『異世界転生・ヘイト復讐モノ』 コレは絶対ヤってはいけない《弐》
続けます。
『復讐モノ』はワタシの好きなジャンルの一つなのですが、
同時に一番嫌いなモノでもあります。
というのは、ストーリーが進んでいざ「復讐」という時に、
「やっぱり人を殺すのはいけない」
「殺したら仇(敵)と同じなってしまう」
「復讐しても死んだ者は帰って来ない」
等と宣って「復讐しない話」です。
『だったら初めからやるな!』という話で
読者はイヤな「不快感」を残したまま
今まで読んできたのは一体何だったんだ?
という虚無感に囚われます。
「いやでも現実的には、」と言いたい人もいるかもしれませんが、
ソレは作者の「傲慢」であり、こちらはフィクションの世界での
「非日常」が見たいのであって、
別に作者の「説教」や「哲学」が聞きたいわけではないので
「不快」なこの気持ちをどうしてくれる?
とその作者に「復讐」したくなります。
兎に角、「文芸作品」でもない限り「エンタメ作品」は
読者を「楽しませて」ナンボの世界なので
読者を「不快」にするのは言語道断、
或いは読んでくれた人に対する「裏切り」であると想います。
故に大事なのは「ヘイト管理」
極端な話、ヒドイ目に合わされたら即ヤり返すくらいでないと
「異世界ヘイト復讐モノ」を描く意味がありません。
「この部分」が非常に優れている作品が
mino氏の『奪う者 奪われる者』で、
ムカつく、許せねぇ! と想った敵は即主人公のユウが
間を置かず〇ってくれますw
そのヘイトが吹き飛ぶ「爽快感」があってこそ
初めて他のキャラクター魅力も解るといった所で
「ムカついたまま」ならそんな「余裕」はないので
ソコまで気が回らないのです。
もう一度言いますが人間は、
「相反した感情を同時に持つ事は出来ない生き物」なので、
泣きながら笑ったり、怒りながら楽しむ事は不可能なのです。
だからゴ〇だのク〇だの
「人間の尊厳」を打ち砕かれるような
罵詈雑言を浴びせられたまま何もしない主人公だと、
心底うんざりしてしまいどれだけヒロインが魅力的だと描かれても
「もういいよ……」
という事になってしまい、折角造ったキャラも設定も読者の心に
全く響かないという非常に勿体ない事になってしまいます。
このように『復讐モノ』なのに「復讐しない話」は
百害あって一利なしで、正直デメリットしかないのですが、
でも、それでも! と「復讐を否定する話」が描きたいなら
ソレは「読者を納得させる」「それでも批判を受ける」という
作者の「覚悟」が必要となります。
ただ形式的に「復讐は悪いからいけない」では誰も納得はしません。
この「復讐しない話」で “例外的に” 優れている話は、
S・スピルバーグ監督の『マイノリティー・リポート』という映画なのですが、
ここで概要まで描くとクドくなり過ぎてしまうので
感想爛などで知りたい方がいるのならソコで描きましょう。