014.屋台めぐり
水晶城の中央広間は、本来は領外からの身分の高い客を迎える場所だ。正面の高いところに初代シリウス辺境伯の肖像画が飾られたそこは、雪祭りの間だけ休憩所として開かれ、卓や長椅子が何組か用意されている。
クレールは観光客で賑わう広間を見渡し、隅の席を見つけて落ち着いた。振る舞われていた林檎茶を受け取り、ちびちびと中身に口を付ける。
そうして茶を飲み干す頃、エドガーは飾り気のない黒の外套で現れた。厚い生地でできた帽子を深く被り、首巻きもしていて、顔を知らなければ彼だとはわからないだろう。
「すまない。大分待たせてしまった」
「貴方の部屋は奥の方にあるのだもの。大したことはないわ」
澄まし顔で差し出された手を取れば、秀麗な面差しに微苦笑が浮かぶ。
外に出ると、通りは相も変わらず観光客で溢れていた。
人波に溺れないように繋がれた手を頼りにしながら、クレールは辺りを見回す。
「さて、何から食べる? 焼き林檎か? 林檎パイか?」
「貴方……私のことを食い意地が張っていると思っている……?」
「お、串焼きが売ってる。クレールも食べるだろ?」
「……食べます」
辺りに食欲を駆り立てる匂いを振り撒いているのは、南の大通りに店を出している肉屋の店主だ。まだ成人前の息子と一緒に肉串を焼いている店主は、連れ立っているふたりに気付くと破顔して手招きする。
「いらっしゃい! 今なら焼きたてが食べられますよ!」
串に刺さっている肉は牛だろうか。クレールの一口よりも少し大きい塊がいくつも刺さっている。
ただでさえ飼育に手間のかかる牛は鶏よりも値が張るというのに、提示されている値段からすればかなりの大盤振る舞いに思えた。
「これは何が違うんだ?」
「こっちが塩で、こっちが秘伝のタレです」
「初めて見る秘伝ね?」
いくつかの香辛料を合わせているのだろう。知らない匂いもあるから、南の国から取り寄せたものも混ざっているのかもしれない。
肉から立ち上がる複雑で独特な香りに鼻腔を刺激され、思わずクレールは喉を鳴らした。
「君はどうする?」
「塩……いえ、タレも捨てがたいわね……」
どちらも美味しそうだが、残念ながら両方を食べられるほどクレールの胃は大きくない。
手堅く塩味か、それとも新しい味に挑戦してみるべきか。
無意識に腕を組んで思案の素振りを取りかけたクレールは、背後に並び始めた他の客に気付いて我に返った。
「あ、あの……」
店主や他の客に迷惑をかける訳にはいかない。クレールは泣く泣くタレの付いた方を諦めて、塩味の串を指差そうとした。
「タレでなくていいのか? 折角の秘伝らしいぞ?」
「でも二本も食べられないわ……」
「ああ……君はかなりの小食だったな」
憐れむような眼差しに、クレールはむっと唇を尖らせる。
だがここで無理をして他の屋台を回れないとなると、それはそれで悔しい。
「店主。これは冷えたら焼き直せばいいのか?」
ふたりの会話を聞いていた店主は、器用に何本もの串をひっくり返しながら応える。
「家で焼き直すなら、火でちょっと炙るだけでも十分ですよ。なにせ雪祭りの品物ですからね、多少冷えても美味しくなるようにしてあります。お持ち帰り用に包んでのご用意もできますよ」
「そうか。では、塩とタレを二本ずつ包んでくれ。それとは別に、味がついていないのも一本持ち帰り用で頼む」
「畏まりました」
クレールが財布を出すよりも早く、包まれた串焼きと代金が取り交わされる。
エドガーはそのまま人通りを避けてクレールを端に連れ出すと、焼き立ての串が入った包みを差し出した。
「ほら」
「あ、ありがとう……」
クレールは暫し指先を彷徨わせたが、意を決するとタレの包みを選んだ。
とろりと煌めく串焼きを抜き取れば、食欲と共に得も言われぬ感情が膨れ上がって来る。
「俺は塩にするか。クレール、籠を開けろ」
言われた通りに籠を覆っていた布を避けると、中に三本分の包みが押し込まれる。
互いの手に握られた串と籠の中を見比べ、クレールは首を傾げる。
「え? もう三本も私の?」
「塩は家に帰ってから食べればいい。味なしは君の家族用だ」
クレールに人間の家族はいない。母親はとうの昔に出て行った。となるとこれは、彼女が愛する白蛇のものだ。
「いいの?」
「もちろん」
「……ありがとう」
こうして折を見て、白蛇に配慮してくれる。それがクレールにとってどれほど嬉しいことなのか、きっとこの青年は知らない。だが知らないままでいいのだ。
「で、残りのタレは俺の分だ。解散するまで入れておいてくれ」
「わかりました」
互いの取り分を確認できたところで、クレールは改めて串焼きに向き合った。
「いただきます」
タレが唇の周りについてしまわないよう、少し大きめに口を開いて一番上の肉に齧りつく。
途端、口いっぱいにじんわりと広がる香りと肉汁。まだ十分に温かいそれらと共に、舌の上で崩れていく肉塊に、クレールは堪らず声を上げた。
「おいしい」
「本当。いい肉使ってる」
上級貴族出身のエドガーがいうのだから、今日のためにわざわざ肉もいいものを用意したのだろう。
「シリウス領特産となれば、西の方にある牧場のだろうな……品質の良さを売りにかなり高値で取引されている品種があった筈だが、街一番の祭りとはいえ、よくこんなに用意できたものだ」
「此処の店主は普段から気前が良過ぎるもの。それでよく奥さんに叱られているわ」
「叱られているのか」
「同い年の幼馴染だから、子どもの頃からずっと奥さんの方が強いの」
「なるほど……」
クレールが一つ目を咀嚼している間に、エドガーは二つ目の肉を抜き取る。
このままだとクレールが半分も食べ切らない内にエドガーは食べ終えてしまう。
「クレール、無理に急ぐな。喉に詰まらせるぞ」
「詰まらせないわよ……子どもでもあるまいし」
不服そうに睨め付けてくるクレールの口は、忙しなく肉を咀嚼している。
エドガーは微苦笑すると、ことさらゆっくりと肉を噛み締めた。
用意されていた芥入れに使用済みの串を入れ、クレールは口の中の余韻に頬を緩める。
「次は何を食べる?」
「腹ごなしに少し歩きたい気分だわ」
「わかった。持ち帰れそうなものを探そう」
再び手を繋ぎながら、クレールはきっと眉を吊り上げてエドガーを見上げる。
「次は私が払うのだからね!」
クレールは串焼きを食べ終えてすぐに代金を支払おうとしたが、エドガーは受け取ってくれなかったのだ。
暫く押し問答を試みた末、差し出した貨幣ごと財布を籠の中に押し込められて終わった。
「屋台の支払いくらい、君が気にすることない」
「なら貴方も気にすることなく、次の店は私に奢られるといいわ」
上級貴族であるエドガーに比べたら雀の涙ほどでしかないが、クレールにだって祭りで遊ぶくらいの資産はあるのだ。侮られては困る。
何となしに繋がれた手を揺らしながら、辺りの屋台を見渡す。
昼を過ぎたからか、朝よりも客が多い。エドガーが人除けをしてくれていなければ、今頃クレールは人波に流されていたかもしれない。
「お茶に……シードルに……飴細工?」
店先で煌めく気を取られたのは一瞬のつもりだった。だがすぐ横にある筈の長身が見当たらないことに気付き、クレールは愕然とする。
「まさか……もう逸れた……?」
逸れてしまったものは、仕方ない。仕方がないが、なんとなく釈然としない。
こういう時は、下手に動かない方が再会し易いのだ。そもそも手を離したエドガーが悪い。
クレールはそう決めつけると、改めて店頭に並べられている飴細工を眺めた。
この領の特産である紅涙林檎を丸ごと使ったものや、可愛らしい白猫を模ったものもある。
「果物飴なら、グレースちゃんのお土産にもいいかしら……」
「お土産を探しているの?」
澄んだ声に顔を上げると、赤毛の少女が店の中からクレールを見つめていた。
クレールの見た目よりも少し下の年頃に見える少女は、屋台を出すには若過ぎるように見える。彼女の愛らしい顔立ちや、纏う薄紅のドレスや髪を飾るリボンが余計にそう思わせるのかもしれない。
だが他に誰かがいる様子もないことから、彼女がこの屋台の店主なのだろう。
「ええ……小さい子へのお土産を探しているの」
蛇への土産などと言ったら、また奇異の目で見られる。
だからクレールが敢えてそう答えると、少女は薄紫の双眸を店頭に滑らせた。並べられていた飴の上で何度か白い指を行き来させていたが、少しして一本を取り上げる。
「どうぞ」
差し出された飴は、蛇の形をしていた。鱗のひとつひとつは丁寧に刻まれ、氷咲水晶のごとく煌いている。瞳は澄んだ紅色で、少し覗いた舌がなんとも愛らしい。
あまりにも見事な出来にクレールは思わず受け取ってしまった。だがそれが商品であることを思い出して、慌てて籠を弄る。
「ええっと、ちょっと待ってちょうだいね。今お財布を……」
そう言いながら籠の奥から財布を取り出したクレールは、しかし次に顔を上げた時には、何処にも屋台を見出せなかった。
「あれ……?」
「どうしたんだ?」
いつの間に戻って来ていたのか、すぐ隣を見上げるとエドガーが立っていた。
クレールは飴でできた蛇で屋台の間にぽっかりとできた空間を差しながら、恐る恐る隣の青年に尋ねる。
「今、此処に飴細工屋がなかった……?」
「いや。そこは最初から休憩所の筈だが」
確かに、観光客用にと長椅子が置かれている。寧ろ椅子と観光客しかいない。
観光客が作ったのか、小さな猫の雪像が長椅子の隅に置かれていたが、どう見ても飴には見えない。
「どうしたんだ、その飴。よくできているな」
「だから、此処に飴屋があったのよ……」
「は?」
エドガーの胡乱は尤もだ。クレールは飴を持ったままの手で頭を抱えたくなった。
だが考えても答えが出る兆しは微塵もなく。クレールは飴から視線を外すと、ふと思い出したかのように口を開いた。
「そういえば貴方、さっき私を置いて先に行ってしまったでしょう」
「は? 歩いている途中で君が立ち止まったから俺も止まったくらいで、逸れてはない筈だが?」
「……あれ?」
言われてみれば、飴を持っていない方の手は繋がれたままだ。
クレールは灰青の双眸を瞬かせた。
「精霊の気紛れだったのかしら……?」
年に一度の雪祭りの日なのだ。精霊も楽しみにしていたのかもしれない。
クレールはそう己を納得させると、飴の白蛇を籠の中に仕舞った。




