ツンデレによって! ①
棚角ミノル。
棚角家の二女にして、俺の妹にあたる人物だ。髪は暗いアッシュグレージュのショートヘア、その身体は小柄かつほどほどに痩せている。その他の外見的特徴を述べるなら、その瞳が深青な点だろう。あとはなんだ、凛として強かな感じがする。
しかしこれに関しては、今現在の見目からの想定を逸さない。今のミノルの性格なんて想像もつかんからな。
中学以前であれば記憶に新しいんだが。そう、あの頃は人懐っこく好奇心旺盛で、所謂お兄ちゃんっ子だった。俺が帰ってくる度、玄関まで来てそれとなく顔を覗かせていたのは実にかわいかったなあ。
今じゃ目も当てられない。それもそのはず、俺のただいまに対し、妹からのおかえりが返ってこなくなって、ずいぶんと時間が経つ。
それは妹が家に居ないからではない。単に俺が無視されているだけだ、あいつが中学生になってからずっと。もはや今のミノルにとって、俺などジャガイモのような存在なのだろう。しかしジャガイモであろうと、帰ってきたら一瞥のひとつぐらいくれたっていいだろうに。いや待て、ジャガイモ自体が嫌いという線もある。もしやそうなのか?ミノル。
そんなどうでもいい考えを巡らせている内に、俺は自宅に着いた。扉を開き、その際に発した健気なただいまは、響くだけ響いていつも通り消え去った。返ってくる言葉はない。
となれば、なるほどミノルは不在だろうな。それなら仕方ないと靴を脱ぎ、俺は玄関を抜ける。まあ、やはりと言うべきか、妹はリビングにいた。つまりは無視されたのだ。いつも通りのことで、いつも通り悲しい。一度信じないようにしたというのに、見事に無駄足だった。やっぱりジャガイモは苦手なのかもしれない。
視線をやると、ミノルはソファに寝そべって、携帯をいじっていた。その雰囲気はというと、
「………」
きっぱり無言で、触れるなって調子である。いつも通りだが、それにしたって表情が硬い。俺がいると笑うことすら嫌なのだろうか。
『お父さんの洗濯物と私のは分けて!』という具合で、『お兄ちゃん消えて私笑えない!』なんて心持ちなのかもしれない。
俺がそんなどうでもいい想像にふけっていると、ふいにそいつは言った。
「……さっきから何突っ立ってんの」
突然のことで、つい反応が遅れてしまった。
「えっ」
なにか言わなくては、と俺は続ける。
「あ、ああ…すまん。考えごと、しててな」
「あっそ」
それだけ言うと、ミノルの視線は携帯に戻った。お前から話を振ってきたんだろうが、どんな突き放し方だよ、とツッコミたくなる。しかしそれ以上に驚きが勝った。それは、少なくとも俺にとってはふつうでないこと。あのミノルが───だんまりばかりのうちの妹が、俺に話しかけてきた?
クエスチョンマークと驚きに埋まる俺の頭蓋。こいつは色々と策を講じる必要がありそうだ。俺は一度自室へ向かうことにした。階段を上がると廊下がある。奥から三つあるドアのうち、一番手前のドアノブを捻った。部屋へと入り、俺はカバンを適当に放る。そして、ベッドへと腰かけた。思考の時間だ。
…
(ふむ……)
平地丸とミノルトークをした帰り道、その後自宅に着いてみれば、なんとほとんど口を開かないミノルが、声をかけてきたではないか。
いや、なにも一言も口をきかないレベルではない。家族が揃っている時とかあるだろ。ああいう時は最低限、話をしてくれる。まあ、二人きりの時はゼロにも等しいのだが。と、そんなことを考えている場合ではない。総じて、蛮勇と妙ちくりんが重なってひとつの思惑が導かれた。
ひょっとしてこれは、チャンスではないだろうか?
当たって砕けろと絶賛奮起中の俺、加えてあちらから声をかけてきた妹。状況は今、俺の方に傾きつつある。ミノルとの関係が元の鞘に戻るのも、夢物語ではないんじゃないか?
気づけば脳内で複数人の俺が、丸いテーブルを囲んで話をしていた。というより、これはもはや言いたい放題だ。仕掛けるなら夕飯の時なんてどうだだの、これまでのミノルを考慮するならたしかに家族の前がいいだの、ミノルは幼い頃も今も可愛いだの。その会議の騒がしさたるや、すぐにはなくなりそうもない。
それから数十分ほど経って、俺と俺と俺と俺による、対ミノルを想定したコミュニケーション計画が立てられた。
その内容は実にシンプルだ。夕飯時に、俺がサラリとミノルに話しかける。するとミノルはこう思うはずだ。お兄ちゃんが私に話しかけてくれた、なんてことなの、素敵、お兄ちゃん大好き!───と。
その後も話は弾み、いつしかミノルは幼い頃のような笑顔を見せ、ハッピーエンド。
「なんてな」
さて、流石に冗談だ。こうもトントン拍子に上手くいかんだろうし、プラスに転がるか、マイナスに転がるかは分からん。しかし、何かしらの反応は見込めるはず。何故なら今日の俺はひと味違っていて、ミノルもどこかひと味違っているのだ。俺の心はとっくに決断を済ませていた。試す価値しかない、つまりはそういう訳になる。
…
「なあ、ミノル」
計算違いがふたつあった。
「何」
ひとつ、今夜の家族団欒は成り立たなかった。父母から帰宅が遅れると連絡を受けたのだ。だが母はこれを予見していたらしい。その結果、食卓には昨晩作り置きされた肉じゃがと、白米が並んだ。ついでに会話のない《《はず》》の兄弟も。
「その、なんだ。うちの高校は楽しいか。三日前に入学式があったばかりだろ。友達とか、どうだ」
そう、はずだった。計算違いのふたつめを述べよう。
「入学式に行っただけで楽しいとか、そんなの逆に変だから。……まあ、友達の方は、何人かだけ」
この棚角ミノルという妹は、家族の前でなくても、俺と会話をしてくれるらしい。
…
その後の会話は特になく、食事を終えた俺は自室に戻った。扉を閉め、ベッドに腰掛ける。そのまま上半身を後ろに倒すと、ぼふっと音が鳴り、掛け布団が潰れた。ぐったりしたまま鼻から深く息を吸い、口からふうっと大きく息を吐いた。
信じられるだろうか。あの妹と、会話ができた。だいたい数年ぶりか。目頭にほんのりと熱さを感じたのは、誇張表現ではない。これはとてつもなく大きな一歩だろう。これまでの亀裂が嘘だったかのように、話が弾んだと言える。その実、二言しか言葉を交わさなかったとしてもだ。
「勇気、出してよかったな…」
平地丸との会話がなければ、こうはならなかった。この場にあいつはいないが、俺は心から感謝の念を込めて思う。背中を押してくれてありがとう、と。
ころころとした喜びが胸に残るまま、俺はすっくと立ち上がった。とっとと風呂に入って、今日は寝よう。アプローチのやりすぎはきっと不審だ。だから今日はこれ以上動くつもりもない。そう、明日からまた、少しずつ会話を重ねていけば……
「きっとまた、昔みたいになれるはず」
そんな、形のない成功のたしかな感触を胸に、俺は扉を開いた。新しくて素晴らしい日々の始まりだ。