【性善説と性悪説Ⅲ】
総括に入りましょう。
ここまで『性善説的な作品』と【性悪説的な作品】とを分類してきたわけですが、
個人の嗜好はあれど明らかに後者の方が優れている、という結論に落ち着きました。
コレは本来の「思想」の場合でも全く同じなので
なんとも皮肉な結末としか云い様がありません。
そもそも性善説とは『存在しないものを信じる』
思想ではない【宗教】なので、
あらゆる意味で現実との【乖離と齟齬】が生じ、
論理としては破綻していくのは当たり前なのです。
『人間の本性は善である』なら、
どうして今日も【学校で子供が殺されている】のでしょうか?
そういう意味でも『現実性』のない空論であり、
存在しない希望 (神) に縋る【宗教】なのです。
「ライトノベル」はほぼ大半が『性善説的な作品』とは云いましたが、
コレは言い換えれば、そして言葉が悪くて大変申し訳ありませんが、
ブッちゃけ【〇〇〇〇のおっさんが似合いもしないのに善人ぶってる作品】
だからです。
だからレベルが低いですし質も悪いですし、
モノによっては【醜悪な部分】があるので
精神に【損害(嫌な気分がいつまでも晴れない)】を負う事もしばしばです。
どれも『楽して何かを手に入れようとするから』
そんな【貧困な精神】で描かれた作品が面白いわけがありません。
そもそも『人間の善性』とはこの世で最も手に入れ難い高みに在るモノ、
ソレを最初から持っちゃってるわけですから、
その本質と【逆】に行っちゃってるわけですから、
読んでて【不快】なのは当たり前なんです。
【間違った善性】=『偽善』だからです。
アナタの作っているそのキャラクター、
【美少女以外にも優しく出来ますか?】
【相手が美少女じゃなくても、共に戦う事が出来ますか?】
【チート能力が無くても、悪に立ち向かっていけますか?】
【そもそも漠然と何の根拠も無く、「善人」として描いていませんか?】
ソレがアナタの『性善』なのです――。
【完】