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銀のカルーセル  作者: 白毬りりま
クレール・ネージュは春を告げる

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10/29

009.青いリボン

2025/11/02 雪祭りの日付を修正。


 クレールはカップを傾けた。飲めないほどではないが、お茶はまだ熱かった。

 一口含んでゆっくりと嚥下すれば、爽やかな香りが鼻を抜けていく。


「シルヴェ・ティティアもだが、旧シリウス辺境伯領って全体的に税収が高いんだよな……と言っても、此処より高い税を取ってる領なんて、数えるくらいにはあるんだが」

「シルヴェは雪害対策で高くなっているのよ」


 今年の夏に馬車で十日近く南にある王都から来た青年貴族には馴染みがないのだろう。いまいちぴんと来ていないらしいエドガーに、クレールは苦笑を漏らした。


「皆できるだけ冬を越すために各々で備えるのだけれど、それでもどうしても心許ない家庭は出て来るもの。その時にちゃんと規定書類を埋めて申請すると、補助が受けられるの」


 それは、街ができて三百年ほど経った頃にできた仕組みだ。代を重ね、王宮からも目にかけられるほどの豊かさと安定さを誇るようになった、旧シリウス辺境伯領が辿り着いた政策のひとつ。


「というのは、シルヴェの幼年学校の上級課程で習う筈なのだけれど……忘れていたのかしら?」

「他の領出身だったらしいぞ。奥方も、下の子を産んですぐに亡くなったらしい」

「なら単純に知らなかったのね」


 カップの中身に小さく息を吹きかけるクレールを見ながら、エドガーは取り止めのない思い付きを口にする。


「野菜ならいっそ、寒さに強い品種の開発でもしてみるかな……それか新種の栽培方法を発明するか」

「魔術でやるの?」

「どちらも過去例があった筈だ。実際にうちでは、魔術で薬草を育てている者もいる」


 国内で最も寒いのがこの領だが、冬に生産が落ちるのは何処も同じだ。上手くいけば、旧シリウス辺境伯領の新しい特産品になるかもしれない。


 干し林檎を齧りつつ思考を巡らせていたエドガーは、袖を引かれて視線を向けた。


「どうした、グレース」


 小さな蛇は何かを訴えるように紅い双眸で見上げて来るが、残念ながらエドガーには蛇語を解する能力はない。頭を撫でようとすれば、違うと言わんばかりに振り払われる。


「グレースは何と言っているんだ?」

「お腹が空いたんだと思う。そろそろ夕飯の時間が近いから」

「さっき干し林檎を食べただろ?」

「全然足りないわよ」


 クレールは席を立つと、森側の勝手口の脇に置いてある籠の前にしゃがみ込んだ。蓋を開けて細く白い手を突っ込めば、次に引き抜いた時には丸々とした翡翠色の蛙が掴まれている。


「ほら、グレースちゃん。ご飯よ」


 艶めく翡翠色に、白蛇は一二もなく喰らい付いた。氷咲水晶を縒り集めたかのような優美な姿からは想像もつかない勢いに、エドガーは翠の双眸を細める。


「相変わらずいい食いっぷりだな……」

「本当、可愛いわよねぇ……」

「そうだな……」


 晩冬と初春ほどの温度差で会話をする二人を余所に、白蛇は意気揚々と翡翠蛙を丸呑みする。

 まだ小さく細い身体の一部だけが拳大に膨らんでいく様は、何度見ても愛らしい。満足げに目を閉じる白蛇を、クレールは慈愛に満ちた灰青で見つめる。


「そろそろ翡翠蛙が獲れなくなるから、街で鶏肉を買って来ないと」

「今朝だって雪が降ってたんだ。今も殆ど取れないだろ?」

「そうでもないわよ。森の奥に地熱で暖かい場所があって、そこでは偶に飛び跳ねているの」


 卓に戻ると、茶はクレールの飲み頃になっていた。


「あの蛙、君の家以外で見たことないんだが」

「それはそうでしょうよ。この森にしか棲んでいない魔物だもの」

「魔物!?」


 魔物は、動植物が何らかの変異により魔法の力を帯びてしまった種の総称だ。

 見た目には普通の動植物である彼らは、基本的に人間とは離れた地域で暮らしている。だが年に数度は人里に降りて来てしまい、何かしらの被害を出していた。


 そんな魔物の対処を行うのは、警備兵や軍人の役目だ。被害が大きければ、国王の命で領を跨いで対応が行われることもある。

 かつて士官学校に所属していたエドガーも、そのための訓練を受けたことがあるのだろう。秀麗な顔には不安が覗いていた。


「大丈夫なのか、それ」

「大丈夫よ。魔物と言っても、黒曜馬と同じく人間に害をなさない種だもの」


 黒曜馬の名に、エドガーは得心がいったようだ。


 シルヴェ・ティティア特産の黒曜馬は、かつて人間が飼い馴らして家畜化に成功した、馬型の魔物だ。名の通り黒曜石の如く煌めく青毛が特徴で、普通の馬よりも遥かに強靭な肉体を持っている。

 昔は狂暴だったとされているが、主人と決めた相手には礼を示し、忠義を尽くす。

 上手く心を通わせることができたなら他の馬よりも遥かに乗りやすいと、方々で評判だ。


「それにグレースちゃん、この蛙を一番よく食べてくれるのよね」

「へえ……」

「今度、貴方もあげてみる?」

「謹んで遠慮申し上げよう」


 街の方から、鐘の音が聞こえてくる。まだ日は暮れていないが、影が薄暗さに解ける時間だ。


「そろそろ帰らないと政務官殿が怒る。休みだって言うのに、確認書類があるんだと」

「雪祭りまでもうひと月しかないもの。公休日とは言え、城は忙しいでしょうね」

「雪祭り……?」


 訝しむエドガーに、クレールは違うのかと小首を傾げた。


「来月の中頃は雪祭りよ。政務官からは聞いていないの?」

「ああ、そうか。もうそんな時期か……道理で最近寒いと思った」


 雪祭りはシルヴェ・ティティアで最も大きな行事だ。毎年どの店もこぞって屋台を出し、観光客で近隣の街まで宿屋がいっぱいになる。

 目玉となる雪像作りだって、早いところはそろそろ支度を始めている頃だ。それら祭りに関する許可の全てを出しているのが城なのだから、領主代行であるエドガーが知らない筈がない。


「言われてみれば、最近どの書類にも雪祭りって書かれていた気がする」

「雪だってこんなにあるのに。来るときに気付かなかったの?」

「まだ全然積もってないじゃないか。晴れたら大通りの地面が見える程度なんて、大したことない」

「そんなことを言っていられるのも今の内よ」


 窓の外を見上げれば、相変わらず雲に覆われている。今夜もまた、白花が舞うのだろう。


「シルヴェ・ティティアは銀雪の街だもの。じきに家と変わらないくらい積もり出すわ」

「それは大変だ」


 嘯く領主代行にそれ以上何か言うのも馬鹿らしくなって、クレールは無言で玄関脇に置かれていたランタンを取った。

 よく手入れのされている銀色のランタンは、かなり年季が入っている。外套を羽織るエドガーを尻目に暖炉から取った火を宿らせれば、橙色の光を弾いて眩い。


「そうそう。君に渡す物があるんだ」


 ランタンと入れ替えで、手のひらに白い包みが置かれる。クレールの片手にもすっぽり収まってしまいそうなそれは、何処かで見たことがある紋様で封蝋されていた。


「……開けていい?」

「もちろん」


 中から出て来たのは、青いリボンだ。

 瑠璃を伸ばして作ったのかと錯覚するほど、糸の一本一本に渡って丁寧に染められている絹に、銀糸で緻密な刺繍が施されている。手触りもよく、かなりよい質の品だ。

 恐る恐る艶やかな青を広げると、それは二本あった。目を丸くするクレールに、エドガーは苦笑しながら応える。


「この間のリボン、外す際に切ってしまったらしい。これはその弁償だ」


 言われてよく見れば、包みの紋様は西通りにある装飾品店のものだ。

 極々稀に前を通り過ぎるだけの店の品に、クレールは絶句した。


「そんな、あんな使い古しに、こんな上等なリボンを……しかも二本も……」

「君は時々、左右の耳の後ろの髪を結わえているだろう? なら二本あった方がいいかと思って」

「あ、ありがとう……」


 礼を言う際、何故か頬に熱が集まったような気がした。




 湯浴みも終え、すっかり寝支度を済ませたクレールは、寝台横の鏡台の前に腰かけていた。

 外は真っ暗。今日は月が隠されてしまっていて、余計に夜が重い。白蛇なんて、すっかり夢の世界だ。


 蝋燭の灯りだけを頼りに長い髪を梳りながら、クレールはエドガーに贈られた包みを眺めた。


 散々手土産に茶葉や菓子を貰っていたが、やはり形の残るものは別のように思える。

 それに、それまでの装飾品と言えば左薬指の指環くらいだったから、余計に浮ついてしまった。


 緩慢な手付きで包みを開け、リボンを取り上げる。絹でできたそれは、小さな蝋燭の灯りでも十分に艶やかだ。


「折角貰ったんだし……出かける時くらいは着けようかしら?」


 耳の後ろで髪を軽く編み込み、貰った青いリボンで留める。反対側も同様に。

 そうして鏡を覗き込めば、知らない自分がそこにいるような気がした。


「私、あのひとの前でこの髪型したことあった……?」


 零れた声は、夜闇に溶けて消えていった。



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