【性善説と性悪説Ⅱ】
続けましょう。
では、もう少し【作品ごとの性善説と性悪説】を深堀ってみましょうか?
「新世紀エヴァゲリオン」
過去に何度も云ってますがワタシはアニメが嫌いで
漫画の方が好きです。
はい、もう瞭然ですね。
アニメは『性善説』で漫画は【性悪説】な造り方だからです。
だから【キャラの性格が全然違う(別人)】って云ってますし、
そのストーリーの「概要」は同じでも
『内容』が全く変わってしまっているのです。
そもそも【性悪説とは懐疑主義】なので、
ソレが「キャラ造形」の際の『深み』に直結する結果となります。
だから「このキャラの性格はこれで良いのか?」
「この言動は読者に反感買わないか?」
「見てて恥ずかしくなるようなセリフやシーンになってないか?」
「性格の悪いキャラは嫌われるからそうならない為にはどうするべきか?」
考える事は幾らでもありソレがキャラ自身の『魅力や好感』に繋がっていきます。
しかしアニメの方は『性善説』なので、
この【疑って思考する】という作業が出来てないので、
表面上の上っ面の「かわいさ」ばかり追ってしまい、
結果として「あんたバカァ?」を連発して
こちらの『共感性羞恥心』が爆発という始末に陥ります。
(そういや『漫画の方』には殆ど出てこなかったな
この「セリフ」……('A`))
ライトノベルでもコレは全く同様で、
「涼宮ハルヒ」は『性善説 (な造り方)』ですから、
【考えて造ってない】のでキャラとしての魅力が全く無く
まともな人からはキ〇ガイなどと評され
「ただの人間には~」以外の言葉が思い浮かばず
そしてまたこちらの共感性羞恥心が大爆発という
結末を迎えるのです。
そう考えると、『性善説』とは【恥ずかしい事】の代名詞なのかも知れません。
だって、数多ある「ライトノベル」
人前で読めますか? 話せますか? 奨められますか?
ソレら全て『性善説的な作品』だからではないですか?