『正義の娯楽・弐』
続けます。
特に「ライトノベル」では、
人外のバケモノと「戦う者」や「その組織」へ属する者で
前述の思考形態に陥っている者がおり、
尚且つその事を『正義』だと想っているから
始末に負えません。
そしてその彼らの頭の中からは、
「市民の安全」や「無辜の民を護る」
という思考はものの見事なまでにすっぽり抜け落ちています。
ライトノベルで『こいつ“良い奴”だな』って想った事がありますか?
無いのはコレが原因です。
彼らは、それよりもなによりも「自分の力」を
ひけらかしたくて仕方がないのです。
【他者の危機】は『自分の娯楽』じゃない、
という当たり前の事にすら気が付いていません。
「軍人」や「警察官」が『遊び感覚』で仕事をしていたらイヤでしょう、
でも【戦い】=『遊び』になってしまっているので、
こちらは幼稚園児の「~~ごっこ」を見せられているような
何とも言えない虚脱感や滅亡感に苛まれる結果となります。
書いてる作者がいい『大人』だからです。
このように、【戦い】が“たたかいごっこ”になっている
ライトノベルは数多く存在します。
【放課後しか戦わない】という設定など正にソレでしょう。
頼みもしないのに【セーラー服で戦う】のもそうですね。
ともあれ、結果として「ごっこ」になっているから、
【戦い】という『王道』のストーリーなのに
大ヒット作が生まれないのです。
“たたかいごっこ”は【読んでる読者が】面白くないからです。