016.約束を刻む
賞品としてクレールが受け取ったのは、可愛らしい猫のぬいぐるみだ。
大きさは実物の猫ほどで、肌触りの良い生成りの身体と青い硝子釦の目でできている。
「グレースちゃん、気に入ってくれるかしら」
クレールが作った紅い魚のぬいぐるみで遊んでいることがあるが、他の玩具は初めて与える。青い目を見た瞬間にこれだと思ったのだが、白蛇のよいおともだちになってくれるだろうか。
「君が当てて君が選んだものなんだ。きっと気に入るさ」
「そうよね。気に入ってくれるわよね」
頬を薔薇色に染め、クレールは声を弾ませる。その足元は興奮と期待で雪上とは思えないほど軽やかだ。
「荷物持とうか? ぬいぐるみも籠も持っていたら歩き辛いだろう?」
「これくらい平気よ。それに貴方に比べれば、私は雪道に慣れているのだから」
「これでも大分慣れたんだがなぁ……」
クレールの小さな歩幅に合わせて歩きながら、エドガーはぼやく。
他の観光客は時折足元の雪で歩き辛そうにしているが、王都出身である筈の彼にはそういった素振りが微塵もない。雪街一年目にしては上等なものだ。
「そういえば、ヒューイさんが貰っていた鉱石の詰め合わせなのだけれど」
「森の奥で採れたというやつか?」
「あれ、採って来たの多分私だわ」
「…………」
「少し前に可笑しな採取依頼が来たと思っていたのだけれども、ちゃんと需要があったのね」
物言いたげな顔で見下ろしてくるエドガーを、クレールは澄まし顔で見返す。
クレールはこの街の住民で森の奥に入ることができる唯一の少女だ。森のもので何かが必要になると、北の薬屋を通して薬草取りのクレールに依頼が出されるようになっている。
ヒューイや街の人間にとっては稀少な鉱石でも、クレールにしてみれば薬草採取の道中に転がっているただの石礫だ。思いがけず得た収入に不思議な気持ちになったのを、クレールは覚えている。
ちなみに当のヒューイはクレールがぬいぐるみを受け取るのを見届けると、そそくさと何処かへ行ってしまった。何やら当番があるらしい。
彼の上司である魔術師が呑気に祭りを回っていていいのか気になったが、まだ手を離される気配はない。
いつの間にか大通りの屋台をぐるりと回り、クレールとエドガーは水晶城に戻って来ていた。
名の通り水晶に似て煌めく城が白い雪に飾られる光景は目を引くのか、こちらも観光客で賑わっている。
「これからどうするの? 串焼きを返しましょうか?」
言外に解散を提案すると、エドガーは何やら考えるような素振りを見せた。
「そうだな……君さえよければ、城内も見て行かないか?」
「城内? 何かあるの?」
「こちらだ」
エドガーが足を向けるのは、人通りの少ない通路だ。
城に勤める者しか使わない棟を通り、春になれば薔薇が咲き誇る庭園を抜ける。
そうして城の中庭に出ると、いくつもの雪像がふたりを出迎えた。
「今年は城内にも雪像があったのね」
馬や城など、街の北側に並んでいる物に比べれば小さいが、その分作りが細かいものが多い。
特に子供の背丈ほどの馬車など、雪像とは思えないほど緻密な作りをしている。よく見れば、旧シリウス辺境伯家の紋章が側面にしっかりと施されていた。
「俺と一緒に王都から来た騎士の連中が、シルヴェ出身の連中に師事しながら業務の合間に作っていたやつだな。これも寒さに慣れるための訓練だと言って、雪が降り始めてから毎日何かしら作っていた」
「騎士って器用なのね」
首に巻かれたリボンまで雪で作られた熊のぬいぐるみを見つけ、クレールは頬を綻ばせた。
中庭の雪像は大っぴらにされていないのか、観光客の姿は少ない。どちらかというと城仕えの身内が歩いているくらいで、お蔭でゆっくりと回ることができた。
ふと、隣を歩いていたエドガーが足を止める。
「凄いな。よく似ている」
エドガーの見ているのは、四つ足の獣を模した雪像だ。
凛々しい目鼻立ちとしなやかな四肢。そして何より目を引く首回りを飾る豪奢な毛並みが、今にも動き出してしまいそうなほど精緻。
初めて見る造形を、クレールはまじまじと見つめる。
「これはなぁに? 狼、ではないわよね?」
「これは獅子だな」
「しし?」
「獅子。海の向こうの国にいる、でっかい猫みたいな動物だ」
クレールは灰青の双眸を瞬かせて、抱きかかえていたぬいぐるみと雪像を見比べた。
改めて大きな猫だと思って見ると、目元と足先の丸みが似ている。
「エドガーは本物の獅子を見たことがあるの?」
「見たと言っても、子供の頃に一度だけ。隣国の使者が陛下に献上したのを見たきりだな」
「王都には獅子がいるの!?」
「いや。結局は王宮で飼えないからと、領主の趣味で動物園を作っていた隣国に近い領地に預けられた。確かまだ飼育されている筈だ」
「動物園? 動物がいっぱいいるの?」
「ああ。獅子みたいな珍しい動物や、珍しい色の鳥とか蛇とかいる」
「猫もいるの?」
「猫はいない。猫に似た動物は何種類かいる」
初めて聞く生き物、初めて聞く場所。
エドガーが話す内容は、どれもクレールが知らないことばかりだ。
「貴方は、色々なことを知っているのね」
唇から率直を零した少女の灰青は、未知への好奇心と外を知る青年への尊敬で輝いている。
それを一瞥し、エドガーは何処か遠くを見るように目を細める。
「知っていて損はないからと、好奇心旺盛な母に休みの度に色々と連れられて行ったからな……この街の人間は、あまり海も知らないんだったか」
「海は知っているわ。南の方にある大きな湖でしょう?」
「訂正しよう。見たことはないんだったか」
間を置かない返答に、クレールはむっと唇を尖らせる。
「だって……海があるのは、ミラの南方だもの」
ほぼ国の北端に位置するシルヴェ・ティティアから南方の領までは、馬車で半月以上もかかる距離だ。行きたいと思っても簡単に行ける距離ではない。
元々シルヴェ・ティティアの住民はあまり外に出ることがない。一年の半分近くが冬であるからと歴代の当主たちが街を整備し続けた結果、国内でも五指に入る大都市となったこの街は、余程のことがない限り外に出る必要がないのだ。
商売を生業にしている者なら取引で何ヶ月も街の外に出ることもあるが、そうでない者は一生をこの街で終えるのもざらだ。
「シルヴェは流出が殆どないんだよな。王都ほどの流入もないが、雪と温泉があるからか、観光客は来るし。だから王都から離れた地方都市にしては栄えているし、平民にしては珍しく姓を持っている家も多い」
「よく知っているわね?」
「これでも領主代行だからな」
「ふぅん?」
エドガーと違って、クレールは生まれてこの方、旧シリウス辺境伯領を出たことがない。それどころか、この銀雪の街と隣街を繋ぐ街道の手前までが精々だ。
この街のことは何でも知っているつもりで、国内中の本が集まる西の図書館の蔵書もすべて読んでしまっているが、クレールが知っている世界はそれだけ。
海も王都も動物園も、遠い遠い話だ。
手を引かれなら雪像の間を抜け、再び雪に覆われた薔薇園に差し掛かる。
此処には展示物や屋台が何もないからか、今日は観光客どころか城仕えの姿もない。
申し訳程度にしか片付けられていない雪の上を歩いていると、不意に手を握られる力が微かに強くなった。
「エドガー?」
もしかして、何時間も外にいた所為で冷えたのだろうか。
不安になりながら顔を覗き込むと、鮮やかな翠色と視線がぶつかる。
「連れて行ってやろうか」
「え?」
「海に」
唐突な提案に、クレールは思わず立ち止まった。
そんな彼女の小さな手を握ったまま、エドガーは雪雲で覆われた空を仰ぐ。
「そうだな、春がいいか。夏だと君には暑過ぎるだろうが、春なら空も海も青が澄んでいるし、晴れれば波が太陽光を反射して綺麗だ」
それは一体、どのような場所なのだろう。
風は、匂いは、音は、色は、光は。
きっとこの銀雪の街とは何もかもが違う。
すべてすべて、クレールが知らない光景だ。
「本当に、連れて行ってくれる……?」
灰青の双眸を瞠っているクレールを、エドガーは微苦笑を浮かべながら見つめる。その翠の眼差しは、何処までも真摯だ。
「約束しよう」
その言葉は、なによりも鮮烈にクレールの脳裏に刻まれた。




