【読者への共感Ⅲ】 ~参照・『荒木 飛呂彦の漫画術』 より~
続けます。
まず【ジョジョ第5部 ~黄金の旋風~】の主人公、
ジョルノ・ジョバァーナの「目的 (夢) 」は
『ギャングのボスになる事』です。
サッカー選手になるわけではないですから
これでは突飛過ぎて読者の『共感』は得られません。
では何故このように荒唐無稽な
主人公の「目的」が読者の『共感』を呼び、
皆、第5部のキャラクターやストーリーに夢中になったのか?
それはその「目的」を更に掘り下げて
『どうしてジョルノはギャングのボスになりたいのか?』
という問題を作品の中で提起しそれは、
『子供に麻薬を流すような極悪非道な連中を止める為には、
自らがギャングのボスになり組織を乗っ取るしかない!』
という解答をジョルノ自身に言わせ、
ソレは紛う事なき『正義』なのだから
必然、読者の『共感』を生み、
更に『15歳の少年がたった一人で大規模なギャング組織を乗っ取る』
という余りにも無謀だが壮大な「夢 (目的) 」が、
読者の “興味” を呼びその『共感』を煽るからです。
前回の【悪例】のようにただ漠然と、
「〇〇〇〇〇〇〇になる」「なってその使命を果たす」と
洗脳された莫迦の一つ覚えのように言っているのではなく、
きちんと読者に『共感』してもらえるよう
その “理由” と “動機” を明確にして
作品を楽しんでもらえる配慮を
原作者である荒木先生自身が一切怠っていないからです。
誰も弱者を甚振って貧しい者からなけなしの金銭を奪う
主人公など見たくはないでしょう。
(『共感』とはまた違いますが
“もしかしたらそうなるかも? だってギャングでしょ?”
という「危機感」や「スリル」は却って読者の“興味”を引き、
作品にのめり込ませる効果があります)
コレを凡百の作家が描いたら「ギャングは悪だ」
というお決まりの典型例に堕し、
敵も無実の人間も平然と殺して素知らぬ顔しておきながら、
何故かトリッシュとの「恋愛」にだけは
しどろもどろになって醜態を晒すという歴史に類を見ない、
途轍もない超駄作が完成していたという
恐るべき結末を辿ります。
兎に角、『作品』、正確には『発表して誰かに見せる作品』にとって
一番大事なのは【読者】であり、
その【読者】の気持ちも解らない、解ろうともしない
最低限の『想像力』すら持ってない者は、
そもそも作品を描く【資格】が無いというコトなのかもしれません。
そもそもが「〇〇〇〇〇〇〇」だの「〇〇〇の一柱」
だの偉そうな事を言っていても、
ヤってる事がチ〇ピラ以下なら文字通り
『お話』にならないのです……('A`)
実際、ヒロインが「恐喝で金を得ている」と、
作者が自分でそう書いているモノも本当に存在するので……('A`)