ツンデレによって! ④
俺は優等生って柄じゃない。授業なんかも常に真面目に受けているわけではない。だが、今日に限ってはそうできなくてもやむを得ないだろう。授業にまったく集中できない原因は…そう、今朝のことである。
事が起きたのち、つまり、値緒と実の連絡先をゲットしたあと。俺は足早に教室を離れ、自分のクラスへと向かった。
階段を上って目的地へ着き、扉を開くも、時刻が早くまだ誰も教室にはいなかった。でもそれでよかった。
俺はカバンをその辺に置くと、中からケータイを取り出した。連絡先一覧を開き、そこに載る名前、『棚角 実』の文字を確認した。そして、静かにガッツポーズをしたのだ。父さん、母さん…俺、ついに手に入れたよ…実の、実の妹の連絡先を……!
「では、今日はここまでにします」
そんな教師の〆の一言と、チャイムの音が俺の意識を現実へと引き戻した。四限の終わりと昼休みの始まりを意味する。ついでに、同じクラスのアイツとのランチタイムも。
「ん〜、疲れた…お腹すいたね」
教科書なんかを片付けていると、弁当箱片手に、離れた席からこちらへマイペースに歩いてくる男がひとり。平地丸紅である。
「ああ、早く食べよう」
そう言い、俺は弁当箱を取り出した。
平地丸はというと、俺の向かいに座ったかと思えば、ニヤリと微笑んだ。
「マナブさ、もしかして何かいいことあった?」
「えっ。……お前すごいな、エスパーか何かか?」
あるにはあったが、そんなに顔に出てただろうか。
それともまた引っかけなのか。平地丸は弁当の包みを雑に解いた。
「昨日も言ったろ、マナブは妹さんが絡むといつだって分かりやすいって。それで?教えてみなよ」
俺は自慢気に箸先で宙を描いた。
「聞いて驚くなよ?俺はな、紅……実と連絡先を…交換した!」
「おー、結構な進歩じゃないか。おめでとう」
つらっとした顔でいやがる。コイツから聞いてきたはずなんだが。
「言葉の割に軽く聞こえるな…本当にそう思ってんのか?」
「もちろん、心から嬉しいさ。ただ大袈裟に喜ぶ必要はないかなってだけ」
平地丸は紙パックのジュースにストローを刺し、そのまま続けた。
「というか今更だけど、家族の連絡先を持ってないってのはどうなのさ、それ…」
俺は一口分を飲み込んだ。
「反抗期真っ只中の妹に、玉砕覚悟で挑めるほど、俺は命知らずじゃなかっただけだ」
「もし否定されたら命に及ぶんだね、ドシスコン」
「変な造語を作るな。…そういや、大袈裟に喜ぶ必要はないって言ってたが。昨日のアレからして、祝福ぐらいしてくれたっていいだろ」
ちゅーちゅーとジュースを吸うと、平地丸はストローから口を離した。
「昨日のアレって言い方をするなら、リアクションが薄い理由も分かりなよ。もう一度言ってあげようか」
そう言うと、平地丸はわざとらしく咳払いをした。
「いいか、マナブ。行動しなくちゃ現状は何も変化しない…とか、そんなことを言ったよね。僕はその通説を信用していたのさ」
今度は平地丸が自慢気であった。その発言に、俺はつまんでいたハンバーグを落としかけた。
「粗雑なお前にも殊勝な一面があったんだな…」
「すっごい失礼だね」
平地丸にハンバーグをひとつとられた。正確に言えば、箸先で突くように奪われた。どうでもいいが、好きな食べ物は一緒である。
そのまま時が過ぎ、今度のチャイムが意味するのは、六限目の終わりと、下校だった。
平地丸と階段を降り、下駄箱で靴に履き替える。
「それで、どうだいマナブ」
「ん?」
校門を抜けた辺りから、平地丸は悠々と語りだした。
「行動。してよかっただろ?君はよく僕を雑だとか大雑把だとか言うけど──」
「──言ってくれてるけど!」
案外根に持っているのかもしれない。
「実さんの連絡先もゲットできて、仲も深まった。僕のアドバイスも捨てたものじゃなかっただろう?」
「まあ…結果から言えばそうだな」
連絡先に関しては、たまたま値緒が居合わせたからだろうが、その上でもこいつの提案は無駄じゃなかった。
「うんうんよろしい。それじゃあ次のステップだ」
「行動に段階って必要なのか…?」
「もちろんだとも。普通の人ならともかく、マナブみたいな妹のことだけは気を遣いすぎるドシスコンには確実に必要だね」
「まだ言うか…まあ、続けてくれ」
うむ、と平地丸。
「久方ぶりの接触!連絡先の交換!と来たら…次はもちろん!遊びに行くべきだろうね」
俺はピシッと固まった。
「お、おい…ハードルが上がりすぎだろ!?もっと、こう…話慣れてからとか…」
「わー行動に段階が必要そうな人だー」
「ぐ……」
口だけはよく回るな、本当に…!
「まあ聞きなよ。実さんがマナブを嫌いかもしれないなら、それくらい慎重に石橋を叩いても良かっただろう」
「でもよく考えてみなよ。嫌いな人に連絡先の交換なんて言うかな?」
「言うかもしれないだろ」
平地丸はガックリとした。
「……いや、その。ほら、ビジネス上ならともかく、君とその妹さんの関係上だと、そうする必要性が皆無だ。そこに私情でもない限りね」
「…その場にアイツの友達がいたとしても、私情は入ってるか?」
「もちろん!」
「その友達と連絡先を交換したんだが、そのノリや流れとかでもなく?」
「当然!」
「実はまだお兄ちゃんのことが好きってことか?」
「うーん、そうだと思うけど気持ち悪いね!」
「そうだよな、ありがとう!紅!」
どうもどうも、と平地丸がふざけた調子で返してきた。
「…まあ、誘い自体は失敗しないと思うよ。中身はマナブ、君の手腕次第だけどね」
平地丸が悪戯な笑みを浮かべ、こちらへ向けていた。その後、俺たちはいつの間にか横断歩道の前まで来ていた。信号機が青になり、平地丸と別れる。そのまま何事もなく帰路を終え、自宅へと帰り着いた。
扉を開くと、昨日と同じ状況で、妹の靴が置いてあった。ただ、ひとつだけ違う点があった。
「ふう、ただいま」
静かにボソリとこぼした程度の一言。今まで数年と返ってきた言葉のなかったその一言に、ついに言葉を返す者が現れたのだ。
「…おかえり」
我ながら、見るからにポカンとした顔をしていたと思う。その言葉を発したのは、なんとプリティーシスター実ちゃんであった。ちょうど化粧室から出てきたのだろう。
とてつもなく喜ばしい言葉だったが、しかしその顔は少し険しく見えた。
「お、おう…?」
今朝の一件を除けば、俺は今日妹とは会っていない。その表情の理由が分からないのだ。そんな喜びと疑問でぼーっとしている間に、実は居間へと行ってしまった。
平地丸はああ言っていたが、やはりまだ派手に嫌われてはいないだろうか?そんな不安が生じかけたが、しかし、ここで踏みとどまっていても仕方がない。元はといえば、ここでしかけるつもりだったのだ。今更迷いはない。
俺は意を決し、リビングのソファに鎮座する妹の元へと歩を進めた。
「………」
実はといえば、背後から見るだけでもツーンとしており、そっぽを向いていた。普段ならたじろいでいるだけのこの場面。こうなることを予見していた俺は、恐れず一言目を投げかけた。
「なあ、今朝はずいぶん早かったけど、なんかあったのか?」
それとなく語りかけたが、実はこちらに一瞥もくれず、答えだけがそのまま返ってきた。
「…なにも。そんなことより、一個聞きたいことがあるんだけど、兄貴に」
ちなみに。俺はここから話を広げるつもりだったので、予見していたプランは全て崩壊した。
「お、俺に聞きたいこと?なにかあったか…?」
動揺の色は完全に拭えず、しかし素直に疑問を述べた。実際、思い当たる節はない。
実は相変わらずシンとした声色だった。
「…今日の朝、なんで値緒ちゃんと一緒にいたのか説明して。聞けずじまいだったから」
想像の範疇外から質問が飛んできた。特に後ろめたいこともなかったので、すげなく答える。
「ああ、アレか。今朝は変な夢見て早起きしたんだよ、だから早めに学校行ったんだ。着いてみればデカい声が聞こえたから、見に行ったらああなった」
「……ふーん…」
多少納得してくれたような、そんな気がした。
「それじゃあ、最後」
一個って言っただろ。
「…偶然会っただけで、値緒ちゃんと連絡先まで交換してるのは、どうなってそうなったの」
先程と同様に、値緒の悩みにあたる部分を避け、事実を答えた。
「あいつ、部活を作ろうとしてるらしいんだが、どうやら部員が足りないらしくてな。なんだか可哀想だったから協力することにしたんだ。それで──」
言いかけると、妹がこちらを向いた。
「待って、協力するって…その部活に兄貴が入るってこと?」
「…まあ、そうなる」
「……ふーーーん…」
あれ、さっきの納得が帳消しどころかマイナスまでいってないか、これ?
「…あと、もう一個」
もはや一個だけの発言はとうに消えた。欲張りな奴だが、しかし妹を許すのが兄だ。
「…別に、確認とかじゃないけど」
「…私もその部活に入っても、いいかな」
正直、うろたえたね。平地丸曰く、行動それ即ち万事快調らしいが、まさにその通りで、事が上手く運ばれすぎていたからだ。このチャンスを逃す手はない。
「大丈夫だと思うが、実はそれでいいのか?値緒はオカルト関係の部を作るつもりらしいが…」
「…大丈夫だよ。値緒ちゃんはいい子だし、ちょうどもう少し仲良くなりたかったから」
昔の実らしい、純粋な言葉のように聞こえたが、その後、取り繕うように早口になった。
「そ、それにバカ兄貴が値緒ちゃんに変なマネしないように誰かが見張っとかないといけないし」
「はは、なんだそりゃ」
「もう!とにかく質問は終わりだから!ほら、もう行って!」
実は立ち上がると、まくし立てるように俺にそう言った。はいはい、とそそくさと自室に戻った俺は、その多幸感からベッドへ倒れ込み、そのまま大きく息をもらした。
長く話をしたのもそうだが、ただ怒ったような顔以外をあんなに見たのは久しぶりだった。
「……あ」
ただ、その喜びからか、やるべきことを忘れていたことに気付く。平地丸が言うところの、遊びへの誘いだ。
「…まあ、また今度誘えばいいか…」
もしかしたら不機嫌にさせていたかもしれないんだ。少なくとも、今は少しずつ前進していることを喜ぶべきだろう。
俺は確かな成長に感極まりつつ、もう一度深呼吸をした。
空気がいつもより美味しく感じられた。