【罪の枷】
はいどうもんこんにちは。
嘗て、所謂「追放系」「ざまぁ系」のストーリー、
キャラクターの『復讐』をメインとするモノは
書く人も読む人も【過去に虐めの被害に遭った人】が
多いのではないかと持論を語りました。
別にソレを否定するつもりも批判するつもりもありません、
寧ろ当然の【被害者感情】だとワタシは想います。
何度も云いますが【虐めはれっきとした犯罪】です、
「いじめ」等と言うフザけた表記はいい加減に止めて
はっきりと【虐待】【暴行】【蹂躙】【決して赦されない重犯罪】
と書くべきです。
その証拠として【虐めの現場】には『傍観者』が数多くいますが
コレは当たり前の事です。
街中で半グレや暴力団が【暴行】を行っている現場に居合わせたとして
『傍観』する以外『一般人』に出来る事がありますか?
精々が電話で警察に「通報」する事が関の山でしょう。
『戦って止める』等という英雄的行動は『本能』が許しません、
というか出来ません、絵空事は所詮絵空事、
【犯罪の現場で一般人に出来る事は何もありません】
寧ろ【してはいけません】
素人に難病の外科手術が出来ないのと同じで
【犯罪を解決するのは警察の仕事(役割)だからです】
さてお解りでしょうか?
何故この【虐め被害者の恨みの発露】とでも云うべき
「ざまぁ系」「追放系」『虐めに対する復讐話』が
こうまで持て囃されるのか?
ソレは【現実がそうではないから】です。
そして人間が一番、血の気が引くほどの怒りと絶望を感じるのは
【罪を犯した者が裁かれない事】です。
昨今のSNSの【炎上事件】を取り上げるまでもなく
その対象となる人物は上記のパターンが殆どでしょう。
漫画の世界でも最近は【虐めに対する私刑】の話が増えて来たように、
潜在的な【虐めの被害者】は数十年前から多数いる。
そして【犯罪の被害に遭った者】はその後数十年経っても
忘れる事も割り切る事も出来ず葛藤と懊悩で苦しみ続ける。
去年のジ〇ニーズ性加害問題を例に出すまでもなく
【犯罪の本質】とはそういったモノです。
そしてその【潜在的な被害者】が増えれば増えるほど、
『残虐な復讐譚』の巨大なニーズとなってしまうのです。
『法的』に【犯罪】が裁かれない以上、
泣き寝入りする以外にその『恨み』を晴らす術は
【復讐(私刑)】以外にありません。
故にその手段は残虐で血腥くなるざる負えません、
責めているわけではなくソレが【人間の限界】なのです。
少し前までは、『どんな理由でも復讐はいけない』
等という戯言も、まだ辛うじて受け入れられる土壌は
非常に小さいですがありました。
しかし今はもう【復讐万歳】【しなければ叩かれる】
までになってしまいました。
長い「長文タイトル」でそれを証明してしまっているモノまであります。
コレは今まで【虐めを犯罪と認めず放置した結果】
そして今も尚【虐めという名の犯罪で子供達が殺され続けている】
事を意味します。
【負の連鎖】は何も『復讐』だけに限った話ではありません。
『恨み』『辛み』『後悔』『屈辱』『悲嘆』『嗟嘆』『絶望』でも
【負の連鎖】は限りなく増殖します。
【復讐しなくても増殖します】
さて、これからの未来、果たしてその者達は
自らが放置し続けた【罪の重み】に堪えられるのでしょうか――。