『累 -かさね-』 ~人間の真実~
伝説的な女優を母に持ち、天才的な演技力を宿す少女『累』
しかし彼女の風貌はまるで怪物のように醜かった。
その醜い風貌の為、絶え間ない侮蔑と嘲弄に虐げられる彼女の日常。
ある日もう堪えられなくなった幼い累は今は亡き母親の言葉を思い出す。
『本当に辛い時は、ママのこの“口紅”を使いなさい』
その口紅は、『他人と自分の顔を入れ替える事の出来る』
魔性の呪物だった。
協力者の男と共に美しい女の顔と入れ替わり、
やがて『女優』として脚光を浴び確固たる地位を築いていく彼女。
その宿業と猛執の果てに待つものとは――。
結構マニアックな作品ですが
正直読んだ時はかなり衝撃的でした。
そしてコレを描いているのは「女性」だと想うんですが、
本当に女って怖い事考えるな、と戦慄したモノです。
(『フランケンシュタインの怪物』も女性ですしね)
女の【美】に対する異常とも云える執念、執着、
その前にキレイゴトは一切通用せずその為には
幾らでも人は【残酷】になれるとコレでもかと
“醜い累”という『現実』を前にガリガリと押し込んできます。
「おまえが同じ立場だったらどうする?」
「醜い風貌を理由に虐げ続けられたらどうする?」
「人は見た目じゃない、心だなんて本当に言えるのか?」
と常に突きつけられている気分になります。
コレは寧ろ女性というより
我々『男』にとって決して他人事とは云えません。
ライトノベルの表紙が常に「美少女」ばかりであるように、
無意識的に美しい者を愛で、醜い者を蔑むという【心性】は
常に当たり前のように我々の裡に巣食っているのでしょう。
だって人間が『累』を見た瞬間、最初に浮かぶ言葉は
「醜い風貌で可哀想」でも「私は見た目なんか全然気にしないよ」でもなく
【バケモノ近寄るな!】ですから。
どんなキレイゴトやお題目を並べてもソレが【真実】です。
【醜い者を蔑む】という心情は、我々人間の中に
当たり前に組み込まれているモノなのです。
無論、累を【差別】しない人もいるでしょう、
ですが差別する人間はもっとたくさん、
想像を絶するほどにいる、というコトなのです。
この作品を通して伝わってくるモノはただ一つ。
醜いのは怪物のような風貌をしている『累』ではない、
彼女を蔑む人間の心こそが最も醜いのだ、
という強烈なメッセージです。
そう考えると“ルッキズム”の象徴のような
『ライトノベルの表紙』
なんだかとても【怖い】モノに想えて来ませんか?