【虐めの描写について】
はいどうもこんにちは。
漫画でもアニメでも映画でもドラマでも、
無論、「ライトノベル」でもよく見かけるシーンでしょう。
そしてソレを見た後、心にヘドロのような澱が残るのもまた共通と云えます。
何故そのような気分になるのか?
答えは簡単で過去に何度も云ってますが
その【虐め】がれっきとした【犯罪行為】であるからです。
「殺人事件」をテーマにした話でも、
被害者が惨たらしく殺されるシーンを
念入りに微細にわたり描写する作品は稀です。
『倫理規定』が在るというのも理由ですが
そもそも【犯罪行為】をじっくりと具に眺めたいというのは、
ある種の者達を除いて少数派であると想います。
【虐め】もソレと同じであり【犯罪行為】である以上
その本質は変わらないのですが、
何故【虐め】に限りその描写がセーブされないのかと言えば、
ソレを描いている作者が【犯罪】だと認識していないからです。
だから【虐め】が所謂「いじめ」になってしまい、
どれだけ悪辣で残酷で卑劣な事を行っていても
「悪ふざけ」の延長として捉えてしまう。
キャラクターが「未成年」ならその錯誤へ更に拍車が掛かる。
ソレは一種の『思考停止』と言ってもよく
『主体性』と『客観性』の両方を喪失していると
云っても過言ではありません。
ある種の人間は、『法的』に罰せられない事は【悪い】と認識出来ないのです、
だから多くの『一般書籍』に於いては、
「殺人事件」の犯人は最後必ず捕まるのに、
【虐め】の首謀者達は『無罪放免』となるのです。
その反動というかこれまでの怨恨というか、
或いはやはり今の現実が卑劣で惨たらし過ぎるのか、
「ライトノベル」に於いてはその首謀者を
【虐殺】【蹂躙】してカタルシスを得る作品が多数と云えます。
その事を否定も肯定もしません、
ただ、来るべき時が来たという事でしょう。
創作は【時代を映す鏡】
現実が悲惨ならば『こう在るべきだ』という自浄作用が働きます。
『映るモノ』が【反転】しているのだから、
多くの人々が支持するモノと現実は【真逆】だと云うコトです。