013.雪祭り
「今年もこの日がやって来たわね」
今日は待ちに待った雪祭り、その初日。いつもよりも少し早い時間に起きたクレールは、意気揚々と窓の外を確認した。
降っていないが、地面は十分に真っ白い。気温を確認しようと少し窓を開ければ、寝惚け眼だった白蛇は瞬く間に寝台の中へと戻って行った。
「さて……支度しなくてはね」
いつもの灰色のドレスの下に太い毛糸で編んだ下着を重ね、重い外套を羽織って耳当てのある帽子を被って長い焦がし砂糖色の髪を入れ込む。
襟巻で顔の半分を覆い、これまたいつもより重いブーツを履く。指環をしたまま分厚い手袋を嵌め、軽く手の開閉して調子を確かめれば、完全防備の完成だ。
「寒いからグレースちゃんはお留守番ね。お土産を楽しみにしていて」
返事をするように、毛布の下から尻尾の先だけが出て来て揺れる。どうやら今日は一日昼寝を決め込むようだ。
クレールは苦笑すると、買い物籠を手に街側の扉を開いた。
年に一度行われる雪祭りは、シルヴェ・ティティアで最も大きな催しだ。
特産物でできた飲食物や工芸品、雪像や温泉、街の学生たちの研究発表会など、シルヴェ・ティティアならではが三日に渡って披露される。
元々避暑や温泉目当ての観光客が多い街ではあるが、国で一番雪が降る街の祭りとあって、この日ばかりは領の内外からやって来る客は桁違いだ。
またシルヴェ・ティティアは、この祭りを境に雪が深くなり、外との交流が難しくなる。そのため近隣の隊商もこの時期の最後の売り時だと言わんばかりにこぞって訪れていた。
雪で覆われる日々の最中、賑やかに色付く街は、圧巻の一語に尽きる。
何よりたくさんの屋台が出るのだ。この日にしか出て来ない料理や菓子も出るとあって、クレールはひどく心待ちにしていた。
黙々と白原を歩いていると、夏にラベンダー色で覆われていた場所に、いくつもの雪像が建っているのが見えて来た。
「あら……」
祭りは始まったばかりだというのに、雪像の前はやけに盛況だ。
どの像の前でも人、人、人。クレールの家とそう変わらない高さの初代領主像でさえ、上半身が何とか見えるくらい。
数年前から申請すればまた領内の誰でも雪像を建てられるようになって関係者が増えたため、余計に見物人が多いのかもしれない。あるいは会場が街の外れに用意されていることから、祭りの目玉でもある雪像を先に観てしまおうと考えているのか。
どちらにせよ、この人の多さでは背の低いクレールだと埋もれてしまう。
「まあ、どうせうちに帰るには雪像の前を通るし……」
あとでじっくり見よう。クレールは雪像会場を抜け、屋台の並ぶ通りへと足を進める。
万全に着込んでいる少女に、街の人間は誰も彼女が蛇小屋のクレールだとは気付かない。よく一緒に遊んでいるのを見かける幼い五人組も、今日ははしゃいだ声を上げたまま脇を擦り抜けて行った。
「一度城まで行って、ぐるっと回ってから家の方に戻ろうかしら。グレースちゃんへのお土産も欲しいし……確か、今年は城内の雪薔薇が咲いているのだったかしら?」
そうして水晶城の近くまで来たクレールは、目に入った人物に思わず足を止めた。
片方は、最近よく見る翠の瞳の青年だ。
領主代行でもある彼は、今日は魔術師のローブでも政務官の制服でもなく、青年貴族らしく上等な装飾が施された外套を身に纏っている。
もう片方は、見覚えのない若い娘だ。
年頃はクレールの見た目とそう変わらない頃だろうか。緩く巻かれた栗毛は艶やかで、綻びひとつない。
外套は袖や裾が可愛らしくレースで飾られた、質のいい毛織物。長い裾から覗く足元も、明るい色で染められたおろしたての皮のブーツで抜け目がない。
遠目であってもいかにも貴族の令嬢といった風貌で、その横顔からは気品が感じられる。
何を話しているのか、言葉を交わすふたりは近しげだ。それも、恋しい仲だと言われても、納得のいくような。
「……なんだ。女の子、いるのではないの」
無意識に押さえつけていた己の左薬指に、クレールは我に返った。慌てて手袋を外し、指環が歪んでいないことを確認して息を吐く。
「まあ、私が気にすることではないわよね」
元々馴れ合えるような身分差ではないのだ。彼が許しているだけで、本来ならクレールが名前で呼ぶことすら烏滸がましい。
今日は話しかけない方がいいだろう。手袋を嵌め直し、クレールは踵を返そうとした。
だがそれより先に、不意に向けられた翠の双眸がクレールの姿を捉える。
「げ」
「クレール!」
反射的にクレールは逃げ出しかけたが、背後を通り過ぎようとしていた観光客に気付いてたたらを踏んだ。いつもよりも着込んでいてまごついたこともあり、伸びて来た大きな手にあっさりと引き寄せられる。
「……こんなに着込んでいるのに、よくわかったね?」
「君は姿勢がいいからすぐわかる」
容易くクレールを人混みから引き出したエドガーは、何故か得意げだ。
その横から、栗毛の令嬢がクレールを見つめて来る。その大きな榛の瞳は、興味津々と言った体だ。
「迎えに行く手間が省けた。一緒に回ろう」
差し出された手のひらを、クレールは無感情に見下ろした。
きっとつい十分前であれば、この手を取ってしまっていただろう。だが今のクレールは、そこまで無邪気な少女ではない。
「どうして? 女の子を連れて歩きたいのなら、そこにいるでしょう?」
吐き出した言葉は、クレールの純粋な感情だ。
見上げて来る透徹な眼差しに、エドガーは渋面になった。一方、栗毛の令嬢は口元を覆うように片手を顔の近くに添える。
「彼女は違う」
「何が違うの? そんなに違わないでしょう?」
「全然違う……」
エドガーは頭を抱えたそうにしているが、クレールにはその違いがわからない。
「君は何を拗ねているんだ?」
「何も拗ねていないわ」
口ではそう言いつつも、身体の芯が冷えていくのを感じる。
きっと自分は、彼の言う通りなのだ。拗ねている。
構ってくれるからと勝手に期待を寄せて、いざ彼が他の娘を相手にしていると勝手に失望して。
なんて身勝手で、なんて幼くて、なんて愚かしくて。
意味もなく頭の奥が煩い。心が丸ごと頑なになっていく。今すぐにでも、此処から逃げ出して。
「っ、はははははは!」
突然弾けた麗らかな笑い声に、クレールは思い出したかのように灰青の双眸を瞬かせた。
エドガーから視線を外し、腹を抱えている令嬢を睨め付ける。
「なに」
「ああ……ああ。申し訳ございません」
栗毛の令嬢はひとつ咳払いをすると、徐に左手で外套の裾を摘まみ上げた。
背筋を伸ばしたまま左足を下げて腰を落とし、空いた右手を胸元に添える――古い物語で妖精がミラ・ブランシェの初代女王に行ったとされる、由緒正しい礼だ。
「ご挨拶が遅くなり、申し訳ございません。エドガー様の下で魔術師をしています、フィオナ・リリヴェルと申します。この度はお初にお目にかかります」
「クレールです。こちらこそ、初めまして」
釣られて同じ礼を取るクレールに、フィオナは目を丸くした。
だがそれはほんの一瞬のことで、すぐにクレールを見る眦が下がる。
「お噂はかねがね。何でも、見事にエドガー様を袖になさっているとか」
「喧嘩を売っているの?」
「いいえ?」
上がり気味の語尾がなおさら胡散臭い。
なおも警戒を覗かせるクレールだが、フィオナの笑みは崩れない。
「わたくしはただ、雪祭りの進行の確認に伺っただけ。クレールさんがご心配なさっているようなことは微塵もございませんので、ご安心くださいませ」
「は?」
「では、エドガー様。わたくし共は手筈通りに」
「ああ、手間を取らせたな」
裾を翻し、朗らかな令嬢は軽やかな足取りで立ち去っていく。
クレールは胡乱な眼差しでそれを見送ると、そのまま隣に立つ青年を見上げた。
「なに、あの子」
「だから、俺の部下の魔術師だ」
「恋人ではなくて?」
「全然違う。そもそもフィオナが普段ちょっかいをかけているのは、俺ではなくグレンだ」
「ふぅん?」
気のない返事をしつつ、クレールは以前顔を合わせた騎士の顔を思い出す。
エドガーの幼馴染でもあるという青年は、颯爽とした印象の美丈夫だった。貴族の子息らしく気品があり、ただの街娘であるクレールにも気遣いができる好青年でもあった。
そう考えると、何処か自分勝手なところがあるエドガーに比べて、年頃の令嬢が付き合いを考えるにはいい相手なのかもしれない。
つらつらと思考を巡らせていたクレールは、隣から動こうとしない青年に訝しんだ。
「貴方は行かなくていいの? 領主代行なのだから、何かしら役目があるのでしょう?」
「本日の俺の役目は、会場の現場確認だ」
「それ、さぼっているというのではないの?」
「そうともいう」
やけに重々しく頷く領主代行だが、見上げて来る冷めた灰青に気付いて肩を竦めた。
「まあ、祭りの主体はずっと続けてきた街の者たちだからな。俺は本当に挨拶だけだから、暇なんだ」
「そういうものなの?」
「そういうもの。では行くか」
差し出された大きな手に、クレールは困惑した。
「貴方、本当に私を連れて歩いていいの?」
冬装備でも可愛らしく着飾っていたフィオナに対し、今日のクレールはいつも以上に野暮ったく着込んでいる。領主代行らしく貴公子然として上等な衣装を纏っているエドガーと並べば、悪目立ちしてしまうだろう。
「外套だけ替えて来るか。折角君と祭りを回るというのに、この格好ではそこらで茶々を入れかねない」
「外套を替えたくらいだと、貴方が貴方だと気付くと思うのだけれど……」
「こういうのは領主代行らしい格好でないことに意味があるんだ」
どうやら彼の中で、クレールと祭りを回らないという考えはないようだ。
「外は寒いから、君は中央広間で待っていろ。あそこなら暖が取れるだろう」
ならば広間に行くと見せかけて、エドガーが着替えている間に姿を晦ませてしまおうか。自分がいなければ、適当な誰かが彼の相手をするだろう。
神妙な顔の下で算段を付けていたクレールは、だが見透かすような翠の眼差しに気付いて考えを止めた。
「逃げるなよ?」
「……わかったわ」
*****
労働にかまけていた所為で更新が止まっていることに気付かなかったのですが、これは銀雪の街に春が告げられるまでのお話なので、桜が咲く頃には終わる予定です。
終わらなかったら、労働にかまけていたんだなとでも思っていてください。
かしこ。
*****




