見るに、それは限りなく低いだろう。現に大人たちは、ララの名を呼びつつも、灯りと毛布を用意することを優先させている。
一瞬が一分にも一時間にも感じられる焦燥。誰も彼もが間に合えと手を動かす。
荒れ狂う不安で、今にも心がはち切れてしまいそう。クレールは発掘作業を見つめながら、震える両手を組んだ。
「どうか、助かって……」
不意に、雪の中で青白い光が閃いた。魔力を伴うその光に、エドガーは動きを止める。
「魔術……? 一体、誰が……」
光は段々と強さを増す。エドガー以外にも気付いたのだろう。隣で発掘作業を行っていた騎士が、何事かと動きを止める。
「魔術師様、これは……」
「雪山から離れろ!」
「はっ?」
「離れろ! ――これは魔法だ!」
突然のエドガーの怒号に、男たちは困惑した。だが続けての言葉に、慌てて後退を始める。
次の瞬間、雪山が内側から弾けるように爆発した。
「な、なんだ!?」
「こんな時に精霊の気紛れかっ!?」
降り注ぐ雪塊に、誰も彼もが悲鳴を上げながら距離を取る。
そうして漸く雪埃が治まった頃。剥き出しになった黒い地面の上に、赤い外套を纏った子どもが倒れていた。
「ララ!」
誰もが反動で動けないでいる中、真っ先に体勢を立て直したエドガーは子どもに駆け寄った。肌は血の気を失って真っ白だったが、手袋を外して細い首筋に触れれば、確かな脈動が感じられる。
「生きている! ララは無事だ!」
わっと、辺り一帯に安堵の声が湧き上がる。その中には、涙ぐむ声もいくつも混ざっていた。
エドガーは冷え切った少女の身体を抱き上げると、騎士が構えていた毛布に包ませた。呼吸ができる程度に、頭の先から爪先まで、これでもかと毛布で覆う。
「熱を綴る」
そして仕上げとばかりにエドガーが短く呟くと、ほんの一瞬、指先に翠の光が迸った。程なくして、丸い頬に赤みが差し、小さな四肢が震え始める。
「ひとまず、これ以上体温が下がることはない。他の子供ら待っている診療所に連れて行ってやってくれ」
「畏まりました!」
少女を抱えて駆けていく兵士を見送り、漸くエドガーはひと息吐いた。未だ歓声に沸く辺りを見渡し、近くにいた祭りの係に声をかける。
「暫くこの辺りは見回りをつけるように。それと念のため、他の雪像にも近付かないように注意喚起しろ」
「は、はい!」
エドガーは被っていた雪を払うと、少し離れた場所で座り込むクレールに近寄った。雪山からそう離れていなかった所為で、彼女も全身が雪塗れだ。
「クレール。大丈夫か?」
「え、ええ……」
雪山の爆発の際、驚いて思わず座り込んでしまった。差し出されたエドガーの手を借り、何とか立ち上がる。
「猫も雪塗れだな」
「……乾かせば問題ないわ」
平坦な声でそう返したクレールは、ゆっくりと灰青の双眸を瞬かせた。その度に、薄らと貼られていた透明の膜が、ぽろぽろと零れ落ちる。
「よかった……ほんとうに、よかった……っ!」
緩んだ感情が、声を詰まらせる。今更ながら、膝が笑い出した。
再び座り込みそうになったクレールを、エドガーは慌てて抱き寄せた。しゃっくりを上げる背中を宥めるように、大きな手で軽く叩く。
「ありがとう。君のお蔭で、ララを助けられた」
その声が喩えようもなく優しくて。
「こちらこそ、ララを助けてくれてありがとう」
クレールは漸く頬を緩めた。
鐘の音が聞こえる。水晶城から聞こえるこれは、十九時を示す鐘だ。
「もうこんな時間か」
篝火の中、爆発した雪山を通路の脇に避けていた住民たちが、めいめい顔を上げる。
「折角の初代様と銀雪姫の像だったのに……」
「まあ、子供らが無事でよかったよ」
「大体片付いたら角の店に行って来い。スープを振る舞ってる」
「おい! 肉屋が片付けた連中に串焼きを奢ってくれるって!」
「本当か!?」
いそいそと道具を片付け始める住民たちに、隅で片付けを手伝っていたクレールも手を止めた。
予定外の雪掻きに、伸ばした背中が少し痛い。これでは明日筋肉痛になっているかもしれない。
「クレール。俺たちもそろそろ仕舞いにしよう」
呼ばれて振り返ると、エドガーが両手にカップを持っていた。
「ありがとう」
受け取ったカップの中を覗けば、澄んだ金色から温かな湯気が立ち昇っている。一口でも啜れば、いつの間にかすっかり冷えてしまっていた身体に、じんわりと熱が広がる。
「君はまだ祭りを見て回るか?」
「いいえ。もう夜も深くなって来たので帰ります」
「では送ろう」
「いらないわ。此処まで来たらうちはもうすぐだもの」
スープを飲み干し、近くの屋台が預かってくれていた荷物とぬいぐるみを受け取る。
忘れ物がないか確認していると、クレールの帽子へと大きな手が伸びて来て、薄く積もっていた雪を払う。
「君は明日も来るのか?」
「明日は、来ないわ。明後日も……雪像が崩れてしまったから、この辺りは忙しいでしょうし」
「なら串焼きは全部持って帰るといい。俺はまだ明日も買えるから」
「……ありがとう」
クレールは大きく手を振ってエドガーと別れると、白い家路に着いた。
蛇小屋に帰り着いた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。しんしんと降り積もる雪の合間を、遠くから鐘の音が縫って聞こえる。
クレールは家の前で肩や頭の上に乗っていた雪を払うと、薄く開いた扉に身を滑り込ませた。
「ただいま、グレースちゃん」
声をかけながら暖炉に火を点ければ、寝台の毛布の中から流麗な身体が起き上がる。つい先程まで寝ていたのか、紅い双眸は何処となくぼんやりとしている。
「あら、まだ眠っていたのね」
暖炉の前に椅子を置いて白猫のぬいぐるみを座らせると、白蛇は興味津々と言った体で近付いて来る。
「投げ矢で当たったのよ。可愛いでしょう?」
ぬいぐるみの表面が冷えていた所為か、白蛇は生成りに触れただけで他の椅子に移動してしまった。
クレールは手を洗うと、鍋に水を入れ、火にかけた。棚からカップと皿を出し、白蛇が待つ食卓に並べる。
「帰りが遅くなってしまってごめんなさい。今日は色々あったの」
「…………」
「ええ、今日は大変だったわ。雪像が壊れて、子どもが埋まってしまったの。でもいきなり雪山が爆発して、中から子どもが出て来て助かったのよ」
「…………」
「そう、エドガーが色々買ってくれたの。しかもグレースちゃんにって串焼きも」
肉を串から外して皿に乗せれば、麗しい白蛇は紅い瞳を輝かせながら喰らい付く。
どうやら彼の魔術師は串焼きにも魔術をかけていたようで、肉は冷めてしまっていたがそれほど固くはなっていなかったようだ。白蛇の顎で容易く引き千切られている肉を見ながら、クレールは愛好を崩す。
「グレースちゃんは本当によく食べるわね」
あっという間に空になった皿の横で、白蛇は満足そうに舌を出す。
「他にも色々あったのよ。でもおやつはまた明日ね」
「…………」
「だーめ。また明日」
不満そうに尻尾を卓に叩き付ける白蛇の鼻先を、クレールは指で突く。
話している内に、湯が沸いたようだ。茶葉の入った瓶を開けようとしたクレールは、何かを砕くような音に手を止めた。
「えっ? グレースちゃん!?」
目を放したのはほんの一瞬だったつもりだが、その間に白蛇は飴の蛇を籠から取り出して噛み付いていた。鈍い音を立てて飛び散る破片に、クレールは目を白黒させる。
「大丈夫!? お口の中を切っちゃったりしていない!?」
慌てて小さな口に手を添えて覗き込むが、白い飴の破片がある以外は特にいつもと変りない。綺麗な薄紅色をしている。
「同じ蛇だから、嫉妬しちゃったのかしら……?」
クレールが困惑している間にも、白蛇は残った飴を噛み砕いて咀嚼していく。
そうしてすっかり飴の蛇を呑み込んでしまった白蛇は、クレールの腕に絡み付いた。ぴったりと腕に頭を押し付け、つぶらな紅い瞳で見上げて来る。
「あらあら……私は飴の蛇よりも、グレースちゃんの方がずっとずっと大好きよ」
今日は色々なことがあり過ぎた所為か、白蛇への愛おしさがひとしおだ。
クレールは細く小さな身体を抱き締め、己が享受する安穏を目を閉じて噛み締めた。




