【イメージの戦い】
はいどうもこんにちは。
一時は些少心に刺さる作品を書いていた人の
見るに堪えない凋落ぶりは何とも暗澹とした
気分にさせられるモノです……('A`)
まず『戦いが好き』=【戦争が好き】という
安易な発想の時点で正直開いた口が塞がりません。
じゃあ『女が好き』=即【襲う】になるのか?
ソレくらい莫迦げた事を宣っているのが
残念ながら齢70も近い老人の謹言で御座います。
まず大きく「勘違い」しているのが、
我々は『イメージとしての戦い』が好きなのであって、
【本当の戦い】は好きじゃありません。
現実の、【本当の戦い】は当然ながら
自分も殴られたり蹴られたりしますし、
場合によっては歯や骨を折られてしまう事態に陥りますし、
最悪後遺症が残って半身不随、
殺されてしまうケースだってあるでしょう。
誰もそんなモノを【好き】にはなれませんし、
【戦いたい】なんて想う者もほぼ皆無でしょう。
故に我々が好きなのは『イメージとしての戦い』なのであって、
ソコに【物理的な痛み】は生じませんから
『娯楽』として楽しむ事が出来るのです。
ソレが『創作』であり『エンタメ』であると云えます、
【漫画と現実を混同する者】はただの〇〇としか云い様が無いでしょう。
昭和の時代、格闘技といえば「プロレス」だったのは
『あんまり痛そうに見えない』から娯楽として受け入れられたのです。
逆に初期の『総合格闘技 (アルティメット)』は
ガチで歯や骨が折れて選手が血を吹いて倒れる
【凄惨な場】だったので、大衆の娯楽には成り得なかったのです。
後のK-1、PRIDEなどの隆盛も
ルールが整備されて『血が出なくなった』から
ようやく需要が生まれたに過ぎません。
誰も、【本当の血みどろの戦い】なんか見たくもないのです。
上述の「ドラゴンボール」が大ヒットしたのは、
その『イメージとしての戦い』を上手く具現化出来たからに他なりません。
主人公の孫悟空が「魔貫光殺砲」で死ぬシーンがありますが、
あそこで飛び出して引き千切れた「内臓」まで描写したら、
子供は【怖がって】見なくなるでしょう。
「北斗の拳」が好きだからと言って、
『人体をバラバラにしたい』と考える莫迦はいません。
「ガンダム」だって、撃墜されて焼け焦げてボロボロの死体まで
事細かに描写したら、そんなモノは誰も見なくなるのです。
誰も、【本当の戦い】なんか好きじゃない、
頭の中に思い描いた『痛みの無い絵空事』が
ただ好きなだけなのです。
そしてソレこそ【戦争を望まない】
『健全』な精神とも云えるでしょう。