『ライトノベル論・小説と挿絵について』《二》
続けて参りましょう。
ライトノベルではない『一般書籍』の有名作家は、
小説を読まない人も知っています。
ですがライトノベル作家は、売り上げトップの人間でも
一般人にはその名前も知られていないでしょう。
ソレはマーケットやジャンルの違いでは無いように想われます。
逆に自分の好きなライトノベルを
【他人に勧められるか?】
どうもこの辺にその答えの一端が在るように想われます。
では何故そうなるかというと、無論理由は多々在りますが
代表的なモノを一つ挙げるなら、
ソレはキャラクターの『精神性の無さ』ではないでしょうか?
上記で語ってきたようにライトノベルは
『挿絵』によって売り上げが決まります。
ソレは裏を返せば小説の『地の文』だけではキャラを魅力の伝えきれないから、
或いはそのキャラ自身に『魅力』が無いから、
絵で誤魔化すしかないという結論に往き着きます。
ライトノベルにもアニメ化した有名作品が幾つかありますが、
しかしもしその作品のキャラクターのヴィジュアルが
【ブサイク】だったらどうでしょうか?
果たして視聴する人は存在するのでしょうか?
身も蓋も無い言い方ですがこうなると
“ルッキズム”の問題までここに含有されてきて
『キャラの精神性』という概念からは更に遠退いてしまいます。
「キャラの内面なんかどうでもいい、顔さえ良けりゃそれでいい」
というのであれば、もうその作品の『クオリティー』すら
お察しという事になるでしょう。
いずれにせよキャラクターの『内面(精神)』がきちんと創り込めておらず、
だからその描写も出来ない、必要無いとするならば、
【小説として破綻】するのは寧ろ当たり前でしょう。
【顔が良くても性格が悪い人間】は嫌われるんです。
よくアニメやマンガのキャラがその言動で【炎上】していたりしますが、
その原因の大半はコレが理由です。
ソレは一体どこの「ガンダムs」、おっと誰か来たようです。
続きはまた明日に致しましょう。