【復讐モノの歪み】
はいどうもこんにちは。
相も変わらず一定の需要があるからなのか、
ほぼ「テンプレ」でどれも似たような
【復讐モノ】をあちこちで見かけますが、
古今の作品と較べるにあたり、
ある『共通点』を見つけたので
今日はソレを書こうと想います。
意外と知られてないのですが、
復讐モノの金字塔として有名な
『巌窟王』原題『モンテクリスト伯』の最後は、
実は”ハッピー・エンド”なんですよね。
貴族の友人に裏切られ無実の罪を着せられて
嘗ての婚約者はソイツにNTRられたりしてますが
最後はその貴族に復讐を果たし
戻って来た妻と子供 (主人公と血は繋がっている)と
幸福に暮らすというラストで幕を閉じます。
【復讐モノの元祖】とも呼べる名作でこの最後なのに、
コレがこと「日本」に来ると同じような話なのに
途端にラストがオカシクなります。
だって、必ず【最後主人公死ぬ】じゃないですか?
復讐そのものは相手を皆〇しか生き地獄に叩き落として完遂するのに、
その『因果応報』『報い』が絶対に主人公に降りますよね?
ソコには明文化されていなくとも
【やはり復讐はいけない】
【相手が極悪人でもそれをすれば必ず裁きが降る】
というのを“暗示”して終わる作品が殆どです。
まぁ賢い識者諸兄に至ってはここで既にその『矛盾点』に
気がついていると想うのですが、
【極悪人に裁きが降ってない】ですよね?
【だから復讐が生まれる】んですよね?
『因果応報』が機能してないから
【被害者が血を流して復讐する必要】がある。
にも関らずどこに『裁きの雷』降してんだ?
って話です。
【凶悪犯の残虐な犯罪】には一向に裁きが降らず、
何故か【正当な理由で復讐をした者にだけ】
ピンポイントで絶対に裁きが降る。
この世で一番重い大罪は果たして【復讐】なのでしょうか?
恐らくはそうなのでしょう。
【犯罪者にとって】一番恐れるモノは、
忌まわしいのは大罪なのは、
【自分に対する復讐】なのですから。
故に、スベテの【復讐者には死んでもらわなければ困る】わけです。
或いは色々理屈つけて【最初からやらないようにしなければ駄目】なわけです。
少なくとも【犯罪者当人】にとっては――。




